大宰府

大宰府天満宮光明禅寺枯山水光明禅寺庭園光明禅寺内部

 柳川から、西鉄電車で久留米に行き、駅前のビジネスホテルに宿泊した。久留米は福岡よりホテル代も安いし、とんこつラーメンも本場物が味わえる。九州のラーメンはほとんどがとんこつラーメンなのだが、久留米が発祥の地だといわれている。

 翌日、大宰府に行き、まずは天満宮にお参りした。このシーズンはまさに受験のお客で一杯である。天満宮は早々に切り上げて、すぐ近くの光明禅寺に行ってみた。天満宮は小さい頃から何度も参っているが、すぐ近くにあるこのお寺は初めてだ。お参り客はほとんど無く、あたり一面が静かである。寺の境内に入ると、枯山水の庭が綺麗に手入れされていた。さらに、堂内に上がって裏の縁側に出ると、白砂と苔のコントラストが美しい大きな庭を見ることができた。常緑樹の緑と枯れ枝との対比もバランスがとれている。この寺は鎌倉中期に建立された禅寺で、苔寺とも呼ばれている。ひっそりとした冬のたたずまいも良いが、別の季節、とくに紅葉のシーズンはすばらしいようだ。
 光明禅寺を後にして、九州国立博物館に行った。最近出来た博物館で、建物も新しい。特別展として、九州、沖縄の作家による工芸展をやっていた。有田焼や唐津焼に代表される九州の陶芸や、博多織、佐賀錦、更紗、沖縄の紅型・芭蕉布などの染織、博多人形に代表される陶製人形、大分の竹工芸など、現代作家の作品が一堂に会して展示されていた。多くの人間国宝の作品も含まれ、日展で見る工芸品とくらべると地道ではあるが、まさにプロの作品である。

 遅い昼食になったが、西鉄大宰府の駅前に何軒も並んでいる手打ち蕎麦とうどんの店の一軒に入った。九州で手打ち蕎麦が食べられるとは予想だにしていなかったが、手打ち蕎麦も手打ちうどんもともに美味しかった。店の人に九州で蕎麦が美味しいとは思わなかったと云うと、ここは全国区ですからという返事がそっけなく返って来た。つい、なるほどと思ってしまった。
 昼食を済ませて、西鉄電車で二日市に行った。前から二日市温泉には入ってみたいと思っていた。観光案内所で聞いたところ、二つの日帰り温泉があるという。バスでそこまで行くと、「御前湯」が休日閉店で、「博多湯」は随分混んでいた。ロッカーもほとんどが詰まっていて、温泉も芋の子を洗うように混んでいた。「博多湯」は掛け流しの温泉で、ここが開いていて良かった。温泉のお湯そのものは滑らかで心地よく、長く入っていても湯中りもせず、気持ち良い。お風呂を出て、二階にある休憩室でゆっくりと昼寝をしたあと、バスでJR二日市駅に向った。この日は福岡に住んでいる姉の家に泊めてもらった。
 翌日は福岡で過ごし、百道の福岡市博物館や福岡タワーを観て、夜8時板付発の便で羽田に帰った。

 今回の旅行は4泊5日で福岡、佐賀、久留米のビジネスホテルに泊まり、最後の夜だけ姉の家にやっかいになった。一泊ホテル付きの往復航空券が17800円で、東京から博多までの新幹線片道料金より安い。確かに格安ではあるが、一人旅でビジネスホテルのシングルベッドだとやや割高になる。それでも、最も高いホテルが4000円、ホテル代トータルで1万円以内で済んだ。しかも、どのホテルでも朝食やコーヒーサービスが付いていた。
 親戚や友達と夕食をともにすることが出来、寂しい思いをすることもなく、マイペースの一人旅を楽しむことができた。

柳川

柳川の川下り

 佐賀に一泊して、翌日、バスで柳川に向った。私が佐賀に住んでいる頃は、佐賀線といって、佐賀から福岡県の瀬高まで国鉄が通っていた。佐賀線が廃止されてからは、柳川までバスが頻繁に通っている。途中、筑後川に架かっている昇開橋を見ることができる。
 1時間ほどで西鉄柳川駅に着いた。今回の4泊5日の旅で最も期待していた場所である。中でも川下りと鰻のせいろ蒸しを食べることが目的といってもよい。
 西鉄柳川駅に着いてすぐ、観光案内所に立寄り、川下りの乗船所の場所を聞いて、一番近い乗船所で川下りのどんこ舟に乗ることにした。すぐ前に一艘が出たばかりで、「お客さんが集まるまで待って下さい」と云われ、待合室で待っていると2組の若いカップルが入ってきた。乗船所の前に一艘の舟が泊まっていて、ひな壇とたくさんのまりや人形、布で作った花などがぶら下がって飾ってあった。一月だというのにもう雛飾りなのかと思った。
 私が着いて、30分程の時間が経ったので、3組の客を乗せて、舟が出た。舟の中にはコタツがあって、暖かくなっている。天気も良く、気分の良い川下りが出来そうである。川といってもほとんど流れがない。堀に近い状態だ。約1時間かかるという。川辺にはしだれ柳の木が植えられていてのどかな景色が続く。舟はたくさんの橋をくぐって船頭さんの艪漕ぎで進んで行く。艪といっても竹ざおである。橋の下にくると船頭さんだけが前に屈んで通る。水かさが多いとお客も前に屈まなければならないようだ。船頭さんがいろんなお話をしてくれ、北原白秋の歌まで歌う。それを聞きながらゆったりとした一時間を過ごした。
 柳川藩の藩主別邸であった、「御花」の前の下船場で舟を降りて、まずは鰻の蒸篭蒸しを食べようと思い、その元祖と云われている「本吉屋」の支店に入った。普通のうな重に近いが、タレをかけてさらに蒸すようだ。やや味が濃いかなとおもった。以前、鰻が大きくて、厚みがあると聞いていたが、それほどのボリュームではない。
 鰻の蒸篭蒸しを食べて、これで目的は果たしたと思い、あとは足のおもむくままに歩くことにした。

 船頭さんから柳川の名物、雛飾りのことを聞いていたので、「かんぽの宿柳川」に立ち寄った。ここの雛飾りが最高で、この時期に、これを見過ごしては柳川に来た甲斐がないほどだそうだ。たしかにこれほどきらびやかな雛飾りは見たことがない。雛壇だけでなく、つるし雛「さげもん」といわれる、紐で吊るした毬や人形、花などの飾り物がきれいだ。雛壇のそばの人形も可愛くて、何枚もの写真を撮った。伊豆稲取の雛の「吊るし飾り」と山形県酒田の吊るし雛「傘福」とともに三大吊るし雛と云うそうだ。そう云えば、稲取の温泉宿で見たような気もする。
 簡保の宿を出て、左にそれ、前の大きな堀が川のように狭まったところに架かっている橋を渡り、「御花」の邸内に入った。「御花」は私が小さい頃に行った経験がある。剣道の試合で柳川に来たときだったような気がする。邸内は昔の柳川藩主が使っていた和風の別邸と明治以降に出来た洋館があり、松涛苑と呼ばれる庭が美しい。ここは今でも結婚式や披露宴などに使われている。
「御花」を出て、舟で来た川の岸辺にある遊歩道をひとりでのんびりと歩いて、柳川駅に向った。天気も良く、暖かな午後である。この道は、北原白秋が「御花」の近くの生家から伝習館中学校へ通った道で、「白秋道路」と呼ばれている。静かで、歩くのが心地よい。柳川の町で最も印象に残ったのが、この麗らかなひと時である

川辺の風景吊るし雛さげもん御花筑後川昇開橋

ゴーストタウン

 久しぶりの帰郷である。福岡空港に午後3時頃に着いた。空港には従弟が迎えに来てくれていた。彼とは45年ぶりの再会である。最後に会ったとき、彼はまだ小学生で、叔母の家に行くと、いつも海や川で遊んであげた。その日は叔母の家でご馳走になり、車で送ってもらい、薬院のホテルに泊まった。
 翌日、バスで佐賀へ向った。佐賀は私の生まれ育った町である。バスを降りて、駅前通りを真直ぐに南に下った。この通りには小さな事務所や金融機関の支店が多く、喫茶店やレストランが点在している。昔からある懐かしい商店も目に付いた。

 さらに下って、県庁前に行く通りから左にそれ、昔の佐賀の中心となっていた商店街に入った。どこの町にもある「・・・銀座」と云われた街である。天気の良い昼前というのに、アーケードがあって商店街全体が気味悪いほど薄暗くなっている。人通りが無く、ほとんどの店がシャッターを下ろし明かりも無い。高校生の頃よく通った佐賀では最も大きな本屋さんがあった。そこだけは開いていたが、ガラス戸で入りにくくなっている。中を覘くと、店員さんが一人カウンターに立っていて、お客はひとりもいない。
 昔は、この商店街から松原神社の前あたりまでアーケードのある商店街が続いていた。おもちゃ屋さんや、カバン屋さん、呉服屋さん、メガネ屋さん、お菓子屋さんなど、多くの店が並び、賑わっていた。
 数年前まであった、「窓の梅」という食料品店も無くなっている。昔、デパートのあった場所には、奇妙なことに、昭和30年代に上映された映画の、ペンキで描かれた大きな看板がいくつか掲げられていた。その前に乾物のようなものを売っている、雨戸一枚程度の露店があった。お客はだれもいない。この商店街を通る人がまるでいないのである。

 佐賀には福岡から長崎に行く国道34号線が走っていて、その沿線に官公庁が並び、佐賀神社や公会堂、図書館、体育館などの文化施設もその道路沿いにあった。通称、貫通道路と云っていたが、福岡や大牟田から長崎、佐世保に行く大きな道路はその道しかなく、まさに佐賀市を貫通していた。この道路沿いの店もほとんどがシャッターを閉めているか、保険会社の支店や小さな事務所のようなものに変っていた。私が生まれ育った家も、その道路に面し、父が商売をやっていた。近所の店もほとんどが無くなっていたが、隣の仏具屋さん、数軒先の衣料品店、薬局、それに向いにあったガソリンスタンドだけが残っていた。

 昭和40年頃のエネルギー革命とその後の自動車の普及によって、この貫通道路が手狭になり、市の北辺と南部にバイパスが出来たのが、佐賀市のドーナツ化現象のきっかけになった。それまで佐賀市内を通過していた車が旧市街地を通らなくなったのは良いが、それとともに、バイパス沿いの田圃だった土地が開発され、土地価格の安い新しい住宅地に人口が集まるようになった。さらに、大きな駐車場を備えた大型ショッピングモールが出来て、買い物客の足がそこに向うようになってしまった。駐車場のスペースが無く、小さな地域を地権者で分け合うそれまでの商店街は衰退の一路を歩むしか仕方がなかったのだ。

 現在の佐賀市の中心街は、城内と呼ばれる佐賀城を囲む内堀の中にあり、官公庁や公共施設、学校などが新しい建物になってそのまま存在している。佐賀城址も、それまであった私が通った小学校が移転し、そのあとに佐賀城本丸歴史館ができて、佐賀観光の中心になりつつある。この歴史館は佐賀鍋島藩の佐賀城本丸御殿を復元した木造建築で私が小学生の頃、「お居の間」と呼んでいた藩主の居室も材料はそのまま使われて再建されている。明治維新後の佐賀の乱で焼け残った「鯱の門」とも調和して佐賀のシンボル的な存在になりそうである。歴史館の隣には県立博物館・美術館が建てられていて、佐賀の歴史や自然、文化を知ることができる。それに、場所としては少し離れているが、今回初めて知った佐賀市歴史民俗館もレトロな雰囲気が残り、写真に撮っておきたい場所である。ここは明治時代に建てられ、その後、見向きもされなかった旧古賀銀行の建物やその近くの古い住居が観光地として公開され、周りの静かな環境とともに別世界に来たような気にさせられる。
 佐賀市内には中心となる商店街は無くなったけれど、文化的な中心地が蘇ってきている。私が小さいときからフナ釣りをして親しんだ内堀の周りがきれいに整備され、満々と湛えた堀の水も空の青を映して美しかった。

佐賀城歴史観鯱の門佐賀城内堀佐賀歴史民俗館