


ここ数年、京都、奈良を訪ねることが多くなった。それも一人旅で写真を撮るのが目的になっている。今年も桜の撮影に行くことにしたが、私がホテルを予約したあと、家内が奈良の法隆寺へ行ってみたいと云いだした。写真撮影は一人の方が気楽で良いのだが、うるさいので結局、京都は駅の近くのゲストハウスに変更し、奈良はシングルルームを追加予約した。
蹴上
京都は四半世紀も前に、単身赴任していた大阪の職場で花見に行ったことのある、蹴上から円山公園への道をたどることにした。
京都の地元の人たちが花見に行くとしたら、この辺りか、平野神社、少し足を延ばして、嵐山といったところだろう。ゴザやレジャーシートを敷いて酒を飲み、食事ができるところは意外と少ない。
蹴上に行くには、京都駅から地下鉄烏丸線で烏丸御池まで行き、東西線に乗換えて、蹴上駅で降りるのが速くて便利だ。
蹴上には琵琶湖からいくつかのトンネルを通って引かれた琵琶湖疏水があり、水道水や灌漑用として使われている。また、鉄道や陸運が普及するまでは、水運用にも使われ、琵琶湖から蹴上まで船便が通っていた。水路は蹴上で分岐し、日本で最初の水力発電所に流れ込み、船は台車に載せられ鉄道を走る(?)ことになった。587mの鉄道をワイヤーで繋がれた2つの台車がケーブルカーのように交互に移動していた。「船頭多くして舟山に上る」ではなく、「船頭なくして舟山を上る」の奇観が登場したのである。この鉄道が蹴上インクラインと呼ばれ、今は使われていない複線レールの両側に、ソメイヨシノの花が咲き誇る桜の名所となっている。
蹴上は多くの花見客でにぎわっていた。復元された台車の横を通って線路の上を歩く。インクラインの説明が案内板に書かれていたが、何でこんなところに、線路があって、さらに船がのっかっているのか分かりにくい。家内はここが京都のどの辺なのかも理解していない。
琵琶湖疏水記念館から見た疏水の景色が綺麗だ。十石舟も花見の風情をもりあげている。
そこから白壁のわき道を少し歩くと南禅寺に着くが、南禅寺は方丈や南禅院が修復中で拝観できない。三門の下を通って、神宮道から青蓮院、知恩院の前を過ぎ、円山公園に入った。
円山公園のシンボルである「祇園枝垂桜」はまさに満開になったばかりで、たくさんの人がカメラを向けていた。日が沈む頃の桜はピンクに染まって美しい。夜桜見物の人たちも真っ赤な毛氈で覆われた床几に腰掛けて、ライトアップを待っている。私たちもここでゆっくりしていれば良かったのだが、桜色のソフトクリームを食べ終わると、朱塗りの社殿で囲まれた八坂神社の中に入った。ここは祇園の中心で和服姿の花見客も多く、カメラは自然とそちらを向いてしまう。
元興寺
翌日は一日中雨で、京都を廻ることもせず、奈良に向かった。ホテルに荷物を預け、駅前の蕎麦屋「雄町」で昼食を済ませた。
奈良では、これまで行きそびれていた元興寺(がんごうじ)と、昔、何度か行ったことのある新薬師寺を見ることにしていた。雨の中を歩き廻るのは大変だ。元興寺に行くバスに乗ったが、最寄りの停留所からお寺まではずいぶん遠く感じた。激しくはないが、しとしとと降る雨である。
元興寺は日本で最も古い仏教寺院の一つで、世界遺産に指定されている。聖徳太子とともに仏教を広めた蘇我馬子によって596年に建立された飛鳥寺が、名を変えて、法興寺となるが、「仏法興隆」を祈念して法隆寺と対の名が付けられたと云われている。718年、平城遷都後に現在の地に移築されて、元興寺と名を変えている。明日香村に、飛鳥寺が存在するが、平城遷都後に法興寺が移築された際に残されたお寺である。雨のせいなのか、元興寺はなんとなくうらぶれて見える。天気の良い日にもう一度行ってみたいと思う。
新薬師寺
新薬師寺は本堂を含めて本尊の薬師如来坐像、脇侍の12神将立像などで有名な、国宝だらけのお寺である。この寺は天平年間に光明皇后が聖武天皇の眼病平癒のために建立された寺で、創建当時は壮大な本格寺院であったという。薬師如来本尊は平安初期に造られた木造であるが、本尊を取り囲む12神将は天平時代に土で作られた塑像である。バサラ大将をはじめ、12体すべてが怒りの表情をしているが、その中に衆生を見守るような優しさもうかがわれる。
新薬師寺には、かって、もう一つの国宝級の金銅仏があった。香薬師如来立像である。せいぜい高さ75センチ程度の仏様で、白鳳時代に制作されたものである。昭和18年に3度目の盗難にあい、それ以来見つかっていない。
もう、40数年も前になるが、私がこの寺を初めて訪ねたとき、薬師如来像の胎内から小さな仏様が見つかったと騒いでいたのを思い出すが、私の勘違いだったのである。多分、複製像の特別拝観だったのだろう。今回、拝観受付で、「30年か40年前に私がこちらに伺った時に胎内仏が見つかったと聞いたのですが、あれは今どうなっているのですか?」と聞いてみたら、「そんなに昔やあらしまへんけど、20年ほど前にお地蔵はんが見つかりました」との答えであった。たしかに景清地蔵尊の中からおたま地蔵尊が見つかり、現在の地蔵堂の中に祀られているようである。
香薬師仏に関しては、昭和17年にここを訪れた、亀井勝一郎が「大和古寺風物誌」の中にその風貌について記述している。この像はこの附近に聖徳太子が創建された香薬師寺があり、その本尊であった。光明皇后がこの仏様に天皇の眼病治癒を祈念され、その恢復のお礼に、行基をもってして薬師如来坐像を建立され、その中に収められたという。天平当時の大伽藍は創建後34年にして火災により灰燼に帰している。現在の薬師如来坐像は再建後のものである。
内田康夫著「平城山を越えた女」で香薬師仏盗難にまつわる事件を名探偵浅見光彦が解決していくというのも面白い。本当に香薬師仏は今どこにあるのだろう? この寺院は謎の多いお寺である。
