黒皮の手帖 (拐帯行)

以前に松本清張原作の「黒川の手帖」、武井咲主演版についてブログに書きましたが、その前の米倉涼子版で続編がドラマ化されたので、同じように武井咲主演の続編がドラマ化されることを期待していました。それが、「黒革の手帳」(拐帯行)として放映されました。
「黒皮の手帖」本編で、主役の原口元子が検察から恐喝・横領罪で逮捕されるところで終わったのですが、「拐帯行」では3年の刑期を終えて、スーパーのパートとして働き始めるところからスタートします。
マスクをして、人目につかないようにしますが、楢林クリニックの看護師長、中岡市子に見つかってしまいます。
元、銀座のクラブのママをやっていたわけで、その美貌は隠し切れないことがわかって、どこか遠いところへ行こうと決めた所が、金沢です。
ただ、金沢に行ってもビルメンテナンスの仕事中に『上星ゼミナール』理事長、橋田常雄に見つかってしまいます。橋田からは銀座でしつこくからまれていたのですが、彼も金沢の経営者、神代グループのCEO、神代周吾にアプローチしていたのです。橋田から神代を紹介されて、元子は神代配下の高級クラブ『アルテローズ』に入ります。そしてその美貌はたちまち評判となり、神代の引きもあって、数か月でそのクラブのママになってしまいます。

このドラマで登場する、もう一人のキーパーソンが、森村隆志です。森村の父が経営する喫茶店が神代に潰され、母も危篤で間もなくなくなります。
森村は神代グループの得意先名簿をパソコンから盗み出しますが、売っても大した金にならず、元子の店で、最も高い酒をくれと言うのですが、元子から「その程度の金では神代はビクともしない」と言われます。そこからは元子と森村がタッグを組んで、神代の愛人を騙して、料亭に連れ出し、その店のオーナーに元子がなりすまし、森村が不動産屋に扮して、3億円で売りたいと話しかける。その愛人は神代にそのお金を払ってほしいとねだり、神代は税金対策と称して額縁の裏に隠していた3億円を愛人に渡します。
騙し取った3億円をスーツケースに入れて元子がクラブに戻ったところを、橋田が来てそれを奪い取ろうとしますが、森村が橋田を花瓶(?)で殴り、元子と一緒に海辺の旅館に逃げます。 夕日の沈む海辺で、森村と元子は仲良く散歩する佐藤夫妻と逢って、夕食を共にするまで仲良くなります。
旅館に戻った森村は新聞で橋田が殺されたことを知り、自分が殺人犯だと思い込みます。翌朝、警察が、旅館に来たのを知った、森村は、元子と一緒に旅館の崖に面したテラスに逃げて、一緒にそこから身を投げて死のうと云いますが、元子は「死ぬのはいつでもできる。でも、死んだらそれで終わりよ」と諭され、一緒に玄関まで行くのですが、警察に捕まったのは佐藤夫妻であった。
佐藤夫妻も息子の医大受験で、橋田に800万円を騙し取られていたのです。佐藤が橋田に、それを返してくれとつめ寄った弾みに、ビール瓶で殴りつけ、それが死因となったのでした。

新型コロナ感染症の4年間

    日本で最初に新型コロナウイルス患者が発見されたのは、2020年1月16日に武漢から帰国した、神奈川県在住の日本人であった。
     新聞などで騒がれだしたのは、2020年2月3日に横浜港に帰国した11万5000トン、3800人乗りの豪華客船「ダイヤモンド・プリンセス」に風邪に似たコロナ感染症の蔓延を発見した1月末のことである。

    この感染症は高齢者の罹患率が高く、重症化しやすく、人口心肺装置を使わなければ、死に至る病であることと、感染しやすいことで、一刻も早く、設備の整った大病院で隔離しなければならない点にある。
    この感染症は2019年末に中国の武漢で発見され、武漢市全体が封鎖されるほど患者が増加し、世界保健機関(WHO)が緊急事態宣言を発令していた。日本でも「ダイヤモンド・プリンセス」の事件を知って対策本部が設置された。
  「ダイヤモンド・プリンセス」には一人の中国人が香港から乗船したことも明らかになった。

    WHOではこの新型コロナ感染症を「COVID-19」と命名し、世界的な流行に対処することを感染者の発生した各国に通告した。
  日本でも、2月半ばに屋形船での新年会や病院内で集団感染(クラスター)が発生した。問題は、感染の速さや、死者の多さで、人工心肺装置のような高度医療体制の整った病院とその保有するベッド数では足りなくなることであった。
  3月になると、小中学校が早い春休みにはいり、WHOも「パンデミック」(世界的大流行)宣言を発した。
  この年は2回目の東京オリンピックが予定されており、全国民が期待していたが3月24日には延期が決定された。

    4月になると患者が急増し、中旬には新規患者数が708人に達した。これが新型コロナウィルス感染症第1波のピークになった。この時点で、政府の緊急事態宣言が全国に発令され、不要不急の外出や、宴会やパーティは禁止されるようになった。
  会社員はできるだけ、自分の家の中でパソコンを使って仕事をするようにし、会議も画面に向かってリモートで会議することが奨励されるようになった。
  5月に入ると大型連休も手伝って、繁華街は閑散となり、6月中旬まで新規感染者数も減少していった。
  しかし、6月下旬頃から、繁華街やリゾート地などで、患者が増え始め、7月に入って、8月になるまで患者数が急増、第一波を超える1600人にもなった。これが新型コロナウィルス感染症第2波となったのである。
  この年は、10月頃まで減少傾向になったが、その後またもや、増加に転じて2021年1月8日に8050人のピークに達した。これが新型コロナウィルス感染症第3波である。ここで、政府は第2回目の緊急事態宣言をだした。

    この長かった、ウイルス禍の一年が過ぎて、2月になって、ようやく米ファイザー社によってワクチンが開発されたのである。3月に医療関係者からワクチン接種が開始され、4月に我々一般人もワクチンの恩恵に預かるようになった。
  東京オリンピックはこの年、2021年7月23日に開催され無観客の開会式になった。
    2020年1月から2023年1月までの3年間に新型コロナウィルス自体も変異し、最初の武漢・欧州型から、アルファ株、デルタ株、オミクロン株となっており、新規感染者数は第8波まで、増減を繰り返し、1日で最大26万人(第7波)になった。重傷者数や高齢者の死亡率も減じていった。

    2023年になると、新型コロナウィルスも普通のインフルエンザと同じ扱いになり、第5類感染症といわれるようになったのである。
  新型コロナウィルスという名前はなくなったが、インフルエンザは残っている。実態は同じと思った方が良い。今でも多くの人がマスクをかけている。

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ご回答をありがとうございました。 ✨

動画テスト


Flickrから直接ブログに埋め込むテストをした。以前使っていたVOXが無くなり、TypePadにとりあえず移してもらっていた動画が使えなくなるからだ。(TypePadが有料になる)
動画はFlickrから直接持ってきてもよいし、一旦Downloadして、YouTubeやFC2動画にUploadして、そちらからブログに埋め込むこともできる。但し、Flickrの動画は最近出てきた機能で、一つの動画あたりの容量が少なく、最初から動画を投稿するならYouTubeやFC2の方が良さそうだ。
機能的な面では、FC2ブログは以前使っていたVOXブログに比べると、動画や写真の管理が統合されていないので面倒な感じがする。それに写真のレイアウトを変えたり、写真の下にタイトルをいれるのにはある程度のHTMLの知識を必要とする。他のブログサイトも同様だと思うので、VOXブログが出来すぎていたのかもしれない。無料のVOXが有料のTypePadより優れていたとしたら、共に運営しているSixApart社としても困ったことになったと思ったのだろう。
なんとか、4月上旬にTypePadにリンクしていた動画や写真をFC2に移し終わった。

日展2010


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今年も日展を見に行った。出展される作品は、毎年、同じような傾向ではあるが、見る度に心が洗われるような気がする。写真を撮影するのも部分的にクローズアップすると、その作品の特徴をより明確にすることができることに気が付いた。次からは額縁にとらわれることなく、自由に撮影することにしようと思う。

Homecoming  Day

 久しぶりに大学の同窓会に出席した。卒後45年目の校友を中心にして招待された。戸山キャンパスにある記念会堂で、ホームカミングデー記念式典が10時から始まった。大学の総長や校友会会長の挨拶などがあり、校歌や応援歌を歌って式典は終了した。かなり広い会場だが、満席であふれるほどであった。
 式が終わって、4年生の時の卒論研究室の仲間が集まることになっていたが、5人のうちS君の携帯の番号がわからず、残りの4人で大学の構内をぶらぶらと歩いた。途中で同じ学科だったI君も一緒になって、昔、研究室があった校舎やしばしば講義を受けていた材料技術研究所(当時は鋳物研究所と称していた)にも行ってみた。ここがそうだったのかと思うくらいで、すっかり忘れてしまっていた。
 I君以外の同じ学科の連中とは会えなかった。我々41年卒のF研の仲間が集まったのは、結束力が強いからではなく、今月、F先生がお亡くなりになって、S君が中心になり9日のお通夜で一緒になったからである。お通夜のときは、山形に住んでいるK君は来れなかったが、Homecomming Day には姿を見せてくれた。
 これまで、ほとんど会うことがなく、年賀状だけの付き合いになっていたが、同じ研究室の仲間というのは良いものである。別れるのが惜しくて、山形に帰るK君を送って、東京駅まで行き、新丸ビルでコーヒーを飲んだ。K君が山形へ帰ったあとは、私とM君で銀座の「酒の穴」へ行った。ここの利き酒セットは普通はまず飲めないような地酒を出してくれて、お酒の量もつまみの料理も手頃で値段も安い。

尾瀬、草紅葉の秋

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10月初めの尾瀬、草紅葉で黄金色に包まれる風景を期待して登った。尾瀬に行くのは多分、20代の頃以来である。昔、登山や旅行雑誌に掲載されていた尾瀬の草紅葉の写真、木道の周りをはるかかなたまで黄金色の草で囲まれている風景を見るのは長年の憧れであった。それを最新の一眼レフカメラで撮影できるというのは写真雑誌の世界でもある。

  新聞の広告に載っていた「日帰りで行く尾瀬」の広告を見て、衝動的に申し込んだ。天気次第で写真は勿論、旅行そのものの気分も変わる。幸いなことに好天気とはいかないけれど、薄曇り、時々晴れの天気であった。朝6時50分に我孫子発のバスで関越道を通って、登山口の鳩待峠に着いたのが11時である。それから山を登る、というより、峠を下る。帰りが心配になるほど、下りっぱなしである。一時間程で、左に至仏山の紅葉が見えるようになったら、すぐに「山の鼻」に着いた。
    ここには公衆トイレがあり、観光センターや国民宿舎もあった。ベンチに座って昼食をとる。食事を終えて、すぐに尾瀬ヶ原の木道を歩く。木道に入ると一面、草紅葉の世界になった。日光の戦場ヶ原の草紅葉(?)は数年前に歩いたが、あそこは草が枯れていたのに対して、こちらは草がまだ枯れずに、紅葉になっている。気温や湿原の水の影響で、枯れずに紅葉するようだ。日光でも小田代ヶ原まで行けば、草紅葉が見れるという。いずれにしろ、草が紅葉して見える期間はほんの少しの間のようだ。尾瀬でも10月初めから山小屋が閉じ始める10月半ばまでのようである。
    尾瀬のもう一つの魅力は何といっても、点在する池塘とその水面に浮かぶヒツジ草、そのあいだに写る青空、山や紅葉した木々の景色である。ときどき、エゾリンドウや吾亦紅(ワレモコウ)の花を見つけた。リンドウと同じ色のトリカブトの花も綺麗だ。 日帰りのバスツアーで帰りの集合が3時半だと云うので、2時頃に牛首分岐に着いて、ほんの少し休憩したあと、同じコースを鳩待峠に戻った。名残惜しくて、帰りの木道はずいぶん短く感じた。行きでどんどん下った分だけ、帰りの登りは大変だと思っていたが、意外と簡単に戻ることができた。 3時半になると、この季節はもう夕暮れになってくる。バスに乗っている時間が9時間、歩いたのが4時間半だから、ほとんどがバスの中で過ごしたわけだが、小説を読んでいたので、退屈せずに済んだ。 

    尾瀬と云えば、水芭蕉の花が咲く6月からニッコウキスゲの群落に囲まれる8月初め頃が最も良い時期である。私が若い頃は、沼田まで夜汽車を使い、路線バスを乗り継いで、戸倉経由で大清水まで行き、大清水から三平峠を越えて長蔵小屋までたどり着いた。尾瀬沼の周りを散策して、帰りは尾瀬ヶ原を突っ切り、富士見峠まで登るのが普通であった。 
     このコースはかなりの距離を歩くので、当然のことながら、登山をする覚悟が必要で、日が短くなる秋に尾瀬に行くことは少なかった。今は鳩待峠までバスで行けるので、多くの観光客が尾瀬を訪れて、高山植物の群生する広大な景色を見ることができる。木道も整備されており、登山の雰囲気は薄いが尾瀬に来たという気分は満喫できる。ただ、夏のシーズンは木道が人で混雑して、ゆっくり写真を撮っている暇もないのかもしれない。

工芸展

 日本新工芸展を観るために、国立新美術館に行った。日展を見に行って、絵画や彫刻と一緒に工芸を鑑賞することはあっても、工芸だけを見ることはあまりない。昨年、大宰府へ行ったときに九州国立博物館で九州の工芸展を観て以来である。

 工芸を定義するのは、かなり難しそうであるが、一般的に陶磁器や染色、金工品、織物、竹細工などである。また、販売のために大量生産するものではなく、趣味や美術として手作業を中心として創作されるものである。昨年、九州国立博物館で観たのは物故者も含めて、現在活躍中のプロの作品展であるが、今回の展覧会は、日展に比するべきレベルの工芸だけの展覧会のようである。

 工芸の写真は、写真そのものも美しくブログの中で紹介するのも誇らしい気になる。