仁和寺から次は妙心寺に行くつもりだったが、昼までには時間がある。今日の帰りの新幹線は17時5分発のこだまで、妙心寺に寄っても時間を持て余す。花の時期の龍安寺には行ったことが無かったので、龍安寺前行きのバスに乗った。
山門を入り、左に鏡容池を見て、道を真っ直ぐに行くと、庫裡へ登る石段がある。庫裡の中に入ると、すぐ横が方丈になっていて、その前に、有名な石庭が見えた。
日本庭園は池泉回遊式庭園と枯山水、それに茶室などに見られる坪庭の三種類に分けられる。金閣寺や天龍寺などは典型的な池泉回遊式庭園で、庭園内の景色だけではなく、借景と云って、その後ろに見える自然の景色まで取り入れて鑑賞することができる。
一方、枯山水は池や樹木は無く、石組みと砂利、植物は苔だけの場合が多い。自然を石と砂だけで表現するのである。これは禅寺に多く、内面的な思考を重視する禅宗の思想にマッチした庭園形式である。枯山水の庭としては、この龍安寺の石庭は最も有名である。とくに、ここの石庭は四方が築地塀(ついじべい)で囲まれており、石組みと砂と苔だけで独立した庭になっているのが特徴である。枯山水として有名なもう一つの庭、大徳寺、大仙院の庭が石の形や模様で自然を表しているが周りに樹木を配置して、全体で大自然の山や海、川、滝、あるいは舟や橋を表現するのとは対照的である。枯山水の庭はほとんどが、回遊式庭園の一部として存在する。大徳寺、大仙院の庭園だけでなく、西芳寺(苔寺)の庭園や妙心寺、退蔵院の庭園もそうである。
龍安寺の石庭は枯山水の典型として取り上げられるが、それは方丈の前の土塀に囲まれた庭だけであって、龍安寺全体を地図で見ると、池泉回遊式庭園であることがわかる。池としても大きい鏡容池を持っており、周りには多くの桜やシャクナゲ、楓などの樹木が植えられ、衣笠山などの山々に囲まれ、借景にも恵まれている。
石庭に向かう方丈の縁側は拝観客で混んでいた。写真を撮る場所もないほどだったが、まもなく、一番前の席が取れた。石は15個あるそうだが、大海に浮かぶ島のように、それぞれが自己主張をしているようだ。枝垂れ桜が土塀の外から内側に垂れている。龍安寺の桜とはこの一本の桜のことを云う。今回はこれを見たくて、立ち寄ったのである。この枝垂桜と東西約25メートル、南北約10メートルの枯山水の庭、それに庭を囲む土塀の景色である。土塀は、油の中に投じて油を染み込ませた土でできており、染みでた油が面白い景色を描きあげている。この油土塀がなければ、龍安寺の石庭は普通の枯山水の庭にすぎないだろう。この土塀があるおかげで、枯山水の庭が主体性を発揮することができ、世界遺産に認定されたのだ。石組みの配置もいつの頃からこのようになったのか不明である。ただ、白砂の中にいくつかの石がまとまって、点在する光景は禅の心がわからない者に対しても心和ませてくれる。
方丈の裏に廻ると、樹木と苔におおわれた庭になる。水戸光圀が寄進したというつくばいがあり、それに被さるように侘助椿の老木が立っている。
外に出て、庫裡の写真を撮影していると、背の高い女性が近寄ってきて、カメラのシャッターを押して欲しいと言ってきた。彼女も一人旅のようだ。なかなかの美人である。彼女はこれから庭園を見に行くようである。私は鏡容池の写真を何枚か撮り終わって、仁和寺行きのバスに乗った。仁和寺前でバスを降りようとするところで、同じバスの中に先ほどの女性を見つけた。彼女は先に下車して、二王門の写真を撮り始めた。私はこれから妙心寺に向かう。いささか残念だが、ほんの少しのふれ合いであった。
東響定演第590回での諏訪内晶子
3月23日に予定されていた「ロン・ティボー国際音楽コンクール ガラ・コンサート」に行く予定であったが大震災のため中止になり、6月11日、今年初めてのコンサートを聴いた。場所はサントリーホール、演奏はクシシュトフ・ウルバンスキ指揮東京交響楽団。バイオリン協奏曲の独奏者は諏訪内晶子である。諏訪内が出演するコンサートはほとんど満席になるが、今回は90%程度の込みようであった。満席にならなかった原因は、多分、曲目があまり知られていないことだったと思う。
最初はルトスワフスキ作曲の「小組曲」、二番目の曲がシマノフスキの「ヴァイオリン協奏曲第2番」、そして最後がショスタコーヴィッチの「交響曲第10番」である。ルトスワフスキの名は日本ではほとんど知られていないが、ポーランドでは代表的な作曲家の一人である。また、シマノフスキもポーランドの作曲家で交響曲やピアノ曲で名が知られている。ショスタコーヴィッチはソヴィエトの作曲家として有名だが、「第10番交響曲」はスターリンによる形式主義批判に開放されて作曲した最初の交響曲で「交響曲第5番」についで有名な曲である。
このような曲が選ばれたのは、指揮者のウルバンスキがポーランド人であり、まだ29歳という若さで、極めてエネルギッシュな指揮をすること。すでに日本でも2009年11月に大阪フィルの定期演奏会でショスタコーヴィッチの第10番を振っており、このときの解放感に満ちた演奏で、圧倒的な支持を得たためであろう。今回の演奏会も勿論、ほとんどの観客が諏訪内晶子の演奏を聴きに来た人達であったと思う。シマノフスキの曲は彼女のCD「メロディ」に収められているヴァイオリンとピアノのための曲「神話-3つの詩」がある。シマノフスキの「ヴァイオリン協奏曲第2番」は単一楽章で、独奏部と合奏部がより明確に分かれているようである。合奏部では昨年のブルッフや一昨年のシベリウスと同じく、諏訪内のヴァイオリンがオーケストラをぐんぐん引っ張っていくと思っていたが、指揮者のウルバンスキの若さにやや負けていたのかもしれない。それより彼女の円熟味が増して、若手の指揮者を立てる演奏に変わっているのかなと思った。とは云っても独奏部での緊張感や高音の美しさは昨年とちっとも変わりはない。昨年3月の衣装は真紅のドレスで彼女のスリムな体型を引き立てていたのに、今回は落ち着いた色のコバルトグリーンにスパンコールをあしらった衣装に変っていた。体型もやや円みを増したのかもしれない。アンコールで演奏した、バッハの無伴奏バイオリンソナタは彼女の技量が落ちてはいないことを証明していた。
最後の曲になるとなんとなく眠くなってしまうことがあるが、約1時間もの間、そのようなことはまるで無かった。ウルバンスキのショスタコ10番は凄いの一言につきる。東響のオーケストラとしての実力はN響に負けないものを持っていると思うが、その実力を最大限に発揮させる指揮であった。この曲のCDを買ってもまずこのような圧倒的な音響を引き出すことなどできようがない。やはり、サントリーホールで聴く大音響でなければならない。出だしの陰鬱な雰囲気のするこの曲が、最後は歓喜に満ちた熱狂的な演奏で終わった。ブラホーの声と拍手がなりやまなかった。
初夏の尾瀬
朝4時45分に起床。6:39の電車に乗った。我孫子始発の車両に乗るために人が並んでいた。こんなに早いのかと驚いた。私がサラリーマン時代は、家を出るのが7時20分頃で40分の電車に乗れば会社に間に合った。今は節電のため始業時間が早まっているらしい。
松戸駅前に7:15に集合になっていたが、十分に余裕があった。尾瀬の入り口、鳩待峠に着くのが11時頃である。約4時間のバス旅行になる。お隣りの席もお一人さんで、仲間がみんなキャンセルしてしまい、一人になったとおっしゃっていた。他はほとんど夫婦や団体客である。お隣りのKさんは、気さくな方で、話も合いそうだった。昨年の秋に尾瀬に行ったときは、お隣さんが無口な人で、私はずっと小説を読んでいた。今回も小説は持参したが、結局、開くことも無かった。
鳩待峠に着いたのは11時を少し回っていた。ここから、尾瀬ヶ原の入り口でロッジや案内所、休憩場所もある山ノ鼻まで、どんどん下る。帰りが心配になるほどの下りばかりだが、昨年来ているので、心配せずに下りましょうとKさんと一緒に山ノ鼻まで行き着いた。鳩待峠から山ノ鼻まで、道は整備されていて、ほとんどが木道になっているが、往復の木道は結構混んでいて、前の団体を追い越すのが大変だった。山ノ鼻の休憩所はベンチも満席に近いくらい混んでいたが、昼食をとるのに困るほどではない。昼食を済ませて、尾瀬ヶ原に入っていった。
去年の秋と違って、木道の脇は枯れ草になっていて、みんな横に倒れている。秋の草紅葉が枯れて、その上に雪が積もり、枯れ草が寝た状態になったのだとわかった。それに、昨年は池になっていた所が水たまりになっている。池塘がみんなこうなるのかと心配したが、それは違っていた。尾瀬ヶ原の中に入って行くと、池塘が現われてきた。秋と同じだ、違うのは紅葉ではなく、枯れ草が寝ている光景だけだった。もちろん奥に見える山の光景も紅葉ではなく、新緑である。ダケカンバの林は新芽が出ようとしていて、枯れたように見える。新緑と枯れた木の対称が綺麗である。Kさんが「東山魁夷の世界ですね」とおっしゃる。なるほど、新緑の淡い緑とダケカンバの林の色がそんなイメージを抱かせてくれる。さらに、池塘にその風景が写りこむと、東山魁夷の絵になる。この光景を青みがかったようにすれば、全くの東山魁夷になってしまう。すぐそばに見える至仏山はまだ半分は雪で覆われていて、うまく緑とマッチして美しい。木道の行く先に見える燧ヶ岳も雪が少し残っている。尾瀬は半年が雪に覆われた世界で、半年で一年になってしまうため、植物の春夏秋冬も慌ただしく変化する。今はミズバショウの世界だが、来月になるとニッコウキスゲになる。今は枯れ草の中にニッコウキスゲの葉がやっと見え始める時期でもある。8月中旬の何も無い時期が来て、9月になると紅葉が始まる。
この時期、初夏の尾瀬が最も人気のある季節である。代表的な花、ミズバショウの花が咲き誇り、他の花も一斉に咲き始めるからである。尾瀬ヶ原の中の木道はさほど混んではいなかった。平日だからだと思う。休日はきっと前がつかえて、写真を撮ることさえできないのかもしれない。山ノ鼻にたどりつく前からミズバショウの群生が見られたが、尾瀬ヶ原にはたくさんの池塘があり、浮島の光景、水に映る新緑とダケカンバの山々、池塘の周りのミズバショウの群生と写真の題材に事欠かない。夏にはヒツジグサが浮き、トンボが飛ぶのだが、そこまで求めるのは贅沢だ。木道をたどって、牛首分岐まで来ると多くのハイカーが休憩している。そこで、Kさんと一緒に記念写真を撮ってもらい、山ノ鼻に戻った。バスの中でガイドさんが、時間的に無理と云っていた植物見本園も見る予定である。3時に山ノ鼻を出れば、集合時間の16:20には充分間に合う。山ノ鼻に着いてまだ余裕があったので、植物見本園を廻ることとして、至仏山の方向の道へ入った。尾瀬ヶ原のような広大な景色ではないが、ミズバショウの群生が見事だ。しばらく歩くと、黄色い花、リュウキンカの群生を見ることができた。Kさんも、私もこれで充分に満足な気分になっていた。3時に山ノ鼻を経ち、上りばかりの道を汗をかきながら登り、鳩待峠に4時頃に着いた。
恥ずかしき日本人
イソップ寓話の中に「オオカミ少年」という、有名なお話がある。「羊飼いの少年が、退屈しのぎに『狼が出た!』と嘘をついて騒ぎを起こす。大人たちは騙されて武器を持って来て、『オオカミはどこだ~』と騒ぎ出す。それが面白くて少年が繰り返し嘘をついたので、本当に狼が現れた時は大人たちは信用せず、誰も出て来なくなった。そのため、その少年は狼に食べられてしまう」というあらすじである。小中学生の頃、悪ふざけで嘘をつき、それを信用して困った顔をすると。「バーカ、騙された! 騙された!」と面白がる子供がいたものだった。
6月2日にそんな子供ではなく、大の大人の話が、新聞の第一面で報道された。菅直人首相の話である。この日、正午過ぎに民主党代議士会で、首相は東日本大震災の復旧・復興と東京電力福島第一原発事故の対応に一定のめどがついた段階での退陣を表明した。これを受けて、鳩山前首相から、この日に野党から提出される予定になっていた内閣不信任決議案に反対するよう呼びかけがなされた。それまで、鳩山氏も小沢一郎元代表も賛成の意向を表明し、民主党の造反議員は90名を超えると予想され、衆院本会議で内閣不信任案が通過し、菅内閣が総辞職するか、解散総選挙になるかのどちらかになっていたのである。
賛成から反対に変わった、鳩山氏は午前中に菅首相と首相官邸で会談をして、一枚の文書を差し出し、サインまで求めていた。「同じ身内の話で、署名まではいらないでしょう。私を信用して下さい」の返事に、サインはなされなかった。この会談で、「復興基本法が成立し、第二次補正予算案のめどがついたら退陣していただきますか?」に対して、「分かりました、合意します・・・」の約束がなされた。この時期に、衆院解散総選挙は不可能に近い。また、総辞職しても、このままでは民主党が分裂し、自民党に内閣を明け渡しかねない。鳩山氏としては首相の自主的な内閣総辞職が最も望ましいところだった。上記の条件なら、6月中にでも内閣総辞職がなされ、菅首相の退陣も可能である。
結局、衆院総会ではそれまで賛成に廻っていた民主党議員が、鳩山氏の呼びかけで鞍替えし、賛成「152」反対「293」で内閣不信任案は否決された。
ところが、採決後の記者会見で、首相はしてやったりと満面の笑みを浮かべ、「鳩山氏との会談ではそういう話もあったが、約束はしていない。文書には退陣の時期などどこにも書いていない。一定の『めど』とは原発が冷温停止になった頃だ」と述べている。このときの写真はまさにふざけて、「バーカ、騙された! 騙された!」と笑っているがき大将の顔である。子供がふざけて嘘をつく程度ならいざしらず、この千年に一度の国難に対峙して、真剣に復旧・復興を願う宰相の顔ではない。まるで、政治を弄んでいるようだ。
翌日の新聞で報道された、鳩山氏が「ペテン師だ」と激怒したのは当然である。首相は四国八十八ヶ所巡りの途中で、次は「延命寺」だと云う。白衣に同行二人と書いても、弘法大師は一緒に付いて来られまい。「死して屍拾う者なし」となり、餓鬼道に落ちることになるだろう。
「こんな人をいつまでも首相の座に置いておくわけにはいかない」どころではなく「大人、いや、人間としてあるまじき態度である」なのだ。このような狂った人間を、首相として、いや、国会議員としてのうのうと生かしている日本人の一人であることが恥ずかしい。































