天体観測が日本中で騒がれることはめったにない。数か月前から日食観測用のめがねがホームセンターや書店で売り出されていて、5月に金環日食が見れることを知った。私も5月になって、天体観測雑誌の増刊号を買った。日食観察用のプレートが付録になっていた。
日食は毎年数回、地球上のどこかで見られる現象らしい。日食と云ってもほとんどが部分日食で、皆既日食は3年に2回の割合で起こると云われている。今年、日本中で騒がれたのは、日本列島のどこでも日食を観測でき、皆既日食より頻度の少ない金環日食が東京や名古屋、大阪など主な地点でも見ることができるからである。私も雑誌に付いていたプレートをカメラのフィルターにするため、ステップアップリングを買って、自作の太陽観測フィルターを作った。
5月21日(金)の朝は、いつもより少し早く起きたが、雲がかかっていて、太陽がよく見えない。我孫子あたりで金環を見るとしたら、7時30分頃である。カメラを三脚に付けて、待っていたが、7時20分頃にようやく雲を通して太陽が月のように見えるようになった。肉眼でもよく見える。徐々に、雲が薄れてきて、肉眼では見れないほどの眩しさになった。観測プレートとカメラの液晶画面を見ながらレリーズを押して撮影した。太陽をこんなに身近に見ることは普段は無い。完全な金環になるととても美しい。そのうち、近くにある高校の生徒たちが集まってきて、カメラの液晶をのぞくので、プレートを貸してあげた。みんな初めての日食体験らしくて、プレートを奪い合うようにして見ていた。
私が日食という言葉を教わったのは、おそらく、小学校の国語か社会の教科書に載っていた礼文島の日食だろう。調べてみると昭和23年の5月9日のことらしい。皆既日食にきわめて近い金環日食だったようだ。今でもその記念碑が建っていると云う。そのあと学校でガラス板をローソクの火であぶり、黒いススを付け、日食を見た記憶がある。小学校か中学校の頃だったと思う。そのあとは日食といっても見れるのはお天気しだいだし、大人になるとまるで無頓着で、記憶に残っていない。
1958年4月19日に八丈島付近で金環日食が観測されているが、今回の日食は、全国的に見ることができ、しかも金環日食を観測できる地域も広かったことで、テレビでもずいぶん騒がれたのである。今後関東地方で金環日食を観測できるのは2312年、皆既日食は2035年と云うから、私にとっては貴重な経験のはずである。






