一昨年秋に京都・奈良を旅して以来、久しぶりの関西旅行になる。
今年は1月頃、桜の時期に行くつもりで予約していたが、春は海外からの観光客で混むので、新緑の季節、五月の葵祭の時期にした。
京都は何度も行っているのに、葵祭りを見るのは初めてである。
さらに、いつもの奈良も興福寺の中金堂の再建後の姿を見たかったが、それをやめて、大阪に宿泊することにした。大阪で是非とも行ってみたい場所があったし、友達にも会いたかった。
大阪のホテルは「スーパーホテルPremier大阪・本町」にした。昔、私が単身赴任で勤務していた、信濃橋ビルのすぐ近くである。今は、IBMの大阪事業所は中之島に移っているそうだ。
いつもは、「プラットこだま」でゆっくり本を読みながらであったが、今回は「のぞみ」にした。あっという間に着いて、本を読む暇もないくらいである。
3時過ぎにホテルに着いたので、ゆっくりお風呂に入り、昔、同じ部署にいたTちゃんを待った。大阪は狭いので、簡単に来れるようである。二人分の夕食を予約していた、その「京町料理みつや」も靭公園のすぐそばで、着くのが早すぎて、公園のベンチで昔話に耽けった。大阪で暮らしたのは二年間、もう30年にもなる。
予約したお店には「醸し人九平治」や「磯自慢」も置いてあるが、取り寄せると云ってくれたので、「風の森」を頼んでおいた。カウンター席でずいぶん飲んだ。
阿部野神社
ホテルから四ッ橋線で大国町、御堂筋線で動物園前、阪堺線で天神ノ森というルートで阿部野神社に行った。
この神社は北畠親房と北畠顕家を祀っている。この近くの住所も「北畠」という。この神社は吉川英治の「私本太平記」を読んで以来知っていたが、数年前に北方謙三著「破軍の星」を読み、主人公である北畠顕家のファンになってしまった。以来、是非とも一度はお参りしたい神社になった。
この地は北畠顕家が足利尊氏方の高師直率いる八万の軍に向かって、わずか80騎で突進し、21歳の若さで討ち死にした場所である。
この神社は本殿が修復中だった。お参りをして、御朱印をいただいて引き返した。さすがにここには観光客も少なく静かだった。この後、大学の同級生のOさんと昼食をとる約束になっているが、Oさんご家族が氏子として、多くの鳥居や灯明、玉垣にもそのお名前が刻されていた。
昼食は二人で、心斎橋にある蕎麦店でお酒を飲みながら、語り合い、二人とも飲みすぎてしまった。
葵祭り
10時前に宿を出て、下賀茂神社に10時半頃に着いた。JTBで観覧席を確保していた。11時に着席して、行列を待った。後ろから2番目の席で写真を撮りにくそうだったが、結局立って撮ることができた。
この葵祭は平安初期に始まった上賀茂神社と下鴨神社の例祭で、加茂祭とも云う。宮中から派遣された勅使が参宮した祭りに始まっている。『源氏物語』や『枕草子』にも登場する。この祭りは承久の変で廃止されたが、徳川になって元禄の時期に復活し、現在に至っている。
伊勢神宮の斎宮として現在、紀宮清子(のりのみやさやこ=黒田清子)様が祭主を務めておられるが、賀茂神社の斎院は葵祭りのときだけ、民間の20代の未婚の女性が斎王代となり、祭祀を執り行う。
民間と云っても、京都ゆかりの名家の令嬢が斎王代に選ばれている。今年は令和元年にあたるが、村田製作所勤務の負野李花(おうのりか)さん(23)、香木店「負野薫玉堂(くんぎょくどう)」社長の次女が選ばれた。
伊勢神宮では斎宮と呼び、賀茂神社では斎院と云うが、ともに斎王と称し、昔は内親王など皇室ゆかりの女性に限られていた。
この行列は御所を出発し、下鴨神社を通り、上賀茂神社まで平安朝の衣装、束帯や直衣姿で徒歩や馬に乗り、斎王代は十二単衣で輿に乗って巡行する。
全員が通り過ぎるまで約一時間程かかった。
京都の寺社巡り
桜や紅葉の時期に来るので、その名所が多いが今回は、新緑のシーズンで、有名な所は修学旅行の中学生で賑わっていた。私はいつものように行き当たりばったりである。
京都新聞に仁和寺観音堂の修復が完了したので、特別記念公開しているという記事が出ていたので、仁和寺に出かけた。十一面千手観音菩薩と脇侍、28部衆、その前に風神、雷神像が鎮座していた。特別公開の目玉は、観音障壁画と、地獄絵図とのことである。
その他、京都守護本陣のあった金戒光明寺、知恩院の隣の青蓮院門跡、修学旅行で学生の多い三十三間堂(蓮華王院)と廻った。三十三間堂は平家物語でも高名な後白河上皇が建立した法住寺殿の一郭にあった蓮華王院本堂である。当時は、五重塔もそびえていた本格的な寺院であったが、この本堂を除いて、すべて焼失している。
この三十三間堂の中には、本尊である千手観音菩薩坐像と1001駆の千手観音立像、28部衆立像、風神・雷神像が国宝に指定されている。1001体の千手観音立像がすべて揃っているのは、2018年に国宝指定になってからで、その前は、いつも、数体は他の場所で展示されていたようである。















