今年も、水芭蕉の季節に尾瀬に登った。日帰りバス旅行である。尾瀬の日帰りツアーで一般的なのが、鳩待峠経由だ。峠をひたすら下るので、山に登る感覚が無い。
何度かブログに書いたように、一人での参加なので、隣席に誰が座るかによって、山での行動や、楽しさも変ってくる。今回は、行きつけのレストランの女の子、容子ちゃんである。私とは親子ほどの年齢差がある。彼女は西船橋からバスに乗り、私は松戸からで、ちゃんと乗ってくれたかしらと心配だった。バスの窓から彼女の明るい笑顔が見えて、やっと安心した。
前もって、昨年、NHK教育テレビで放映された「あなたもこれから山ガール」のテキストを渡していた。出演の村井美樹さんがカッコ良くて、山ガールルックが急増したようだ。容子ちゃんもまさに、山ガールスタイルである。
関越道を通って、尾瀬に近くなるにしたがい、雨が降ったり止んだりの天気になってきた。鳩待峠では止んでいたが、瀬ヶ原の入口、山ノ鼻に着いた頃は小雨が降ってきた。傘をさすほどでもないので、さっさと昼食を済ませて、尾瀬ヶ原に入った。水芭蕉はやや大きめになっていて、昨年ほど、綺麗ではない。リュウキンカの群生も去年と同じである。天候がイマイチ、パッとせず、カメラもあまり使わなかった。
多少天気が悪くても、尾瀬の景色は良い。そのうえ、今回は同伴がすばらしい。やはり、隣の席に座る人次第で旅の楽しさはずいぶん違う。お店では黒のシャツを着ているし、尾瀬にいる間は長袖のフリースを着ていたので分らなかったが、暑くてフリースを脱いだら、彼女のスタイルとボインが魅力的だった。
谷川岳登山 2011/09/28



私の所属している地域スポーツクラブでは、毎年ハイキングを行っている。今年は昨年までとは異なり、本格的な登山になった。谷川岳に登ると云うのである。谷川岳と言えば、「魔の山」、遭難の名所として恐れられている。しかし、そんな谷川岳もロープウェイを利用して、天神平から尾根道をたどる往復コースなら、安全に登ることが出来る。とはいえ、登山レベルでは中級コースでこれまでのようなハイキングレベルではない。あまり山に登ったことのないお年寄りが安易にチャレンジするような山ではない。また、天候の変わりやすい山で、途中で引き返す勇気も必要である。
20年くらい前に、私がリーダーとして谷川岳登山を計画したことがある。天神平から、天神峠までリフトで登ると、天神尾根の稜線と谷川岳を見渡すことができる。そのときは残念ながら頂上付近は雲がかかっていて、剥き出しの岩が滑りそうである。景色としては天神峠からの紅葉もすばらしく、そこで満足して登頂はあきらめ、谷川温泉へ下ることにした。
先月行った北八ヶ岳の経験を生かして、今回は雨具も20年前に買ったゴアテックスのしっかりしたものを持っていくことにした。これまで使ったいたザックでは雨具と一眼レフカメラバッグの両方は入らない。大きいザックを探してみたが見つからず、新しく購入することにした。スポーツ用具店で探してみたがカメラザックが入るようなものがなかなか見つからない。ようやく見つけたのがコロンビアの30リッターのザックである。これだと、腰でしっかり支えられ、ショルダーベルトが肩に食い込むことも少なく、重い荷物でもそれほど負担にならない。他にウエアやステッキ、ミドルカットのトレッキングシューズなども揃えた。ただ、カメラは体力的に負担になるので、コンデジを持っていくことにした。
当日は、朝5時に集合である。3時半に起きた。前の晩も良く眠れず、起きるのが辛い。
バスで関越道を通り、土合口のロープウェイ乗り場に着いたのが9時前である。天神平に着くと、すばらしい天気である。これなら頂上までたどり着けそうだ。熊穴沢避難小屋まではゆるやかな山道でところどころ木道も整備されている。距離的には丁度中ほどになるが、小屋を過ぎると岩が露出した尾根道に変わってきた。しかも急登となってだんだんときつくなった。汗びっしょりになったのでシャツの上に着ていたベストも脱いで登る。しばらくすると樹木が少なくなり、「天狗の溜まり場」という大きな岩が露出している。そこで、しばらく休んでいると、仲間たちが追いついてきた。一緒に来たOさんがいないという。先に行ったのか、遅れてしまったのかもわからない。携帯は通じない。そこで、先に行ってれば追いつくだろうと、早足の三人がさらに、先を急いだ。岩も多いが、階段状に整備された木道が増えてきた。段差が大きく、階段を登るのがきつい。結局、Oさんを見つけることが出来ず、肩の小屋に着いた。ここで、一休みして昼食にし、皆を待った。持参していたスルメや小さな和菓子は好評ですぐになくなった。Oさんはなんと、先に「トマの耳」まで登って、降りて来るところであった。
しばらく休んで、すぐそこに見える谷川岳の頂上と言われる「トマの耳」まで登った。ここが谷川岳山頂ということになっているが、その奥に見える「オキの耳」はさらに高くここが本当の山頂である。「トマの耳」で少し休んで、「オキの耳」まで登った。「オキの耳」のすぐ下に、遭難で有名な絶壁「一の倉沢」を見下ろすことが出来る。皆で記念写真を撮って、下ったが、上るときに太ももを痙攣させた人も数人はいたようだ。
今日は天気が良かったためか、登山客が多い。登るときに心配だった急坂もステッキを使って難なく降りることができた。辛かったのは眠いことだけだった。
紅葉には早かったが、景色も良く、気持ちの良い一日であった。これまでのハイキングとは一味も二味も違う満足感を得ることもできた。しかし、一方、帰りのバスの中で来年はもっと楽なコースにしたいという意見もあり、やはりずいぶん懲りた人もいたようだ。
毎月登っていた山も今年はこれで多分終わりかなと思う。10月半ばに八海山ハイキングを予約していたが、これをキャンセルして、11月末の紅葉シーズンは京都・奈良を旅することにした。秋に行くのは初めてで、ホテルをリザーブするのに大変な時期だが、すでに予約済みである。一人旅をエンジョイしたい。
北八ヶ岳ハイキング 2011/08/19



ここ3ヶ月は毎月バスツアーに出かけている。尾瀬、白馬、それに今回の北八ヶ岳である。尾瀬のミズバショウや池塘の景色に惹かれたのが癖になってしまったようだ。白馬はハイキングとしては大したことは無かったが、高山植物園での花々が綺麗で、バスの中の会話も楽しかった。それに安曇野の蕎麦が実に美味しかった。ただ旅行するだけではなく、旅先での風景や高山植物の写真撮影が大きな動機になっている。カメラは昔からの趣味であるが、一昨年、新しい一眼レフデジカメを買ったおかげで、撮影技法にも新しい興味が湧いてきてまた凝りだしたのである。写真と記事を書くというブログのスタイルも定着している。
朝6時50分、松戸発のバスに乗った。乗客は約15人程度で、ほとんどが一人旅のようだ。本格的な登山コースで、天気もパッとしない。昼からは雨も降るという予報が出ていた。そのためか、これまでのツアーとはお客さんの服装や雰囲気も異なっていた。皆、立派な山登りの格好である。関越道経由で中央道へ出て、諏訪のインターを出、国道152号線から299号線経由でピラタス蓼科ロープウェイの駅に着いた。 すでに雨が降っていて、ロープウェイからは何も見えず、山の上は霧になっていた。ロープウェイの山頂駅で昼食をとり、雨具を装着した。山で雨具を着るというのはこれまで殆ど経験していない。ゴアテックスの雨具は持っているが、カメラを入れるとザックに入らない。着用したのは前日用意した100円ショップの雨具である。
まず坪庭に寄った。霧で何も見えない。ここから、「五辻」を経由して、石がゴロゴロしていて、その間を雨水が流れる登山道を、ひたすら「出会いの辻」まで歩いた。この道は本来は冬のクロスカントリー用に設けられた道で夏山の道ではない。日帰りバスツアーだけに最も無難なコースをたどったのだ。滑らないように足元に注意して歩くので、下ばかり見て歩く。「出会いの辻」に着いたときは、暑くて、汗だくになっていた。汗で内側から濡れるより、雨に濡れたほうがましだと思い、雨具を脱いで歩くことにした。「出会いの辻」で大石峠方面の道をたどり、「おとぎり平」から急坂を下り、「コケモモの庭」に出た。それまでずっと針葉樹林の中を通ってきたが、ここで背の低い樹木で覆われた溶岩台地が現れ、やっと北八ヶ岳らしい苔に覆われた庭の景色を見ることができた。
しばらくすると、国道299号線に出たが、道を横切って、また山道に入った。ここからは、苔に覆われた樹林が続く。雨もすっかり上がり、気持ちの良いハイキングになった。麦草峠の手前で、鹿避けの冊があり、扉を開けて入るようになっていた。その柵を過ぎると、アキノキリンソウやハクサンフウロ、ノアザミなどの高山植物が見られるようになった。
麦草峠から白駒池までの間は「もののけ姫」の舞台になるような苔生した樹林が続き、木の下が空洞になっているようなところもある。「この森の中に入って行ったら、きっと迷い込んでしまうね」と皆で話しながら歩いた。お互いに知らない人たちばかりだが、いつの間にか打ち解けていた。
白駒池の近くにくると、低い樹林になり、シャクナゲの木が群生している。坪庭のような見晴らしになっているが、溶岩台地のため背の低い樹木しか育たないようだ。シャクナゲが咲きそろった頃に来ればさぞ綺麗だろうなと思ったが、ガイドさんの反応はよくない。ここの野生のシャクナゲはあまり綺麗ではなさそうである。秋の紅葉は素晴らしいと言っていた。
雨が止んでも、雨水が木から落ちるので、写真撮影は難しい。それと、山岳ガイドのSさんのペースが速くて、ゆっくり写真を撮っている暇もなかった。
白駒池でしばらく休憩して、帰りはバスが迎えに来ている白駒池入り口まで歩いた。そこから、諏訪のインターに入り、中央道を通って帰った。諏訪のインター近くのお土産屋さんで雨具をすべて処分したが、ずっと履いていた下の雨具を脱ぐと、スボンがびっしょりと濡れていた。汗と外から入った雨で濡れたと思う。靴下も替えたが、ローカットの靴では雨の中はダメだということがわかった。
行きも帰りも、バスの中では隣席が空いていて、一人で、文庫本「佐賀北の夏」を読んでいた。2007年の夏、母校の佐賀北高校が甲子園で優勝したときのノンフィクションストーリーである。
白馬と安曇野の旅 2011/07/26


つい先月、水芭蕉の花が咲き誇る尾瀬に行ったが、今月は白馬五竜スキー場にある高山植物園と現在TV放映中の朝ドラ「おひさま」の舞台となっている安曇野の大王わさび農園を廻るバスツアーに参加した。どちらも今月の初めにNHKの「小さな旅」で紹介されていた場所である。また、前の日にNHKで松崎しげるが大王わさび園のわさび田を紹介していた。
朝7:20、松戸発のバスに乗った。西船橋始発ですでに多くの客が乗っていた。私は今回もひとり旅で、隣の席に座る人次第で旅の楽しさも違ってくる。尾瀬のときのKさんは気さくで話しやすかったが、今回、隣のMさんはなんとなく口が重そうである。こちらから話しかけても、反応が短い。その内に、Mさんがデジカメの写真を見だしたので、ちょっと覗いて、「いろんな所へ行ってらっしゃるようですね」と聞くと韓国なんかも行ってるとおっしゃる。先月も同じ白馬五竜の高山植物園に行ったけれど、天気が悪くて、花を見ることが出来なかったと言っておられた。先月は新幹線とレンタカーを使って、戸隠神社にも行ったとのことで、「あそこは奥社と中社があるんですが、下社というのは無くて、宝光社というのがあるんです」と言われた。私にピンと来たのが、宝光社の名前だった。「今、宝光社と言われましたね」と聞いて、「あそこは内田康夫の『戸隠伝説殺人事件』の舞台ですね」というと、「そうです、そうです。浅見光彦の世界です」と話がはずんできた。それからはほとんど打ち解けて、謡曲「紅葉狩り」の話をしたり、「鬼女紅葉の話は近くの鬼無里(きなさ)という村に伝わる伝説から来ているようです」というと、「あれを『きなさ』と読める人はまずいないですよ」と驚いておられた。「さきほど見ておられた朱塗りの門の写真は赤間神宮ですか?」と聞いて、「松本清張の『時間の習俗』に出てきますね」と云うと「いや、あれは対岸にある和布刈(めかり)神社です」とMさんも推理小説には詳しい。おかげで、バスの中でも退屈せず、高山植物園やわさび田でも行動を共にすることができた。
バスは長野自動車道を長野ICで降りて、ひたすら谷沿いの道を通って、白馬五竜スキー場に向かい、到着したのが午後1時頃であった。関越道と上信越道で道路工事が多くて、予定を大幅に超えてしまったのだ。白馬五竜スキー場が整備されて、夏は「白馬五竜高山植物園」になる。スキー場のゴンドラに乗ると、高山植物園に着く、さらに、上はリフトで登った。リフトの上は普通の登山道だが、頂上のケルンまではすぐである。Mさんは身体が弱いと云うので、私一人で登った。登山道からは八方尾根がよく見えるのだが、雲がかかっていて、写真を撮るにはあまり良い天気とは言えない。高山植物は豊富で、オオバギボウシやニッコウキスゲ、コバケイソウ、オニユリなどが群生していた。花期が過ぎた大きなミズバショウの葉も残っていた。
高山植物園でMさんと合流し、一緒に見て回った。Mさんは、つい先月行ったばかりで、花の咲いている場所や花の名前にも詳しい。二人で探したのが、まずはコマクサである。この時期、高山植物の女王といわれるコマクサはまさに真っ盛りである。中には白いコマクサも咲いている。次にエーデルワイス、この花はオーストリアの国花で「サウンドオブミュージック」でも歌われる花である。派手さはないが、凛として美しい。もう一つは二人とも見たかったブルーポピー、「ヒマラヤの青いケシ」である。ゴンドラの発着所のすぐ近くで見ることができた。Mさんは先月来たときは雨でほとんど見ることができなかったけれど、今日来て本当に満足したと云っていた。私は写真を撮るのに忙しかったが、なんとかギリギリでバスの時間に間に合った。ほんの1時間程度で短かすぎると思った。それでもたくさんの高山植物を登山なしで見ることができてすばらしい。最近は多くのスキー場が夏の間、植物園になり、ロープウエイやリフトを使って登ることができる。山百合などが中心で、白馬五竜の植物園のような本格的な高山植物園はまだ珍しい。
白馬五竜スキー場を発って、次に、安曇野に向かった。途中、青木湖や木崎湖が見える。ここは松本清張の「影の地帯」に登場する。木崎湖からすぐ南に、大王わさび農園がある。わさび田の上流に、川が流れていて、水がきれいだ。そこで、今回のツアーの趣向の一つになっている、クリアボート体験をすることになっている。ここは朝ドラ「おひさま」のロケ地で簡単なオープンセットがあった。テレビに映る部分だけを組み立てた簡単な家だが、実物大である。ボートはゴムで作られた8人乗りで、みんなが櫂を持って漕ぐようになっている。水は澄んでいて冷たい。わさびを育てるには好条件である。川のそはには水車小屋が並んでいて、多分、水をわさび田に流しているのだろう。ボートを降りて、わさび田の方に行ったが、わさび田は日を避けるために黒い網が張ってあり、その隙間から覗けるようになっている。私とMさんはわさび田を見るのには時間をかけず、休憩所になっている蕎麦屋に入った。わさびはここの採れたてのわさびが使われている。これまで味わったことのないような本当に美味い蕎麦であった。
帰りのバスでMさんと話したが、「『信州は月と佛とおらが蕎麦』という一茶の句がありますが、佛は善光寺、蕎麦は信州のどこの蕎麦も美味しいけれど、月は何処だと思いますか?」という私の質問に対して、「戸隠にある姨捨山の近くの『田毎の月』ではないでしょうか」と応えてくれた。私は「更埴の月です」と答えた。あとで調べたのだが、どちらも正しいけれど正確ではないことがわかった。まず、一茶の句ではなく、「信濃では月と佛とおらが蕎麦」が一般的なようだ。次に月は姨捨の「田毎の月」である。この付近は山が多く、田圃も棚田になっていて、どの田圃にも月が映って見え、「田毎の月」と呼ばれる。さらに、蕎麦は更科の蕎麦、いわゆる「更級蕎麦」のことを言っているようだ。更科郡と、埴科郡が合併して、更埴市になったのだ。姨捨という土地も更埴市に入るので、私の云うこともMさんの云うことも正しいことになる。要するに、信濃の名物は「姨捨の田毎の月」と「善光寺の阿弥陀如来」、それに「更科の蕎麦」だということである。ちなみに、更埴市は現在、千曲市になっている。
バスは豊科のインターから中央道に入り、首都高経由で松戸まで戻った。行きと違って帰りは順調に走り、予定通りに着いた。その間も、Mさんとの話で、彼が韓国や香港、台湾といろんなところに行っていることも知り、最近の韓国や台湾の事情も興味深く聞かせていただいた。Mさんは心臓が悪く、山は登れないが、健康のためによく歩くように努めているし、現在も図書館で働いていて、いろんな質問を受けるそうだ。知識が豊富な理由がわかった。 ( 2011年8月15日 記)
初夏の尾瀬
朝4時45分に起床。6:39の電車に乗った。我孫子始発の車両に乗るために人が並んでいた。こんなに早いのかと驚いた。私がサラリーマン時代は、家を出るのが7時20分頃で40分の電車に乗れば会社に間に合った。今は節電のため始業時間が早まっているらしい。
松戸駅前に7:15に集合になっていたが、十分に余裕があった。尾瀬の入り口、鳩待峠に着くのが11時頃である。約4時間のバス旅行になる。お隣りの席もお一人さんで、仲間がみんなキャンセルしてしまい、一人になったとおっしゃっていた。他はほとんど夫婦や団体客である。お隣りのKさんは、気さくな方で、話も合いそうだった。昨年の秋に尾瀬に行ったときは、お隣さんが無口な人で、私はずっと小説を読んでいた。今回も小説は持参したが、結局、開くことも無かった。
鳩待峠に着いたのは11時を少し回っていた。ここから、尾瀬ヶ原の入り口でロッジや案内所、休憩場所もある山ノ鼻まで、どんどん下る。帰りが心配になるほどの下りばかりだが、昨年来ているので、心配せずに下りましょうとKさんと一緒に山ノ鼻まで行き着いた。鳩待峠から山ノ鼻まで、道は整備されていて、ほとんどが木道になっているが、往復の木道は結構混んでいて、前の団体を追い越すのが大変だった。山ノ鼻の休憩所はベンチも満席に近いくらい混んでいたが、昼食をとるのに困るほどではない。昼食を済ませて、尾瀬ヶ原に入っていった。
去年の秋と違って、木道の脇は枯れ草になっていて、みんな横に倒れている。秋の草紅葉が枯れて、その上に雪が積もり、枯れ草が寝た状態になったのだとわかった。それに、昨年は池になっていた所が水たまりになっている。池塘がみんなこうなるのかと心配したが、それは違っていた。尾瀬ヶ原の中に入って行くと、池塘が現われてきた。秋と同じだ、違うのは紅葉ではなく、枯れ草が寝ている光景だけだった。もちろん奥に見える山の光景も紅葉ではなく、新緑である。ダケカンバの林は新芽が出ようとしていて、枯れたように見える。新緑と枯れた木の対称が綺麗である。Kさんが「東山魁夷の世界ですね」とおっしゃる。なるほど、新緑の淡い緑とダケカンバの林の色がそんなイメージを抱かせてくれる。さらに、池塘にその風景が写りこむと、東山魁夷の絵になる。この光景を青みがかったようにすれば、全くの東山魁夷になってしまう。すぐそばに見える至仏山はまだ半分は雪で覆われていて、うまく緑とマッチして美しい。木道の行く先に見える燧ヶ岳も雪が少し残っている。尾瀬は半年が雪に覆われた世界で、半年で一年になってしまうため、植物の春夏秋冬も慌ただしく変化する。今はミズバショウの世界だが、来月になるとニッコウキスゲになる。今は枯れ草の中にニッコウキスゲの葉がやっと見え始める時期でもある。8月中旬の何も無い時期が来て、9月になると紅葉が始まる。
この時期、初夏の尾瀬が最も人気のある季節である。代表的な花、ミズバショウの花が咲き誇り、他の花も一斉に咲き始めるからである。尾瀬ヶ原の中の木道はさほど混んではいなかった。平日だからだと思う。休日はきっと前がつかえて、写真を撮ることさえできないのかもしれない。山ノ鼻にたどりつく前からミズバショウの群生が見られたが、尾瀬ヶ原にはたくさんの池塘があり、浮島の光景、水に映る新緑とダケカンバの山々、池塘の周りのミズバショウの群生と写真の題材に事欠かない。夏にはヒツジグサが浮き、トンボが飛ぶのだが、そこまで求めるのは贅沢だ。木道をたどって、牛首分岐まで来ると多くのハイカーが休憩している。そこで、Kさんと一緒に記念写真を撮ってもらい、山ノ鼻に戻った。バスの中でガイドさんが、時間的に無理と云っていた植物見本園も見る予定である。3時に山ノ鼻を出れば、集合時間の16:20には充分間に合う。山ノ鼻に着いてまだ余裕があったので、植物見本園を廻ることとして、至仏山の方向の道へ入った。尾瀬ヶ原のような広大な景色ではないが、ミズバショウの群生が見事だ。しばらく歩くと、黄色い花、リュウキンカの群生を見ることができた。Kさんも、私もこれで充分に満足な気分になっていた。3時に山ノ鼻を経ち、上りばかりの道を汗をかきながら登り、鳩待峠に4時頃に着いた。
紅葉狩り
根戸エンジョイクラブの皆さんと一緒に、紅葉を見に妙義山へハイキングに行った。
妙義山は標高は高くない。筑波山より低く856mでしかない。昨年秋のハイキングで登った奥日光の高山が1668mだから、本当の低山である。だが奇岩怪石に富み、険峻な岩山の尾根を縦断するのは北アルプスの穂高を登るより危険だと言われている。最も一般的なコースと言われる石門めぐりコースでさえ、クサリをたよりに登らなければならない。
今回は紅葉見物が目的なので、中之岳神社から「関東ふれあいの道」をたどって妙義神社までのハイキングコースを歩くことになった。体力的には昨年の高山より楽であったが、岩だらけの道や狭いはしごがなどがあって、危険な場所も多かった。私はビデオ撮影をやったので、みんなの前に行っては撮影を始め、通り過ぎるまで撮影して、また追い越して先頭に行くの繰り返しだった。健康で、体重が軽いことの有難さを味わった一日だった。紅葉はやや早かったのかもしれないが、近所の皆さんと一緒にハイキングをするのも健康的で楽しいものである。
行きのバスの中で、紅葉を見るのを何故、「紅葉狩り」というのだろう?という質問がでた。「狩り」というのは鹿狩りとかイノシシ狩りとかの狩猟か、いちご狩りやみかん狩り、きのこ狩りなどの実やきのこを採ってくることに使う。なんで紅葉狩りというのか素直な疑問になる。ここで思い浮かんだのが、内田康夫氏の作になる推理小説「戸隠伝説殺人事件」であった。この小説の中に、「紅葉狩」という謡曲が登場する。さらにこの謡曲のもととなるのが「戸隠伝説」である。この話を絡めて、何十年も前の戦争中にあった誰も知らない陰湿な事件がおおもととなって連続殺人事件が起こるという筋書きである。
謡曲「紅葉狩」というのは『ある山で、上臈らしい女が侍女たちとともに木陰に幕を打ちまわして、紅葉狩りの酒宴をしていると、従者を連れて鹿狩りに来た平維茂(たいらのこれもち)が通りかかり、山中での女たちだけの紅葉狩りを不審には思ったが、興を妨げまいとの心遣いから、馬を下り、道を変えて、静かに通り過ぎようとすると、上臈が維茂を呼び留めて酒宴の仲間に誘い入れる。美人の酌に思わず盃を重ね、うっとりとして、終に維茂が酔い臥してしまうと、女たちは、そのよく寝入ったのを見届けて姿を消した。やがて、維茂の夢の中に神のお告げがあり、それに驚いて目を覚ますと、今までの女たちは恐ろしい鬼の本体を現して維茂を襲ってきた。然し、維茂は少しも騒がず、八幡大菩薩を念じながら立ち向かい、遂に鬼を討ち平らげる。』(「観世流初心謡本」より引用)という単純なストーリーである。謡曲の中ではそれだけだが、ここから、『紅葉の美しさを愛でて山を探索したり、宴席を設けたりすることを「紅葉狩り」というようになった』とバスの中で説明した。
この鬼女「紅葉(もみじ)」について、戸隠の鬼無里(きなさ)に伝わる「紅葉伝説」というのがある。
◇美貌と才知に恵まれた姫の末路
平安の昔のことです。承平二年奥州の会津に生まれた少女呉羽(くれは)は子のなかった夫婦が魔王に願って生まれたためか輝く美貌と才知に恵まれて育ちました。やがて紅葉と名を改めた彼女は、両親と共に京の都に上り美しい琴の名手として都中の評判になり、源経基公の寵愛を受けるようになりました。
しかし紅葉は正妻を呪術で除こうとして事が露見し信州・戸隠山へ流されてしまいますが、都への思いが断ち難く配下を集めて力を貯えます。これを聞いた朝廷は、平維茂を追討に差し向けますが住処もわからず、神に祈って矢を放った維茂は落ちた方角に進みます。待ち構えた紅葉たちは美しく装って毒の酒をすすめたところ維茂に見破られ、鬼女の正体を現したところを討たれて果てました。……戸隠では、紅葉ゆかりの地が数多く残されています。
(以上、「紅葉伝説」は戸隠・鬼無里のホームページより引用)
妙義山ハイキングは好天にも恵まれて、無事、妙義山神社に着いた。残念ながら妙義山神社は修復中で日光東照宮に似た立派な社を見ることができなかった。その近くの日帰り温泉でゆっくり風呂に入り、お酒を飲んで帰った。

































