デスクトップPCの静音化

 これまで、2010年3月に買った Dell Studio XPS Notebook 1645を使っていましたが、そろそろWindows7からWindows10に切替えようと思いました。WEBで調べてみると今使っているWindows7とはかなり使い方が違います。タブレットやスマホを意識してか、タイルに重点を置いたアプリの選択画面になっています。Win8や8.1よりはスタートメニューも使いやすくなったようですが、問題は選択肢が増えすぎて、選ぶのに迷うことです。他に、エクスプローラーが使いにくい。パーティションの概念があまりないことなど慣れるまで時間がかかります。 そこで、Windows10用にデスクトップを買うことにしました。通販で買ったパソコンのスペックは次の通りです。
 CPUはIntel Core i7-6700K、4.2GHz、メモリーは16GB-DDR4DualChannel、ゲームをやるわけではないのでグラフィックスはGeForce GTX960。480GB SSDと2TB HDD。マザーボードは Intel Z170Express。なお、CPUファンは水冷CPUクーラーを搭載しています。

 現在は、上記2台が机の上に載っています。これまではWin10に慣れるために、デスクトップを使っていたので、それほど気にしていなかったのですが、ビデオ編集もしたいし、PCオーディオも聴きたい。CPU能力も必要だし、静粛性も大事です。CPU能力には文句ない。静粛性が問題です。よく調べてみるとケースの後ろから出るファンの音がうるさい。文章を書くような普通の仕事をやっていても結構な音が出ます。ちなみに、これまで使っていたノートブックも同程度の音がします。ノートの場合、熱もかなり出るので、いたし方ないと思っています。

 デスクトップPCの静音化には、主に三つの方法があります。簡単そうなのからいくと、「SpeedFan」のようなソフトウェアを入れて、ファンの回転速度を遅くする方法。もう一つはBIOSをカストマイズしてファンの回転数を温度に合わせて、自動調整する方法。最後はコストはかかるけど外付けのファンコントローラを使う方法があります。
 この中でも簡単で、安全そうなBIOSのカストマイズする方法を選びました。方法は簡単なので、デスクトップPCの静音化を考えておられる方は試してもよろしいかと思います。
 表示した画面はサムネイルです。クリックすると大きな画面になります。

1. パソコンの完全シャットダウンを行う。
Windows10ではスタートボタンをクリックし、電源ボタンをクリックすると、「スリープ」「シャットダウン」「再起動」のメニューが出ます。通常は「シャットダウン」で良いけれど、これは完全にシャットダウンしたことになりません。Win7での「休止状態」みたいなものです。完全シャットダウンにするためには、Shiftキーを押しながら「再起動」をクリックします。
すると、次のような画面が出てきます。

シャットダウン前 完全シャットダウン選択

2. この画面で「PCの電源を切る」をクリックします。これで完全シャットダウン状態になります。

3. 次は、起動するために、パソコンの電源キーを押します。その前に、ディスプレーはオンにしておいてください。私のようにSSDにOSが入っている場合立ち上がりが速いので、電源キーを押したら、「Delete」キーを連打します。すると、左下に小さなメッセージが出てBIOSのメニュー画面に変わります。

BIOSメニュー

4. 一番下の「HARDWARE MONITOR」をクリックしたら、次のようなグラフが出てきます。縦軸が温度、横軸が回転数(RPM)です。デフォルト状態でも、温度が高いと回転数を上げるような設定になっています。折れ線グラフの点のところにマウスポイントを置いて、ドラッグ&ドローで点を上げたり下げたりして温度と回転数を調整します。
何もしない状態で出てくる折れ線グラフはCPUファンです。温度が高い状態では回転数を最高レベルまで上げたほうが良いと思います。
 他にもファンがありますが、グラフの上の一番左にCPUになっている四角の列の右の方にもSYSTEM1とかSYSTEM2とかのボックスがありますが、それをダブルクリックしてください。それぞれが他のファンを指定します。BIOSではどれが何のファンかはわかりません。CPUファンでやったのと同じように調整してください。ケースファンも騒音のもとになります。30度くらいのところでは回転数を低くしたら良いと思います。これを変更しただけで、静音化はほぼ完了です。

CPUのグラフ SYSTEM1のグラフ

5. カストマイズが終わったら、「Esc」キーを押して、BIOSメニューに戻ります。

6. BIOSメニューになったら、PF10を押します。そうするとカストマイズした内容が保存され、どのように変更したかも出てきます。

変更履歴

 下に「YES」キーが出ていて、黄色い状態になっているのでそのまま「Enter」キーを押せば、BOOTが始まります。

 以上で私がやった静音化の作業は終わりです。マザーボードやOSによってBIOSの設定方法が異なります。
パソコンの温度コントロールは何らかのソフトウェアでモニタリングされることをお勧めします。私はCPUIDの「HWMonitor」を使っています。音は昼間は全く気になりません。夜はハードディスクの音が聞こえます。
 BIOSの変更はユーザーの自己責任です。よろしくお願いします。

Enjoy my life

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つい1ヵ月ほど前にこの店に来たが、ベリーダンスをまた見たくて、別の友人と来てしまった。ダンサーも代わっていて、踊りも違っていた。

今回は,剣も使った踊りで、あれを落としたらと思って怖かった。

 

 

8月15日

真夏の木陰 浴衣すがた

 8月15日、お盆の中日で、今日は猛烈な暑さである。道路の照り返しがまばゆく、日照が肌を刺す。歩いている人も少ない。昼食を買いに行った近所のスーパーもがら空きだった。
 蝉の声がなんとなく虚ろに聞こえる。今年の蝉はどういうわけか、元気がない。短命なのはわかっているが、気のせいか今年の蝉の命はずいぶん短く感じる。道端に死骸がたくさん落ちている。

 この日は、終戦記念日でテレビ番組も戦争物が多い。最近になって、「戦争責任は日本にあって、中国や韓国、台湾は一方的に日本に弾圧され、それを救ったアメリカは英雄である」という風潮は少なくなってきたようである。今年はルース駐日大使が潘基文国連事務総長とともに広島の平和記念式典に駐日米国大使として初めて出席した。大使は史上初の核爆弾投下や14万人を超える犠牲者を出した無差別爆撃に対して、陳謝の一言も発していない。
 一方、敗戦国日本の態度は戦後65年にもなるのにいかなるものか。今の民主党政権の自虐的、左寄り発言が少しも止まらない。菅総理の談話は何を意図して発言したのかよくわからない。相変わらず、日本が一方的に侵略し、近隣諸国に多大なる被害を与えたとしている。これまでの日本は経済活動でその存在を示してきたが、中国や韓国の伸張ぶりに圧倒されている。政治貧国の日本はこれからどうなるのだろう。

 この時期、テレビ番組といえば、夏の高校野球が面白い。高校生たちの一生懸命さがよく伝わってくる。昨日は早稲田実業が昨年の優勝校、中京大中京に21対6で圧勝した。佐賀学園も隣県の長崎日大に3対2の好ゲームで勝った。佐賀県の高校野球は、佐賀北高校の優勝以来なんとなく強くなったような気がする。
 夕方の買い物で、6号線を車で通ったが、道路も空いていた。暑さのためか、みんな外出を避けているのか、それとも、お盆でどこかに行ったのだろうか。

我孫子稲門会

 そもそも私は学校の同窓会というものに出たことがない。小中高はすべて佐賀の公立校を卒業し、大学以降は東京で過ごしたので距離的な問題もあるし、性格も内向的で多くの人と騒ぐようなこともあまり好きではない。
 大学を出て、就職した会社でも同じ学校を卒業したもの同士で集まるようなこともなかった。飲んだ席で、たまたま卒業した大学の話が出て、同じ大学だったのかと知って、多少の親近感が湧く程度でそれ以上になるようなこともなかった。早稲田出身者が多すぎるのだ。旧帝大系を卒業した人たちが、それを誇示するのを聞くのも「たかだか4年間を過ごしただけではないか」と思うだけだった。
 ある日、近所に住む先輩から、といってもその方が同じ早稲田出身だと、その時に初めて知ったのだが、「今度、我孫子稲門会が出来たので出てみませんか」と誘われて、近所づきあいもあるし、どんなものかと思いつつ出席したのが、第一回目の総会であった。久しぶりに「都の西北」を歌って、懐かしく思った程度で、たいした感激もない。二三回出て、そのあとは出るのをやめてしまった。
 
 定年後になって、近所の小学校で太極拳を習おうと思い、近隣地域で始まったスポーツクラブに入会し、太極拳とペタンクを始めた。ペタンク仲間の一人が我家の郵便受けに我孫子稲門会の案内を入れてくれた。彼の勧めであれば出ないわけにはいかないと思って、数年振りに我孫子稲門会の総会に出席した。総会そのものは数年前とちっとも変っていなかったが、二次会でカラオケに誘われ、歌がうまいとおだてられて分科会のようなグループに入会した。この会のユニークなところは、何でもよいからあるテーマについてお話することである。それが終ってからカラオケを始める。
 お話しする内容は発表者によって異なるが、話題がバラバラに分散することがなく、それなりに面白い。最近気が付いたのはそこでみんなで話しながら、声を出していることが一種の発声練習になっていることである。もちろんアルコールも声を出す良い潤滑油の役割を果す。

 この文章を書きながら、むかし、お客様を誘導しながらブレーンストーミングをやっているとき、「何でも良いから、発言してください。一度話し始めるとあとはカラオケと同じで、気楽に意見が出せるようになりますよ」と言っていたことを思い出した。カラオケでマイクを握って離さないような現象もしばしばであったことも。
 会議の席などで、発言の無い人には、質問を投げかけることにしている。そうすると、その人の発言が増えてきて、全体的な雰囲気が良くなる。その前提として、必ず名前を覚えておき、名前で呼びかけることが重要なのだ。
 それ以降は我孫子稲門会にも出席することになった。

早稲田大学大熊講堂

ユーザー車検

車検ライン

 現在の車に買い替えて3年になる。7月21日に最初の車検が来る。その前の一ヶ月間に車検をうけなければならない。これまでは車のディーラーかガソリンスタンドに持って行って、車検を受けていたので、6月頃から郵便受けに入っているチラシを集めたり、ディーラーに聞いたりして、料金を見積もっていた。ガソリンスタンドと云っても、実際は車検屋の取次ぎをするだけのところが多い。車検屋だと、約7万円プラスαで、ディーラーだと10万は越しそうだ。
 
 今回は車を買ってまだ3年しか経っていないし、そんなに多くの距離を走ってもいない。3年前に前の車を売ったとき、業者経由だと事務処理手数料がやたらと高いことがわかっていたので、今回は自分自身で車検センターに車を持ち込み自分で車検を受ける、いわゆるユーザー車検にすることにした。ユーザー車検だと検査費用は1700円で、あと、自賠責保険、自動車重量税を入れて小型車だと49370円だけで済む。おまけに、車を預ける必要も無く、1時間程度で済んでしまう。といっても、車検屋やディーラーは24ヶ月点検をやってくれるが、それは自分でやらなければならない。24ヶ月点検だけどこかに頼むというのは難しそうだ。私の場合、運悪く、6月下旬にバドミントン大会で腰を痛めてしまい、ホイールを外してブレーキの点検もままならない。結局24ヶ月点検は車検後に自分でやることにして、野田の車検センターに行き、何のトラブルも無く一発で合格した。

 いつも乗っている車である。本来は日常点検が義務付けられている。エンジンオイルの点検やタイヤの空気圧、バッテリー液などは常日頃、チェックしておくべきものだが、買ったばかりの車だと、なんとなく疎かになってしまう。年に一度くらい、ディーラーで格安でオイル交換や点検を一緒にやってくれるので、それに頼ってしまっていた。
 以前からユーザー車検という手段は知っていたが、なんとなく面倒で、自分でやるのは初めてだ。まずは車検というものがどういうものか、インターネットでいろんなサイトを調べてみた。「ユーザー車検」で検索するとたくさんのサイトがあって、事細かく丁寧に書いてある。費用の見積もり、必要書類、事務手続きの書式やそのやり方は勿論、実際の車検ラインの流れや検査を受けるときの要領も綿密に知ることができる。細かいことはそのようなサイトに譲るとして、重要なことは以下の事項である。

◇ 事前に車検センターに行って、必要書類を入手するとともに、車検ラインを見学しておく。
◇ 必要書類はすべて記入しておく。自賠責保険も更新しておく。
◇ 自動車検査インターネットシステムで予約する。できるだけ、早い時間を予約する。雨が降りそうな日は避ける。
◇ 車検前日に日常点検をすませ、ホイールキャップの外し方にも慣れておく。
◇ 車検ラインでは前の車の様子をよく見ておく。窓は検査員の言う事が良く聞こえるように開けておく。
◇ 電光掲示板の指示に従って車を操作する。
 
 あとは度胸だけ。多少失敗しても、やり直せばよい。当日なら、何度でも検査を受けることができるし、不合格になった検査だけをやり直すこともできる。修理して別の日に受けても検査料1700円を払えばよい。車検センターに行って気が付いたことは、ユーザー車検を初めて受けるという感じの人をあまり見かけないことである。知人に聞いても、自分で車検センターに持って行って車検を受けるというのは聞いたことがない。検査ラインに並んでいる車を運転している人はプロのような人ばかりである。みんな、バインダーに書類をはさんでいる。ユーザー車検の窓口にバインダーを持って並んでいるプロらしい人に、バインダーが必要かと聞いたら、「関係ないよ」と言っていた。

 平成7年に「道路運送車両法」が改正されて、それまで、「車検を受ける前に24ヶ月点検整備をやっておかねばならない」ということから、「点検整備は車検後に実施してもよい」ということに変って、車検はユーザー自身で受けられそうだと随分話題になった。ガソリンスタンドやタイヤ屋さん等でも「ユーザー車検代行」という看板を見ることが多くなった。車の所有者の代わりに別の人が受けても構わない。例えば、私が友人の車の車検を受けても構わないのだ。では、なぜユーザー車検を受ける人が少ないのだろうかと、自分の過去を振り返って考えてみた。まず、点検整備を車検の前にやらねばならないし、点検整備には分解整備が必要だと勘違いしている人が多いということだ。分解整備をやるためには国の認証が必要であるが、24ヶ月点検には分解整備は必要ない。もう一つは車検を業者に頼んでも、プラス2万円程度で24ヶ月点検もやってくれるので、それほど高くはない。 ただ、よく検討して、業者を選ぶ必要がある。私も安いところに頼んで、純正オイルではなく、安いミッションオイルに入れ替えられて、ギヤの入りが悪くなったこともある。次の車検ではディーラーに頼んで12万円以上も取られた。しかも、一週間も車を使えず、預けた時や、次に引き取りに行くのに送迎さえなかった。ユーザー車検が少ないもう一つの理由は車検の時期になると、ディーラーから担当営業さんが来るので、ついその口車に乗ってしまう。ユーザー車検を受けたいとでも云おうものなら、まずは素人では無理だと言われるだろう。脅かされると、なんとなく怖くなって、無難なところに頼んでしまう。
 
 ユーザー車検を自分で体験して感じたことは、それが実に簡単で、何でもない事だったことだ。まさに「試しにやってみたら」の典型的な例である。検査員だって素人っぽい人には親切である。何と言っても良いのは自分の車を自分で点検し、自分で検査を受けると、車に対する愛着が大きくなり、車を大事に運転するようになることである。ちょうど初めて車を持ったときと同じような感じになる。この文章を書き終えたのが、9月末になってしまった。忙しかったことと、腰を痛めてしばらく怖かったので24ヶ月点検を9月にやったからである。ついでにタイヤのローテイションもやった。24ヶ月点検を自分でやってみるとさらに車が自分の所有物であることが実感でき愛着感もさらに増える。エンジンオイルとブレーキフルードもカー用品店で交換してもらった。車を長持ちさせ、省燃費のためにはエンジンオイルも良いものを使うべきだ。今回は化学合成油100%のオイルを使い、エレメント交換、フラッシングもやってもらった。多少高くついたが、エンジン音が低下し、乗り心地もよくなった。

ユーザー車検受付 総合判定窓口

花のしたにて

毎朝、ウォーキングをしていると季節の変化に敏感になる。今年のソメイヨシノは木によって、開花の時期や花の咲き具合がバラバラになった。寒暖の差が大きくて、暖かい日に一斉に咲いた木と、少し遅く開花した木でずいぶん差があった。ウォーキングコースで毎年、最も開花が早いのが、近くの根戸小学校の南西の角に植わっている大きな木であるが、今年は3月26日に開花した。開花の目安とされる、5~6輪くらいが朝咲いていた。ところがその日が4月の下旬くらいの暖かさで、夜は暖かい雨まで降って、翌日は3歩以上の開花になり、他の木も一斉に花が咲き始めた。

 桜の時期になると、なんとなくそわそわする。どこかに花見に行かなければと思うからだ。今年は3月31日は朝から雨で、4月1日は風が強かった。雨が降ると花が色あせたりするのではないか、風が強いと花が散るのではないかと、落ち着かない。4月は入学式や会社の年度始めだったりで、花のせいだけではなく、年度代わりという生活の変化も影響するようだ。

『世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし』  在原業平

 花が咲く時期は短いが、場所を変えると、結構長い期間、花見をすることができる。去年は家のリフォームで行けなかったが、一昨年は3月の初めに河津ざくらを見に伊豆へ行った。最近は河津だけでなく、伊東あたりでも、河津ざくらを見ることができる。日本列島の南からだんだんソメイヨシノが咲き始め、桜前線は北上していく。4月になると関東あたりが満開になるが、今年は一週間ほど早く、4月1日頃に満開になった。関東の方が九州より早く咲いた。
 一昨年は、福島の磐城湯本温泉に行って、勿来の関の桜を見に行った。4月の中旬で満開の桜を見ることができた。さらに遅く4月下旬になって、手賀沼湖畔の水辺の桜が満開になっている。4月はどこかで花見をすることができる。とくに、あわてることはない。
 今年はウォーキングをしながらの花見を楽しんだ。柏の利根川沿いにある曙山公園には2回行った。風車前の広い花壇はパンジーがチューリップの芽の間に咲いていて、チューリップとは違うおもむきがあった。昼間は花見客で賑わう曙山公園も静かで、誰もいない桜の写真やビデオも撮影した。
 4月6日は風が強く、桜の花が散って、花吹雪になっていた。そろそろ桜の花も終わりになるかも知れない。7日、8日の長雨で花もすっかり散ってしまったと思う。

『花の色は うつりにけりないたつらに わか身よにふる なかめせしまに』 小野小町

 桜の花は日本の国花になっている。アジアの他の国でも咲くが、種類は日本が圧倒的に多いという。日本の春の象徴的な存在で、春を待つ気持ちと桜の開花を重ね合わせて考えるようだ。また、紅葉狩りと同じく、桜狩という言葉があり、いろんな地を訪ねて花を楽しむことを云う。桜の花はすぐに散ってしまう。散り際の潔さは日本人の美感に合うようだ。 
 「忠臣蔵」で浅野内匠頭が切腹するのも、桜の花が散る時期でなければならない。軍歌でも「「貴様と俺とは同期の桜 同じ兵学校の庭に咲く 咲いた花なら散るのは覚悟 みごと散りましょ国のため」とくる。その結果、靖国神社の桜の梢に咲く花になる。さらに、もっと過激な散り方として、戦争末期に開発された「桜花」という特攻兵器があったことだ。これは、戦闘機に魚雷のように装着したエンジンを持つミニ飛行機で、敵の軍艦に向かって搭乗員が誘導しながら攻撃するという代物である。実用化される前に終戦となった。桜の花が嫌いだという人もいる。花の命は短くて、はかないからだと云う。ずいぶんロマンティックな人だと思う。確かに、そんな気にもなることがある。

『久方の 光のとけき 春の日に しつ心なく はなの散るらん』    紀友則

 戦後の日本占領統治政策のために書かれたルース・ベネディクト著「菊と刀」で、日本人の心理構造を「精神主義」と「集団依存体質」としているが、これは、むしろ「桜」に例えた方が良かったのかもしれない。一斉に咲いて、一斉に潔く散ることを美的に感じる精神構造は日本人特有のものであろう。難しいことは別にして、桜の花は日本人にとって、昔から異常なまでに愛されている花である

さくら  曙山公園

ブログの書初め


利根川の土手
     利根川の土手

ブログを書く動機というのは、書く人によって異なる。それは当然のことで、日記のように毎日の何でもないようなことを書くのも良いし、写真集のように使うこともできる。あるいは政治問題や経済問題に対する意見を書くのも良い。このブログも最初は日記をもう少し詳細にしたものという程度の位置づけで書き始めた。定年退職後、何かの文章を書くことがなくなり、暇にまかせてまじめに書いてみようと思ったからである。

日記は毎日書いているが、ウエブ上のウォーキングクラブが提供している日記帳に毎日の歩数、体重と一緒に書いている。平均150文字程度で、さほど苦にはならないし、記録として重要だと思っている。また写真集は別に従来型のホームページを持っているが、長いことアップデイトしていない。

このブログの目的は通常の日記ではなく、文章を書くことを目的としている。前の記事で高峰秀子さんのエッセイを紹介したが、エッセイは読むのも楽しいが、書くことも楽しみたいからである。読む人がいるのかどうかは気にしていないが、文章を書くからには、だれかに読んでもらいたいと思っている。そのために、文章は、読む人のためになり、面白くなければならない。文章は長すぎず、その上である程度の内容の深さが要求される。通常の日記と異なるのは「事実」を書くのではなく、「思ったこと」を書くのである。過去の当ブログの中で、「梁」について書いた文章がある。あれを日記にすると、一つ石梁で昼食をとっただけで終ってしまい、塩原温泉の宿の感想を書く程度になってしまう。

私が小学校、中学校時代に教わった国語の時間は、朗読でもなく、ただ単に声を出して棒読みしたり、漢字の書き取りで終っていた。試験の問題も、漢字の読み書き問題や、あるいは括弧の中に入れる言葉を選択するような問題ばかりで、ほとんど文章を書くことはなかった。
高校生になると、古文や漢文と一緒になって、現代文の比重は少なくなり、受験勉強に近くなった。
だから、文の組み立てかたやパラグラフの作り方、論旨のまとめ方などの文章作法はほとんど教わっていない。それどころか、もっと基礎であるべき句読点、とくに読点をどこにつけるべきか、括弧はどのように使えばよいかなど、全く教わったことがない。自分で勉強するしかなかった。まれに書かされる作文の題にしても事物の客観的な描写や、論理的表現を求めるものはほとんどなく、「~について、どのように思うか?」的な、あるテーマについて主観的な表現で記述するに足るものが多かった。
現在は、文学の専門家よりも、客観的に的確な表現力を必要とする学問分野からの要請として、理科系の専門家から種々の提案が出されている。(野口悠紀雄氏の『「超」文章法』、木下是雄氏の『理科系の作文技術』など)
私の友人の一人が彼の友達から散文的な文章を募っているが、文系出身者より理系出身者の方が熱心に書いてくれるそうだ。理系出身者は大学を卒業するために卒業論文を書くという試練を避けて通れないからである。

私の場合は、大学受験では現代文は勉強するものではなく、普段の読書量がものいう世界であると考えていた。試験問題は、勉強というより、文章を楽しく読んで、クイズに答えるようなものだった。しかし、最近、パソコンが普及して、その必要性が少なくなったにもかかわらず、それが原因で漢字を書けない若者が増えたと云われている。大学の試験問題に漢字の書き取りが増えているようだが、むしろそれは逆で、パソコンで容易に漢字を書けるようになったがために、新聞をはじめ以前はひらがなで書かれた言葉が漢字で書かれるようになり、読めない漢字が増えている。例えば「潔い」(いさぎよい)、「麗しい」(うるわしい)、「玩ぶ」(もてあそぶ)などの類である。

パソコンは文章作成にはいまや必須といってもよい。たしかに、パソコンは人が作ったソフトウェアが主役として動く。そのため、同じ機能を使うにしても、使い方はソフトウェアによって異なるし、関連するソフトウェアとの関わりかたによっても操作が違ってくる。慣れていない人には難しいかもしれないが、パソコンを敵視するようなことはやめていただきたい。むしろ、若者の漢字力の弱さを嘆くような、国語の先生こそパソコンの勉強をしてもらいたいと思う。

パソコンを使った作文は、まず、思いついたことを片っ端から書き連ねて、それを組み合わせていく作業になる。最初から完璧な文章など考えない。ブログの場合、しょせん、誰が読んでくれるのかわからないのだから、自分の書きたいことを書けばよいのだ。小川有里さんというエッセイストが「ネタを探すのは大変だが、見つけたネタを?発酵?させ、文章として練るときの楽しさは、何にも代え難い」とおっしゃっている(1月14日『産経新聞』)。私はブログの記事を書くためにいろんな所へ行って、写真やビデオを撮り、その場で思ったことを書き綴ろうと思っている。まさに、ブログ記事のための取材旅行と考えれば、一人旅も楽しくなるだろう。

随筆としてバイブルにも匹敵すると云われる「徒然草」を、兼好法師は何のために、誰が読んでくれると想定して書いたのであろうか?『序段』で、「つれづれなるまゝに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」と綴っているので、そういうことは意識せずに、書きたいから書いたのであろう。印刷技術の無い700年も前に書かれた随筆が、書写によって営々と引き継がれてきたのである

布施弁天 ねずみ男?
      布施弁天          ねずみ男?

今年の出来事

今年もなんとか無事に終わりました。私にとっての今年の大きなニュースは個人的に考えると以下のとおりとなる。

1.家のリフォーム

なんと云っても、家のリフォームは大変だ。とくに全面リフォームで2ヶ月間くらい辛抱の生活をしいられた。3月半ばに着工して終ったのが5月半ばである。その間、ほとんどが一階の和室で生活し、二階の和室で寝るという毎日であった。朝昼がコンビニ食で夕食は外食というパターンだ。

門や塀もすべて直したので、外装も内装も新築同然になった。冬はコタツを使わずにすむし、電気毛布も使っていない。一階は外の音が全く入ってこないのでテレビの標準音量は以前は20だったのが17になった。二階は単なる二重ガラスなので、防音はそれほどではないが、以前よりかなり静かだ。

 2.ブログ開始

ブログを書くことによって、漫然とした生活の中でも、いろんなことを深く考えるようになったと思う。そして、書くという楽しみが趣味の一つとして加わった。写真を撮るにしてもブログのネタに関連して撮るので面白い。とくに動画の撮影や編集が面白い。ブログツールはVoxを使ってよかったと思う。Youtubeの画面が簡単に持ってこれるし、自分のビデオカメラやデジカメで撮った動画も取り込める。写真のフリッカーと連携しているのでスライドショウも作れる。

3.佐賀北高校の甲子園優勝

今年の夏の甲子園は佐賀北高校の優勝で佐賀県が注目をあびた。今年の正月番組で「佐賀のがばいばあちゃん」が放映されたことも大きいが、佐賀県のイメージがすっかり変ったのではないかと思う。
それまでは、テレビドラマ「おしん」の姑さんの嫁いびりや、寅さん映画「僕のおじさん」に出てくる尾藤イサオ演ずる泉ちゃんの叔父さんの意地の悪さ。もっとさかのぼれば松本清張作「張り込み」に出てくる、犯人の元恋人の20歳以上年上の旦那の吝嗇(けち)さ。昔から言われている「佐賀んもんの通ったあとは草も生えん」というイメージ、佐賀人の器量の狭さや内弁慶ぶりが、佐賀北高校の優勝で払拭されたような気がする。なにしろ、どんな試合になってもあきらめない、忠実に練習したとおり試合をやっていく態度には感激させられた。佐賀県人として選手たちや監督さんに「どおもありがとう」と云いたい。

佐賀北高校の優勝で「文武両道」と云う言葉が流行ったが、野球部の三年生は立派な大学に進むようだ。キャップテンで捕手の市丸君は早稲田、エースの久保君は筑波大学、逆転満塁ホームランを打った副島君は福岡大学に行くと云っていた。(佐賀新聞)

4.息子の独立

家をリフォームするため、息子が寝る場所もなくなるので、その前に独立して住むように息子に頼んだ。彼も多分、喜んで出て行ったと思う。すでに30をとっくに過ぎた男の子が、未だに両親の家で寝起きしているのもおかしい。彼のためにもならないし、女房が子離れしていないのも困っていた。
我家と勤務場所の間に新築のアパートが見つかったので、そこに住んでいる。手賀沼のすぐそばだ。

独立して住むのは良いが、たまには帰ってきて、元気な姿も見せて欲しいと思っている。私も今になってわかる親の気持ちだ。それと、嫁さんも良い女性を見つけてほしい。すくなくとも、自分の親類にばかりくっついて、自分の旦那の親類には寄り付きもしないような嫁さんでは困る。昔から、「お見合い」を毛嫌いする風潮があるが、いろんな女性にめぐり会うためには「お見合い」というシステムは極めて合理的である。今は仲人をたてて、堅苦しい挨拶もいらないし、両親が付いていなくても良いのだ。「合コン」というのはお見合いの一種だが、そんなつもりでお見合いして、そのあとじっくりと付き合って、結婚するかどうか決めれば良い話だ。テレビドラマや映画で「お見合い」をまるでだめなように扱っているのも困ったものだ。

5.我孫子オーディオファンクラブ入会

私は高校生時代からのクラシックファンだが、これまでオーディオシステムにそれほどのお金をかけてはいない。クラシックは演奏と録音が大事で、再生装置はそこそこのものであれば良いと思っている。リビングルームには7.1チャンネルのサラウンドシステムがある。もともと、オーディオ用として購入したもので、音としては満足できる。
問題は女房がクラシックを好きではないし、大音量で聞くとうるさがるので、本当に良いオーディオシステムの音を聴いてみたいということと、生演奏並みの大音量で聴きたいと思ってAAFCに入会した。
同好の士がいるということはありがたいことである。それと、それぞれの得意分野、たとえば自作スピーカーやアンプを作るのが好きな人、ジャズを聴くのが好きな人とか、いろんな人とお話ができるのが良いと思う。

6.NOVAの破綻

NOVAにはずいぶん長く通った。1998年の4月にNOVA我孫子校ができて、私が入ったのが、その年の9月だ。そして、VOICE会員の期限が切れたのが、今年の8月、NOVAが会社更生法の適用申請したのが10月である。NOVA我孫子校が存在したほとんどの期間、私は8年間、通ったことになる。英会話力もそれなりに付いたと思っている。
NOVAは少人数制のレッスンで、私がレッスンを受けていた頃は3人までで、3人揃わず2人とか1人のときもよくあった。以前の英会話教室はまさに教室形式で10人とか15人が習うというスタイルだった。それではなかなか英会話は上達しない。

NOVAが無くなって、そのあとは、通常の英会話教室があとをひきうけると聞く。なぜ、システム的にはとても良い英会話教室がなくなり、経営的には合理的かもしれないが、生徒にはちっとも良くないところが存続するのだろう。確かに経営者は良くなかったかもしれないが、良いシステムは是非とも残して欲しいものだ。

今日、NOVAで検索したら、ジー・エデュケーションという会社がNOVAのシステムを継承するようだ。5人クラスとなって、月謝制になるらしい。行きたいときに行けるという制度はない。それに、残念ながら我孫子にはまだ無い。

7.株価下落で金融資産減少

昨年のライブドアショックもひどかったが、今年のサブプライムローンの破綻による株価下落はひどい。米国発の不良債券のばら撒きで、全世界的な株価下落となった。
私は保有金融資産の中で株式比率が高い方だろう。ただ、悪い中でも、今年の半ばまでに、リフォームをやり、株を売って支払ったこと。さらに、10年サイクルで廻って来るブラックマンデーを予測していて、株をかなり売りはらい、そこそこの利益を上げたことが良かった。

エッセイを楽しむ

 「お悔やみに行くのよ、つらいわ」。そう言ってお隣の奥さんが坂をおりて行った。その喪服のうしろ姿を見て、「黒っていいな」と思った。
 喪服の女が美しく見えるのは定評があるけれど、しかし、潤んだ心と伏せたまぶたがあってこそ、はじめて黒の喪服がものを言うので、黒は気持ちで着る色だと、つくづく思う。
 白も黒も、のっぴきならない色である。白は気高く潔癖で、黒は内にひかえて沈む色。西洋では粋な色とされている黒も、日本では政治の黒幕、腹黒いやつ、相撲の黒星、犯人は黒か白かなどと、ろくな形容には使われないし、せんじつめれば抹香臭く、しょせん黒は凶に通じる色である。
 着こなし上手といわれる人にも、黒はなかなかの難物である。若い人には似合わないし、乱暴に着ればやぼになる。人生の雨風をくぐった年輪を、黒一色で生かすか殺すかは、その人のセンス一つである。つまり、黒は一癖も二癖もある人の着る色といってしまえば、黒が似合うというのは、あまり自慢にもならないことかもしれない。いずれにしても、黒を着るのはちょっと「かくご」のいることである。

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 上記文章を読んで、どこかで読んだと思われた方もいるかもしれない。この文章は昭和34年9月8日づけ『朝日新聞』の「きのうきょう」というコラムに掲載された、高峰秀子さんが書かれたエッセイである。
 この文章が一躍有名になったのは、昭和35年、東京大学の国語の入学試験問題に出されたからである。有名になったと言っても、その後に、国語の受験勉強をしていた受験生の間だけかもしれないが。ほぼ私と同年代以降の人たちである。その当時、私はこの文章はなかなか親しみやすく、「味」のある「粋」な文章だと思った。
 高峰秀子さんと言えば、「二十四の瞳」や「喜びも悲しみも幾年月」など多くの映画に出演され、だれでも知っている大女優である。どちらかと言えば文章とか学問とは無縁の人である。同じ『朝日新聞』でも「天声人語」からは多くの文章が試験問題に引用されている。
この高峰秀子さんの文章も東大の先生が選んだくらいだから、良い文章にちがいないと思う。
 この文章に「味」があって「粋」が感じられるのは何故だろう。多分、文の構成と文体の歯切れの良さから来ているものと思われる。高峰秀子さんの人そのものから自然に湧き出た感性が文章に表れているのかもしれない。
 この文章は3文節に分かれているが、第一文節は筆者が思ったそのままの感情を書いている。高峰秀子さんの静かで美しい喪服姿が連想される。第二文節では黒という色を彼女が普段着のままのときのベランメー調でコテンパンにやっつけている。
 第三文節では冷静に黒を着ることの難しさを、女優としての彼女の経験から、彼女自身の意見として述べている。
 エッセイのような文章を書くのをそんなに難しく考えることはない。ここに挙げた高峰秀子さんの文章のように、すなおに感じたことを書き、一般的にはこう言われているが、なぜそうなんだろうと考え、そして自分の意見を述べればよい。パソコンを使えば、いきあたりばったりで書いても、つじつまを合わせるのは簡単だ。その文章の変化していく過程を見るのが実に楽しい。
 ブログの記事を書くために、文章の書き方を勉強している中で、たまたま見つけた懐かしい文章を読んで、「文章の書き方とはこんなものか」と、思ったことをそのまま書いてみた。

高峰秀子

(補筆)

◇文章の書き方にはいくつかあるが、論文などで使われる「序論・本論・結論」という書き方。一般的な著作物で使われる「起承転結」という書き方。もう一つ、この高峰秀子さんの文章のようなエッセイなどに用いられる「序・破・急」という書き方がある。(参照:扇谷正造著「現代文の書き方」講談社現代新書)

◇「無粋」ではあるが、東大の入試問題はつぎのようなものであった。

この文章を読んで、

1.「黒の喪服がものを言う」というのは、どういうことなのか。
2.黒を着こなせる人を、筆者はどのように評価しているのか。簡潔にしるせ。
3.「黒をきるのはちょっと『かくご』のいることである」とあるが、どんな「かくご」がいるというのか。

◇高峰秀子さんは現在でもエッセイストとして活躍しておられる。エッセイを書くことを楽しんでおられると思う。以下、彼女の主な著作を紹介する。

わたしの渡世日記〈下〉 (文春文庫)コットンが好き (文春文庫)台所のオーケストラ (文春文庫)わたしの渡世日記〈上〉 (文春文庫)

NOVA我孫子校がクローズ

NOVA我孫子校  閉鎖のお知らせ

1998年4月に開校したNOVA我孫子校が今年の9月末でなくなった。我孫子校は柏や取手など他のメインな学校に比べると静かで生徒のまとまりも良かったと思う。
 私は1998年の9月に入学したので、開校してすぐに入ったことになる。そして、今年の8月末にVOICE会員の期限とチケットが無くなり、次はどうしようかと思っていたところで閉鎖のうわさを聞いた。だから、私はNOVA我孫子校がある間のほとんどは生徒だったことになる。9年間のうち6年間はずっとレッスンを受けていた。入学したときのレベルは6でレベル3になって一年ほどレッスンを続けたが、もうこれ以上は無理と思いVOICE会員になった。
 今日、我孫子校の写真を撮ってきた。エレベーターには閉鎖の挨拶が書いてあった。「諸般の事情により、皆さんは取手校に行ってください」と、さらに、追伸で「取手校がいっぱいになったので柏校にも行けるようにしました」と書いてあった。NOVAのホームページを見ると、天王台校やモラージュ校、イオン柏校などのサテライト校は閉鎖しないようだ。なんで我孫子校だけが閉鎖されるのかよくわからない。やはり、円の価値下落で日本に来る外人が少なくなったのか。そう言えば前から取手の先生が少なくなって我孫子校から応援に行っていた。
 今の日本は政治的にも不安定だし、またもや、経済的にもどんどん悪化するのかな。結局、この前の送別会が我孫子NOVAの解散会となった。私の場合はほとんどNOVAをやめることにしてたのだから、「まあいいか。海外に遊びに行くことにするか。そこで勉強しようっと」という気持ちになった。

 (追記)10月26日にNOVAが会社更生法の適用を申請しました。送別会でお別れしたBさんはちゃんと給与を貰って帰ったと思うけど、残ってた他の先生たちはどうするんだろう。NOVAで働いている先生方は皆さん真面目で良い人ばかりでした。日本に対して悪いイメージを与えなければ良いと思います。それに、授業料を納めてまだレッスンを消化していない生徒たちも心配だろうなと同情します。早く後をフォローする経営者が出てくれればと祈っています。