名曲喫茶巡り

バロック バロック2
バロック

23日、AAFCのメンバー5人で東京にある名曲喫茶へ行った。AAFCとしても初めての企画とのことだ。

最近は私が20代の頃に比べると、名曲喫茶いわゆるクラシックを聞ける喫茶店どころか、普通の音楽喫茶でさえ少ない。

私は渋谷の「ライオン」は以前から知っていたが、新宿や池袋にあったような名曲喫茶は、すでになくなっているか、あるいは名前だけしか残っていないようだ。

幹事さんのご苦労で、見つけたところは「ライオン」以外はすべて中央線沿線である。あの沿線には、当日行った3軒以外にももっとあるという。

最初に入った店は吉祥寺の「バロック」である。同行の I さんが行きつけの店で、店主は未亡人の方で、すべてお一人でまかなっておられるようだ。数年前にご主人を亡くし、お店は続けているが、オーディオ装置の調整はご主人の友達にやってもらっているとのことであった。
中に入ったとたん、根戸小では味わえないようなすばらしい音が鳴っていた。店は小さな喫茶店ではあるが、すべて一人の椅子席になっている。クラシックを鑑賞するには良い環境で、しかも響も良く、音につつまれた感じがして心地よい。
すべてLPレコードのようである。入ったときはケンプの演奏で、バッハ「平均率クラヴィア曲集」が鳴っていた。プチプチノイズがやや目立つ。それでも音は良い。次に聞かせてくれたのが、ホリガー演奏のバッハ「オーボエソナタ」である。オーボエやチェンバロの伴奏も極めて明瞭で響きもすばらしい。これは渋谷の「ライオン」ではとても味わえないだろう。まさにその名のとうり、バロックからモーツァルトあたりまでを聴くには最高かもしれない。

次に行った店は荻窪にある「ミニヨン」である。ここは普通の喫茶店のようにテーブルを囲むような席もあって、店内も明るくスペースも広い。「どうぞクラシックを聴いて下さい」というような押し付けがましさはなく、お客さんたちの会話も聞こえる。気楽にコーヒーを飲んで読書しながら音楽を聴いてもよいような雰囲気である。やはり、室内楽がピッタリかもしれない。すべてLPレコードのようであった。

次の阿佐ヶ谷は私が学生時代に住んでいたところである。しかし多分、そのあと一度も降りたことすらない。つい、昔の下宿に立ち寄ってみたい衝動にかられた。
名曲喫茶の名は「ヴィオロン」である。駅から7~8分くらいの、住宅街の中にあるような店だった。中に入ってびっくりしたのは、一見、座席が無いのではないかと思うようにゴチャゴチャといろんなものが置いてある。お客さんがその中に座っていて、何人の客が入っているのか判断が付かないような雰囲気である。スピーカーは壁に埋め込んであるようだが、結構大きい。
演奏していた曲はこんな小さなお店では考えにくいが、なんと、マーラーの第5シンフォニーである。演奏はバーンスタイン指揮のニューヨークフィルで、LPレコードである。店内のゴチャゴチャも計算ずくで置いてあるのかと思うほどすばらしい音がする。マーラーの耽美的なメロディと退廃的な情感が見事に響いていた。コーヒー代が350円と安いのにも驚いた。

阿佐ヶ谷を出て、祝日の夕方の混雑の中を渋谷に向かった。渋谷駅に下りたとたん、人ごみの渦の中に巻き込まれながら、道玄坂の途中まで行き、右の路地に入って、「ライオン」にやっとたどり着いた。

「ライオン」は馴染みの店であるが、祝日の食事前の時間で、混んでいた。二階席であの「どでかい」スピーカーの音を聴いた。入ったとき鳴っていた曲はクレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団のブルックナー第5シンフォニーである。「ライオン」でもブルックナーのような大曲を聴くことは少ない。音量が大きいだけで大雑把な感じがした。
次も、お客さんのリクエストに応えての演奏だが、エルガーの「エニグマ変奏曲」をトスカニーニ指揮、BBC交響楽団という古い録音で聴いた。さきほどのブルックナーに比べるととても良い演奏である。これはCDを買って自分の家でも聴いてみたい曲である。モノーラルだが、「ライオン」のシステムに合った曲かもしれない。

午後6時になるとすっかり、暗くなっていた。幹事の Y さんの馴染みの日本料理屋に行って、大反省会をして、一日のスケジュールを終えた。

四つの店を廻ってみたが、名曲喫茶はクラシックを鑑賞するには良い場所である。毎日でも行きたいようなところだ。中央線沿線に住んでいる人たちが羨ましい。こういうお店が中央線沿線に集中しているのは、この沿線には昔からの文化が未だに息づいている証拠なのかもしれない。我孫子にも昔は文化人がたくさん住んでいた時代があった。ただ、それは昔の話であって、現代まで引き継がれていないのが残念である。

以下、幹事の Y さんがまとめて下さった。各店のオーディオシステムのデータである。

第1訪問名曲喫茶  吉祥寺「バロック」
                  ・ VITABOX,タンノイ、蓄音機
                  ・ LP中心
                  
第2訪問名曲喫茶  荻窪「ミニオン」
                  ・タンノイ GRF
                  ・LP中心 トーレンス/オルトフォン                 
                  
第3訪問名曲喫茶  阿佐ヶ谷「ヴィオロン」
                  ・大型バッフル方式にホーンが付いている。
                  コーン紙は3年かけて自分で漉いて作ったものを使用。
                   良い音というのではないが一聴に値する。
                  ・LP中心。菅球アンプ(自作か?)。
                  
第4訪問名曲喫茶  渋谷「ライオン」
               ・自作超大型スピーカー  一階の間近で聴くと天から音が降って来る。
                  ・LP中心。3時から日替わりのコンサートあり。
ヴィオロン  ミニヨン
ヴィオロン                   ミニヨン
ライオン ライオン2
ライオン

真鶴と湯河原温泉

お林展望公園 1お林展望公園 2お林展望公園 3 お林展望公園 4
お林展望公園

旅に出て、なんとなく得したような気がするときがある。一つは思いもかけない美しい風景や場所に遭遇したときである。もう一つは、期待以上にすばらしい旅館に、ゆっくりと泊まることができたときである。

今年は春から夏にかけて、家の改築で行けなかったが、例年は、少なくとも2ヶ月に一度くらいは温泉に泊まる。いつも女房を乗せて車で行くので、それほど遠いところには行けない。せいぜい関東周辺である。

20日の夜、湯河原温泉に一泊した。朝は早めに出たので、湯河原にはお昼に着いた。予約していた旅館のチェックインが3時で昼食をとっても、時間をもてあましてしまう。湯河原の公園もまだ紅葉の時期ではないので、真鶴半島に行くことにした。車で行くとすぐである。カーナビを頼りにして、林の中の半島周遊道路を半島の突端まで車を走らせた。行き止まりに大きな駐車場があって、芝生を敷き詰めた広くてきれいな公園にたどりついた。

車から降りてみると、湯河原ではとても寒かったのに、その公園の中はまるで温室に入ったように暖かい。公園の中は椰子の木や棕櫚、蘇鉄、名は知らないが、大きなアロエみたいな樹木が生えている。海がすぐ下に見える高台になっていた。日差しもあり、海からの風が吹いてくるので、暖かいのだろう。
他には人がいない。広い芝生の中をのんびりと散歩した。空にはとんびが飛んでいて、すこぶるのんびりした気分になった。かなたに真鶴岬と三ツ石が見える。いつもは熱海から見る初島も近くに見える。公園の名前を確かめたら、お林展望公園(おはやしてんぼうこうえん)と書いてあった。 喫茶室がある管理棟の人に聞いたら、ここは平成17年にできたとのことで、その前はサボテンランドというのがあったらしい。夏には、ハワイアンダンス大会もひらかれるという。
この公園から、下のほうに降りて行ったら、真鶴海岸に出るようだ。以前、三ツ石にも行ったことがあるので今回は止めて、宿に戻ることにした。失敗したと思ったのは、昼食を湯河原ではなく、真鶴の新鮮な刺身を食するべきだったことである。町営の「魚座」という店がある湯河原の宿は「ホテル東横」という。私が所属している健康保険組合の契約保養所である。この旅館は、改築してまだ10年もたっていないという。部屋も広くて綺麗で、設備も整っていた。大きい窓からは紅葉しかかりの奥湯河原の景色が全面に見える。
得した気分になるのは、お客が少なくて、広いお風呂を一人で占有できるときである。今回も、三種類の風呂がすべてそういう状態だった。部屋についている風呂も温泉でタイル張りの風呂であった。

翌日は、箱根を周って帰ったが、芦ノ湖畔の紅葉が鮮やかに色づいていて、気持ちの良いドライブが出来た。
戦国原を通って小田原へ下り、小田原城に寄り、その前でそばを食べて、一路東京へ向かった。

芦ノ湖
芦ノ湖

NHK音楽祭に行った

パンフレット プログラム

今年のNHK音楽祭は「華麗なるオペラ・バレエ音楽の世界」と題して、オペラやバレエ音楽を特集している。昨年はモーツァルト生誕250年を記念して、モーツァルト・イヤーと言われただけに、NHK音楽祭も「体感!モーツァルト」だった。モーツァルトを得意とするロジャー・ノリントン、ニコラウス・アーノンクールといった、古楽奏法の指揮者が来日し、クラシック音楽界の話題となった。

私は、昨年は、ノリントン指揮のNHK交響楽団による、モーツァルトをいわゆるノン・ヴィブラート奏法で聴いて、N響のすごさを体感した。

今年はどれにしようかと迷ったが、オペラやバレエ音楽を得意とするオーケストラとして、ドレスデン国立歌劇場管弦楽団とワレリー・ゲルギエフ率いるマリインスキー劇場管弦楽団が来日、演奏する。
プログラムの内容、指揮者とオーケストラの組み合わせで、やはりゲルギエフのほうが魅力がある。
ずいぶん前に予約して、チケットを購入したので、SS席が取れた。実際にNHKホールは満席になっていた。

プログラムの内容はすべてバレエ音楽で、順にチャイコフスキー「白鳥の湖」、プロコフィエフ「ロメオとジュリエット」、最後にストラヴィンスキー「春の祭典」である。すべてロシアの作曲者だ。

印象からすると、最高にすばらしかったのは「ロメオとジュリエット」だった。ゲルギエフが最も得意とする作曲家のプロコフィエフであり、根拠地のサンクトペテルブルグではバレエのための演奏も日常的に行っているのであろう。
この曲は第3番まである組曲として演奏されることも多いが、1番、2番の中から7曲が演奏された。この演奏はさすがと思わせる、なんともすばらしい演奏であった。ゲルギエフとオーケストラの熱の入れ方が直接伝わってきたと云っても良い。

ゲルギエフは見かけによらず、とても繊細な演奏をする。「白鳥の湖」ではその繊細さがよく表われていた。しばしば聴く音楽ではあるが、やはり、生演奏の良さを堪能できた。

オーケストラは「春の祭典」で100名を超える大編成になった。残念なのは「春の祭典」の響が良くない。マリインスキー劇場のオーケストラがNHKホールに慣れていないのだと思う。オーケストラのメンバーは懸命に演奏するが、会場がまるで駄目なのだ。 
「春の祭典」は演奏用バレエ音楽としては最高傑作に属すると思うが、不協和音が多いという音楽の特性が演奏会場を選んでしまう。
今回はSS席の真ん中よりほぼ右よりだったが、全く音が響かない。去年は良い席が取れず、2階の後ろの壁の近くだったが、音の響はそちらの方が良かった。
NHKホールは、この前のサントリーホールに比べると、全く駄目なホールだと思う。歌謡曲とか漫才なんかのようにスピーカーを通すのとは全く違う生演奏をNHKホールの良い席で聴くものではない。SS席は聴くためではなく、ステージの上を観るための席なのだ。あのホールに海外のオーケストラを招くのは日本の恥である。去年聴いたノリントンのモーツァルトはN響だったから良かったと思う。彼らはあのホールに慣れていてそれなりの音を出すように頑張っているのだと思った。

この記事をブログにアップするのが遅れたのは、NHKでの放送を聴いてから、それとの比較も入れて書こうと思ったからである。NHKの本業は放送することであり、放送では最高の音質になっているかもしれないという期待があった。放送は5.1チャネルで聴いたが、NHKホールの悪さがそれほど目立たないだけだった。

「菊水」

菱田春草「菊慈童」

 先週、割烹「きくすい」へ行った。このときの話を書こうと思っていたが、それはまたの話にする。

前に書いた「紅葉狩り」を書いているとき、観世流の謡本を読んでいると、「恥ずかしながらも袂に縋り(たもとにすがり)留むれば、・・・・・、所は山路の菊の酒なにかは苦しかるべき・・・・・」という謡が出てくる。紅葉に袂にすがられて、維茂が引き返して酒宴に加わる場である。ここで、はて、「菊の酒」とはいかなる酒かと訳注を見れば「菊水の酒」とある。

「菊水」については、広辞苑を調べると、中国の故事で「ある川の崖にある菊の露が川にしたたり落ちて、その水を飲めば長生きする」という⇒菊慈童(きくじどう)とある。もう一つは「紋所の名、楠木氏の家紋として名高い」となっている。確かに楠木正成の家紋や旗印は菊水の紋である。
古語辞典を見てみると、
きくすゐ[菊水]—-「菊のしたみづ」。菊の下を流れる水、これを飲めば長生きするという。

いずれにせよ、菊の花を浸した酒を飲めば長生きをするという言い伝えから、重陽の節句(旧暦9月9日:菊の節句)に菊酒を飲むことと深く関係しているようだ。

「草の戸や日暮れてくれし菊の酒」 芭蕉

「山川の菊のしたみづいかなれば ながれて人の老いをせくらむ」 新古今和歌集717 藤原興風

など、数多くの歌が残っている。

謡曲「紅葉狩」に出てきた「菊の酒」は山中で飲んだ酒で中国の故事「菊慈童」に例えており、七五調の韻を踏むために、「菊の酒」としたものと思われる。

「菊水」の出てくる「菊慈童」というのは「紅葉狩」と同じく謡曲である。能の流派によっては「枕慈童」とも云っている。
「菊慈童」は謡曲としては短い謡で1000文字程度である。是非とも原文を読んで謡曲の雰囲気をあじわっていただきたい。観世流の謡を要約すると以下のようなものである。

『酈縣山(れっけんざん)という山の麓から薬水が涌き出たという噂を聞きつけた魏の文帝は、臣下を遣わし、その源を見てくるよう命じた。
 勅命を受けた臣下が山に入ると山奥に庵があり、中から異様な姿の童子が現れた。
 このような狐狼野干(ころうやかん)の住むようなところに何者かと問うと、周の穆王(ぼくおう)に仕えていた慈童だと答えた。周の時代といえば、魏よりも数代以上も前になる。七百年も昔の者がどうして今まで生きているのかと怪しむと、慈童は却ってその事実に驚く。この山に配流となった身であったが、穆王より賜わった枕には二句の偈(げ:韻文の形で記した経文)がしるされており、その偈を菊の葉に書き写したところ、その葉に置く露が滴り流れて、不老不死の霊薬となった。その水を飲みつづけていたため、七百歳を生きていると云う。
 慈童は菊水の流れを汲み、勅使に勧め、自らも飲みはじめる。菊水はいかに飲んでも尽きない酒で、やがて酔い伏してしまうが、目覚めた時、七百歳の寿命を文帝に捧げると、また仙家へと帰っていった。』

この「菊慈童」という謡曲の題材は「太平記」巻13「龍馬進奏の事」に由ったもので、太平記の中では次のように記述されている。

『昔、周の穆王のとき、穆王は8頭の天馬を持っていた。王はこれらの馬に乗って、あらゆる所に出かけた。そして、あるとき、天竺の霊鷲山(りょうじゅせん)で法華を説く釈迦に会うことが出来た。穆王は仏の道に深く帰依して、釈迦より八句の偈(げ)を授けられた。このことはずっと王の心の中に秘して、世に伝えることはなかった。
 この頃、穆王は慈童という童子を寵愛し常に傍らに侍らせていた。
 あるとき、穆王が留守のときに、慈童が誤って王の枕の上を跨いでしまった。群臣が合議して「このような罪は決して浅くはない。本来ならば死罪にあたいするが、誤ってしたことであるから、流罪とする」と決定して、王に奏上した。王はやむなく慈童を障モ縣山に流した。この酈縣山は都より300里、山深くして鳥も鳴かない。雲が蔽い、虎狼が群生するような所で、この山に入った者が生きて帰ったことはないと云われていた。
 穆王は慈童を哀れに思い、釈尊より授けられた八句の偈(げ)のうち普門品(ふもんぼん)にある二句の偈を、ひそかに慈童に授け、「毎朝、十方を一礼して、この経文を唱えなさい」と教えた。
 慈童は酈縣山の深山幽谷に流されるが、王の言い付けを守り、毎朝、授けられた経文を唱えるようになった。また、もし、忘れるようなことがあってはならないと思い、傍らにあった菊の葉にこの経文を書き付けておいた。
 あとで、この菊の葉に置いた露が、わずかに落ち、流れる谷の水に滴って、その水がすべて天の霊薬と変った。慈童が喉が渇いて、その水を飲んでみると、味は甘露のごとく、何物よりも美味しかった。さらに天人が花を捧げに来、鬼神が手を束ねて奉仕するようになった。かくして虎狼悪獣の恐れも無くなり、慈童は羽が生えて仙人に変った。
 加えて、この谷の水が下流に流れ、そのあたりに住む三百余りの家々の住民たちまで病が治り、不老不死と云われるまで長寿となった。
 その後、時代が代わり、八百数余年後も慈童はなお少年そのままの姿を保ち、老いることもなかった。そして、魏の文帝のときに彭祖(ほうそ)と名を替えて、この術を文帝に授けた。文帝はこれを受けて菊花の盃(さかづき)を伝えて、万年の寿を祝った。今の重陽の宴はこの故事に由来している。』

「菊水」というのは新潟の酒にもあるし、京都の祇園祭に使われる鉾にも「菊水鉾」というのがある。いずれも、この菊慈童の話を由来としている。

菊水の紋
   菊水の紋

紅葉狩り

妙義山 紅葉

 根戸エンジョイクラブの皆さんと一緒に、紅葉を見に妙義山へハイキングに行った。

 妙義山は標高は高くない。筑波山より低く856mでしかない。昨年秋のハイキングで登った奥日光の高山が1668mだから、本当の低山である。だが奇岩怪石に富み、険峻な岩山の尾根を縦断するのは北アルプスの穂高を登るより危険だと言われている。最も一般的なコースと言われる石門めぐりコースでさえ、クサリをたよりに登らなければならない。
 今回は紅葉見物が目的なので、中之岳神社から「関東ふれあいの道」をたどって妙義神社までのハイキングコースを歩くことになった。体力的には昨年の高山より楽であったが、岩だらけの道や狭いはしごがなどがあって、危険な場所も多かった。私はビデオ撮影をやったので、みんなの前に行っては撮影を始め、通り過ぎるまで撮影して、また追い越して先頭に行くの繰り返しだった。健康で、体重が軽いことの有難さを味わった一日だった。紅葉はやや早かったのかもしれないが、近所の皆さんと一緒にハイキングをするのも健康的で楽しいものである。

 行きのバスの中で、紅葉を見るのを何故、「紅葉狩り」というのだろう?という質問がでた。「狩り」というのは鹿狩りとかイノシシ狩りとかの狩猟か、いちご狩りやみかん狩り、きのこ狩りなどの実やきのこを採ってくることに使う。なんで紅葉狩りというのか素直な疑問になる。ここで思い浮かんだのが、内田康夫氏の作になる推理小説「戸隠伝説殺人事件」であった。この小説の中に、「紅葉狩」という謡曲が登場する。さらにこの謡曲のもととなるのが「戸隠伝説」である。この話を絡めて、何十年も前の戦争中にあった誰も知らない陰湿な事件がおおもととなって連続殺人事件が起こるという筋書きである。

 謡曲「紅葉狩」というのは『ある山で、上臈らしい女が侍女たちとともに木陰に幕を打ちまわして、紅葉狩りの酒宴をしていると、従者を連れて鹿狩りに来た平維茂(たいらのこれもち)が通りかかり、山中での女たちだけの紅葉狩りを不審には思ったが、興を妨げまいとの心遣いから、馬を下り、道を変えて、静かに通り過ぎようとすると、上臈が維茂を呼び留めて酒宴の仲間に誘い入れる。美人の酌に思わず盃を重ね、うっとりとして、終に維茂が酔い臥してしまうと、女たちは、そのよく寝入ったのを見届けて姿を消した。やがて、維茂の夢の中に神のお告げがあり、それに驚いて目を覚ますと、今までの女たちは恐ろしい鬼の本体を現して維茂を襲ってきた。然し、維茂は少しも騒がず、八幡大菩薩を念じながら立ち向かい、遂に鬼を討ち平らげる。』(「観世流初心謡本」より引用)という単純なストーリーである。謡曲の中ではそれだけだが、ここから、『紅葉の美しさを愛でて山を探索したり、宴席を設けたりすることを「紅葉狩り」というようになった』とバスの中で説明した。

 この鬼女「紅葉(もみじ)」について、戸隠の鬼無里(きなさ)に伝わる「紅葉伝説」というのがある。

◇美貌と才知に恵まれた姫の末路
 平安の昔のことです。承平二年奥州の会津に生まれた少女呉羽(くれは)は子のなかった夫婦が魔王に願って生まれたためか輝く美貌と才知に恵まれて育ちました。やがて紅葉と名を改めた彼女は、両親と共に京の都に上り美しい琴の名手として都中の評判になり、源経基公の寵愛を受けるようになりました。
 しかし紅葉は正妻を呪術で除こうとして事が露見し信州・戸隠山へ流されてしまいますが、都への思いが断ち難く配下を集めて力を貯えます。これを聞いた朝廷は、平維茂を追討に差し向けますが住処もわからず、神に祈って矢を放った維茂は落ちた方角に進みます。待ち構えた紅葉たちは美しく装って毒の酒をすすめたところ維茂に見破られ、鬼女の正体を現したところを討たれて果てました。……戸隠では、紅葉ゆかりの地が数多く残されています。

(以上、「紅葉伝説」は戸隠・鬼無里のホームページより引用)

 妙義山ハイキングは好天にも恵まれて、無事、妙義山神社に着いた。残念ながら妙義山神社は修復中で日光東照宮に似た立派な社を見ることができなかった。その近くの日帰り温泉でゆっくり風呂に入り、お酒を飲んで帰った。

鬼女  紅葉と平維茂