今年の出来事

今年もなんとか無事に終わりました。私にとっての今年の大きなニュースは個人的に考えると以下のとおりとなる。

1.家のリフォーム

なんと云っても、家のリフォームは大変だ。とくに全面リフォームで2ヶ月間くらい辛抱の生活をしいられた。3月半ばに着工して終ったのが5月半ばである。その間、ほとんどが一階の和室で生活し、二階の和室で寝るという毎日であった。朝昼がコンビニ食で夕食は外食というパターンだ。

門や塀もすべて直したので、外装も内装も新築同然になった。冬はコタツを使わずにすむし、電気毛布も使っていない。一階は外の音が全く入ってこないのでテレビの標準音量は以前は20だったのが17になった。二階は単なる二重ガラスなので、防音はそれほどではないが、以前よりかなり静かだ。

 2.ブログ開始

ブログを書くことによって、漫然とした生活の中でも、いろんなことを深く考えるようになったと思う。そして、書くという楽しみが趣味の一つとして加わった。写真を撮るにしてもブログのネタに関連して撮るので面白い。とくに動画の撮影や編集が面白い。ブログツールはVoxを使ってよかったと思う。Youtubeの画面が簡単に持ってこれるし、自分のビデオカメラやデジカメで撮った動画も取り込める。写真のフリッカーと連携しているのでスライドショウも作れる。

3.佐賀北高校の甲子園優勝

今年の夏の甲子園は佐賀北高校の優勝で佐賀県が注目をあびた。今年の正月番組で「佐賀のがばいばあちゃん」が放映されたことも大きいが、佐賀県のイメージがすっかり変ったのではないかと思う。
それまでは、テレビドラマ「おしん」の姑さんの嫁いびりや、寅さん映画「僕のおじさん」に出てくる尾藤イサオ演ずる泉ちゃんの叔父さんの意地の悪さ。もっとさかのぼれば松本清張作「張り込み」に出てくる、犯人の元恋人の20歳以上年上の旦那の吝嗇(けち)さ。昔から言われている「佐賀んもんの通ったあとは草も生えん」というイメージ、佐賀人の器量の狭さや内弁慶ぶりが、佐賀北高校の優勝で払拭されたような気がする。なにしろ、どんな試合になってもあきらめない、忠実に練習したとおり試合をやっていく態度には感激させられた。佐賀県人として選手たちや監督さんに「どおもありがとう」と云いたい。

佐賀北高校の優勝で「文武両道」と云う言葉が流行ったが、野球部の三年生は立派な大学に進むようだ。キャップテンで捕手の市丸君は早稲田、エースの久保君は筑波大学、逆転満塁ホームランを打った副島君は福岡大学に行くと云っていた。(佐賀新聞)

4.息子の独立

家をリフォームするため、息子が寝る場所もなくなるので、その前に独立して住むように息子に頼んだ。彼も多分、喜んで出て行ったと思う。すでに30をとっくに過ぎた男の子が、未だに両親の家で寝起きしているのもおかしい。彼のためにもならないし、女房が子離れしていないのも困っていた。
我家と勤務場所の間に新築のアパートが見つかったので、そこに住んでいる。手賀沼のすぐそばだ。

独立して住むのは良いが、たまには帰ってきて、元気な姿も見せて欲しいと思っている。私も今になってわかる親の気持ちだ。それと、嫁さんも良い女性を見つけてほしい。すくなくとも、自分の親類にばかりくっついて、自分の旦那の親類には寄り付きもしないような嫁さんでは困る。昔から、「お見合い」を毛嫌いする風潮があるが、いろんな女性にめぐり会うためには「お見合い」というシステムは極めて合理的である。今は仲人をたてて、堅苦しい挨拶もいらないし、両親が付いていなくても良いのだ。「合コン」というのはお見合いの一種だが、そんなつもりでお見合いして、そのあとじっくりと付き合って、結婚するかどうか決めれば良い話だ。テレビドラマや映画で「お見合い」をまるでだめなように扱っているのも困ったものだ。

5.我孫子オーディオファンクラブ入会

私は高校生時代からのクラシックファンだが、これまでオーディオシステムにそれほどのお金をかけてはいない。クラシックは演奏と録音が大事で、再生装置はそこそこのものであれば良いと思っている。リビングルームには7.1チャンネルのサラウンドシステムがある。もともと、オーディオ用として購入したもので、音としては満足できる。
問題は女房がクラシックを好きではないし、大音量で聞くとうるさがるので、本当に良いオーディオシステムの音を聴いてみたいということと、生演奏並みの大音量で聴きたいと思ってAAFCに入会した。
同好の士がいるということはありがたいことである。それと、それぞれの得意分野、たとえば自作スピーカーやアンプを作るのが好きな人、ジャズを聴くのが好きな人とか、いろんな人とお話ができるのが良いと思う。

6.NOVAの破綻

NOVAにはずいぶん長く通った。1998年の4月にNOVA我孫子校ができて、私が入ったのが、その年の9月だ。そして、VOICE会員の期限が切れたのが、今年の8月、NOVAが会社更生法の適用申請したのが10月である。NOVA我孫子校が存在したほとんどの期間、私は8年間、通ったことになる。英会話力もそれなりに付いたと思っている。
NOVAは少人数制のレッスンで、私がレッスンを受けていた頃は3人までで、3人揃わず2人とか1人のときもよくあった。以前の英会話教室はまさに教室形式で10人とか15人が習うというスタイルだった。それではなかなか英会話は上達しない。

NOVAが無くなって、そのあとは、通常の英会話教室があとをひきうけると聞く。なぜ、システム的にはとても良い英会話教室がなくなり、経営的には合理的かもしれないが、生徒にはちっとも良くないところが存続するのだろう。確かに経営者は良くなかったかもしれないが、良いシステムは是非とも残して欲しいものだ。

今日、NOVAで検索したら、ジー・エデュケーションという会社がNOVAのシステムを継承するようだ。5人クラスとなって、月謝制になるらしい。行きたいときに行けるという制度はない。それに、残念ながら我孫子にはまだ無い。

7.株価下落で金融資産減少

昨年のライブドアショックもひどかったが、今年のサブプライムローンの破綻による株価下落はひどい。米国発の不良債券のばら撒きで、全世界的な株価下落となった。
私は保有金融資産の中で株式比率が高い方だろう。ただ、悪い中でも、今年の半ばまでに、リフォームをやり、株を売って支払ったこと。さらに、10年サイクルで廻って来るブラックマンデーを予測していて、株をかなり売りはらい、そこそこの利益を上げたことが良かった。

今年最後の飲み会

高円寺の名曲喫茶へ行ったあと、新宿の喫茶店「らんぶる」から今晩行く予定のスペイン料理店に予約を入れようと電話したら、すでに満席だとの応えだった。待ち合わせが、その店で6時半である。すでに6時を過ぎていた。あわてて携帯に入っているイタリアレストランに電話したが、ここも7時半から予約が入っていて満席になると云う。とりあえず、一緒に食事する二人に連絡し、新宿駅東口交番前で落合うことにした。

交番前はものすごい人だかりだった。いつもはこんな光景ではないが、年末の夕方6時半で、仕事納めの人もたくさんいるのだろう。私たちも今年最後の飲み会で他人のことは云えない。

年末のこの時期は、都心はどこも混んでいる。レストランは飲み会で一杯だし、デパートやスーパーはお正月の買い物で混雑する。新幹線や飛行機、道路は帰省客や海外でお正月を過ごす人でごった返す。例年、私は暮れのこの時期は伊豆半島の温泉に行く。クリスマスと29日の間だ。ほんの少しずらせば旅館も道路もがら空きになる。しかも、富士山の景色が一番綺麗な時期である。

私は故郷が九州で、帰るのに片道24時間かかる。それでも、大学生時代や、就職後も独身時代は年末は帰省せざるをえなかった。お正月の三が日はどこも休みで、食事をするところもなかった。今はファミリーレストランやコンビニは勿論、スーパーが元日でも開いているので、食事に困ることがない。生活面での理由もあるが、それ以上に私が帰ることを心待ちにしていた両親がいたからである。何にも益して、自分の元気な姿を見せることが最大の親孝行だったのである。いつも、混んだ列車に乗って帰るのに苦労した。今だと新幹線や飛行機が使える。特急列車やましてや急行列車で帰る人は少ないだろう。
私の父親は商売をやっていたので、大晦日になると夜遅くまで集金に駆け回っていた。父が帰るまで待って、夜11時頃に一緒に家のすぐ前のガソリンスタンドでスクーター(ラビット)を洗うのが私の仕事だった。仕入先の集金人さんも、父の帰りを待っていた。その頃まで、日本の商売の締めが「盆暮れ」と云って、お盆か年末に支払うのが普通で、一時金は払っても、残りは掛けで商売が成り立っていたのである。なかには手形で払うお客さんもいたが、クレジットカードは勿論、銀行振込みなどが無かったから、年の暮れになると集金に駆けずり回る忙しさだったようだ。父は家に帰ってから、深夜に床屋に行った。その頃は大晦日になると床屋さんは徹夜で営業していた。
元旦になると、みんな晴れ着を着て、まずは神棚にお参りして、歳をとり、その年が幸せであるようにお祈りした。そのあと、近くの神社に初詣に行った。小さい頃は写真屋さんで記念写真を撮ってもらった。カメラなど一般家庭には無かったから、写真を撮ってもらうのはお正月やどこか旅行したときに蛇腹の付いた写真機で撮ってもらうくらいだった。
今はテレビでお正月番組をやり、それでお正月の気分になるが、その当時はテレビは無かったが、今よりはるかにお正月らしかった。

新宿東口の交番前で6時半を少し過ぎた頃、携帯に入れていた電話番号でトルコ料理の「イスタンブール」の席が取れた。まもなく3人が集まったので「イスタンブール」に行った。ほとんど予約で埋まっていた。
8時頃からベリーダンスが始まった。この店は何度も来ているが、いつもは早い時間に店を出るので、ベリーダンスショーを見るのは初めてである。お客さんまで巻き込んで賑やかなショーだった。

イヤーエンドイルミネーション
イヤーエンドイルミネーション

名曲喫茶廻り(2)

ルネッサンス1 ルネッサンス2
ルネッサンス

高円寺には「ネルケン」と「ルネッサンス」の2軒の名曲喫茶がある。「ネルケン」は歴史も古く、ファンも多いようだ。もう一つの「ルネッサンス」は、前回の名曲喫茶廻りで行った、阿佐ヶ谷にある「ヴィオロン」の入り口に貼ってあった案内書きを、写真を拡大して見つけた。場所はそれを頼りにしてネットで探し出した。

地図で見て近い方から廻ろうと思い、まず「ネルケン」に行った。時刻は3時を過ぎていた。お昼と夕方の営業の間なのか、入口に「準備中」という札がかかっていた。
順序を替えて、先に「ルネッサンス」に行った。「ネルケン」からは遠くない。ここは開店が11月23日で、出来たばかりの店である。地下に降りてドアをあけると、中はずいぶん暗い。しかも壁には古い掛け時計やランプ、楽器がたくさん飾ってある。これが開店早々の店かと思うほど古いものがずらりと置いてある。まるで店全体が古くからある名曲喫茶に見える。「ヴィオロン」と同じように真ん中がボックス席のようになっていて、周りが高くなっていた。多分、経営者が同じなのだろう。お客は一人もいない。感じの良い若い女性が一人で応対してくれた。
AAFCの名刺を出して、その女性に聞いてみたが、スピーカーはタンノイと言うだけで、型名はわからないそうだ。アンプは手作りの真空管アンプを使っていて、すべてLPレコードを利用しているという。ここでしばらく、音楽に聞き入った。最初はスカルラッティのチェンバロソナタをユゲット・ドレフュスの演奏で聴いた。音の響きはとても良く、チェンバロ独特のバロック的単調さがなくて、根戸小学校で聴くよりはるかに良い音であった。バロック音楽を聴くには良い喫茶店であると思う。席は30名程度が入れそうだ。
バロック中心かと聞いたら、そうではないようだ。次にブラームスの交響曲第4番をワルター、コロムビア響の演奏で聴いた。パチパチ音が目立ったが、音響的には良いと思った。お店の中は私一人で、若い女性は横にある明かりの灯った部屋で本でも読んでいるのであろう。あまり長居してる雰囲気でもないが、40分ほどもいたと思う。

4時を過ぎて、もう夕方の営業が始まっているだろうと思って「ネルケン」に行った。「営業中」の札が掛かっていた。中に入るとすでに数人のお客が入っていた。室内は明るく、本を見ながら勉強している女性もいた。壁はたくさんの絵が画廊のように飾ってある。ややお歳を召した品のあるご婦人が一人で営業している。スピーカーは天井に近い高い台の上に横にして置いてある。ダイヤトーンだということだ。タンノイほど大きくはなく、重厚さもないが、音の響きは良かった。壁や店の構造にも音響を良くする工夫がなされているのだろう。
入ったときはデジュー・ラーンキ演奏のモーツァルト、ピアノソナタが鳴っていたが、次にシゲティ演奏でトビッシーの「月の光」などが入ったヴァイオリン曲集を聴かせてくれた。
「ルネッサンス」に比べると気楽に音楽を聴きながら会話もできそうな雰囲気である。椅子やテーブルもきれいで居心地も良い。クッキーを食べながらコーヒーをいただいた。

高円寺の2軒の店は、どちらも駅から近くて便利だ。じっくり音楽を聴くなら「ルネッサンス」、気楽に本でも読みながらゆっくりするなら「ネルケン」という感じだろう。次に新宿で飲むときはどちらかに寄ってみようと思う。

せっかく高円寺まで来たので、阿佐ヶ谷の駅まで行って、学生時代に住んでいた下宿あたりまで行ってみた。駅の横の線路沿いにある一番街はわかったが、その先がまるで見当がつかない。住宅街も家が建て込んでいて、道がやけに狭い。40年前と今の道路幅の感覚がまるで違うのである。早々にあきらめて、駅まで戻り、新宿に向かった。

ネットで調べてみると、新宿には「らんぶる」という名曲喫茶があるという。飲み会の場所に近いので行ってみたら、確かに喫茶店はあるが、すでに名曲喫茶という形態は止めて、普通の喫茶店になったと云われた。中は明るく広くて綺麗だが、小さな音でベートーヴェンの「田園」が鳴っていた。

追記)「ルネッサンス」は、以前、中野にあった「クラシック」という名前の名曲喫茶が移転してきたようだ。古い時計やランプ、オーディオもそこから持ち込まれたとネットに記してあった。住所は以下のとおりです。
杉並区高円寺南2-48-11   「ネルケン」のすぐ近くです。

ネルケン ネルケン2
ネルケン
産経新聞1月25日
産経新聞1月25日

『点と線』

テレビ朝日『点と線』ポスター
テレビ朝日『点と線』ポスター

11月24、25日にテレビ朝日で放映された、松本清張の『点と線』の録画を見た。2日間、正味4時間の番組であったが、テレビドラマとしては、まれにみる秀作となっていた。

テレビ朝日開局50周年記念番組として銘打っているだけあって、極めて丁寧に製作されており、出演俳優も豪華キャストと云えるような布陣であった。
設定は昭和32年となっており、その頃の服装や、電気製品、新聞、雑誌、看板、建物などが実に木目細かく忠実に描かれている。この時期は私より古い年代の人たちが、みんな知っているのだから、ごまかしがきかない。当時の思い出もあって、ずいぶん細かいところまで興味深く見せてもらった。

『点と線』は松本清張のヒット作で、清張はこのあと続々と長編推理小説を世に送り出している。それまでの横溝正史や江戸川乱歩などの探偵ものとは一線を画した社会派推理小説を確立したと云ってもよい。私は、この小説を読んだ後、ずっと推理小説のとりこになってしまった。私だけではなく、この本がベストセラーになったあと、時刻表を買う人が増え、関連した本がたくさん売れるという、時刻表ブームまで起こっている。

テレビドラマ『点と線』では、たかだか260ページ程度の普通の文庫本のストーリーに正味4時間もの時間をかけている。普通は、この程度の推理小説では2時間で済ますところをその倍の時間を使っている。推理小説をテレビドラマ化して、その情景描写を綿密に入れると、そのくらいの時間はかける必要があると思う。この小説のもっともキーとなるアリバイ作りが東京駅でのシーンである。13番線から15番線に停車している特急「あさかぜ」を見ることができるのがたった4分しかないという、この情況を再現するために多くのコストをかけてセットを作ったという。
小説『点と線』とテレビドラマとはかなり違っているところもあるが、現代の視点で作られたテレビドラマが小説を補っているところが多かったと思う。たとえば、小説では福岡市の香椎海岸で一組の男女が死体で発見されたときの情景描写を、テレビでは被疑者の妻が同人誌に投稿した随筆の中に入れて、被疑者に土地勘のあることと、なぜ香椎海岸でなければならなかったかを説明している。また、東京駅でたった4分間の間に13番線ホームに目撃者をつれて行くのはそれほど難しくないが、同じ4分間の間に被害者の男女を15番線ホームにいかにして立たせるかという設定は実は小説にはない。文庫本の「解説」ではそれが指摘されているが、テレビでは、やや弱いもののなんとかカバーしている。小説でもテレビでもおかしいのは、男女の死体が発見されたとき、男性の衣服のポケットから出てくる食堂車の領収書が一名となっている点を老刑事が怪しむことである。しかも、一週間も前から福岡の旅館に男性が一人で宿泊していたことが翌日に判明している。この時点で、二人が別々に福岡に来たと考えるのが自然であって、食堂車の領収書が一名となっているのは不思議でもなんでもない。二人が同じ「あさかぜ」に乗ったことを目撃した証人が現れるのはそのあとのことである。東京駅での4分間がなければこの小説そのものがちっとも面白くなくなる。その4分間に二人を目撃するシーンが小説の最初に出てきて、そのすぐあとに、死体発見の場面があるため、作家が勘違いしてしまったのではないかと思う。

小説を映像化するときに、どの程度原典に忠実に従うかが問題となる。今回のテレビドラマでは主役が博多東署の鳥飼刑事になっていて東京や秋田にまで出張している。小説では彼は福岡を一歩も出ず、福岡、札幌、鎌倉はすべて警視庁捜査二課の三原警部補ひとりでの捜査になっている。本来ならば警察官一人での単独捜査というものは許されない。しかも事件が発生した所轄所の刑事がほとんど動かないというのも変である。テレビドラマとしての主張があって、現代風にアレンジしたものと思う。
文字で書かれたものをテレビドラマ化した場合、どうしても映像化できず、ナレーションに頼らざるをえない部分がでてくる。そうすると、ストーリーがわかりにくくなり、視聴者には緊張を強いることになる。むしろ、原典とは少し異なっても、視聴者に理解しやすくしてくれた方がよい。その点でも、今回のテレビドラマ化は非常に優れたものといえよう。このあと、松本清張シリーズを続けていただけるのなら、他の小説もこのくらいの丁寧さでドラマ化してくれたらと願っている。

この小説は昭和32年に書かれている。西暦1957年だから、丁度50年前だ。私が中学生のころである。今と大きく違っているのは、長距離交通手段かもしれない。刑事たちは東京と博多を何度も列車で行き来しているが、いつも4人向かい合わせのボックス席に座っている。数年後ではあるが、私も学生時代は九州に帰郷するのに「雲仙」や「西海」などの急行列車を使った。ドラマと同じように4人ボックス席で座って寝るか、席が取れないときは、通路に新聞紙を敷いて寝たものである。ボックス席で一夜を明かすのは、結構つらい。私が就職したころには、「あさかぜ」や「さくら」、「はやぶさ」などの夜行寝台列車を使った。その当時はB寝台と呼ばれるようになっていたが、3段ベッドで横幅も普通の座席より少し広い程度でずいぶん窮屈であった。
ここで気づくことであるが、「飛行機を使うという発想はその当時はほとんど無かったのか?」ということである。小説の中でも同じであるが、その発想、一発でアリバイが崩れ始める。他の細心なアリバイ工作のわりには、あまりにも単純で唐突な崩れ方である。あとは、結果を三原警部補から鳥飼刑事への手紙の中で種明かしをしている。この小説の最大の欠点はそれであっさりと終ってしまうことなのだと思う。

そういう多少の欠点はあっても、この小説の価値が失われるわけではない。それまでの推理小説は探偵小説が中心で、密室殺人を代表とした、犯人が仕掛けたトリックを名探偵がろくに捜査もせず頭の中だけで解決してしまうというのがほとんどだったのである。コナン・ドイルのシャーロック・ホームズ、アガサ・クリスティのエルキュール・ポワロ、横溝正史の金田一耕助、江戸川乱歩の明智小五郎などの名探偵はなつかしい名前だ。実に巧妙なトリックを使った事件を見事に解き明かしてくれる。彼らの小説もずいぶん読んだが、この頃の探偵小説は、ある狭い場所での出来事、いわば点しか扱っていない。それに対して『点と線』は福岡から札幌までの全国レベルでの出来事をあつかっている。題名どおり、点と点を線でむすぶことをやっている。これは、後に書かれる『時間の習俗』で時間レベルにまで拡大される。ぬかりのないアリバイづくりと、それを一歩一歩崩していく推理小説の展開はこの小説で確立されたと云ってもよい。

もう一つの特徴は、犯人が自殺することにより、もっと「わるいやつら」はぬくぬくと生き残るという筋立てである。社会派推理小説というジャンルはこの小説のあとも、清張ものは勿論、森村誠一や西村京太郎のトラベル・ミステリー、内田康夫の浅見光彦シリーズなど最近の推理小説にも引き継がれている。
推理小説が実際の犯罪捜査と異なるのは、犯人の綿密なアリバイづくりがあるところだろう。それをいかに崩していくかが面白いところである。ただし、問題なのはほとんどが状況証拠でしかない。結局、自白か犯人の自殺という結末になってしまうのだ。

私の悪い癖かもかもしれないが、一旦、ある作家の作品を読んで気に入ると、その作家の作品を片っ端から読む癖がある。知らない作家の作品を読んで裏切られたくないからだと思う。
松本清張の作品は、『点と線』のあと『眼の壁』、『蒼い描点』、『黄色い風土』、『ゼロの焦点』、『時間の習俗』・・・・『Dの複合』など本格推理小説はほとんど読みつくしてしまっている。
清張が長編推理小説から古代史やノンフィクションものへと移る頃からは、別の分野の小説を読むようになった。

この『点と線』などの初期の清張作品は、ほとんど高校時代に貸し本屋で借りて読んだ。清張は最近の作家のように多作ではない。次の作品がでるまでの間に、黒岩重吾や高木彬光などの作品も読んだ。現在は内田康夫の作品ばかりで、そろそろ文庫本は読みつくしてしまいそうになっている。 

日展 2007

 11月末日に、日展を見に行った。昨年までは東京都美術館だったのが、今年から乃木坂にある国立新美術館で展示されている。明るくて、広く、展示スペースも大きい。

今年はカメラを持っていって、ブログの添付写真になるような絵を探した。許可を得て、腕章みたいなものを腕につければ撮影してもよいとのことであった。ストロボやフラッシュは禁止されている。

私は絵に関しては、全くの門外漢である。ただ綺麗だとか、写実的でよく描けてる絵に感心する。

まず、日本画と洋画ってどこが違うのかがよくわからない。以前は、日本画は水彩で洋画は油彩だと認識していたが、どうもそう単純ではないようだ。キャンバスの上で盛り上がっているような絵の具を使っていても、日本画になっているし、モネみたいな日本画もある。第一、昔の狩野派や浮世絵はどうなったのだろう?あのような絵を描いている画家は今でもいるのかしらと、思ってしまう。俳画や墨絵などの分野の絵とか、仏像などの彫刻もあってよいはずである。

どうも、日本の絵画は西洋の影響をあまりにも受けすぎているような気がする。

同時に開催されていた「フェルメール展」は入場料も高い。西洋の作品展にはごった返すほどの人が集まるのに、日展は決して混んではいない。私も含めてだが、海外に行くと、日本人は美術館や博物館を訪れる。日本ではそういうところに行かない人でも。不思議???
ボストン美術館で、たくさんの浮世絵や狩野派の絵を見ることができる。明治維新の文明開化で、西洋の文化を取り入れるかわりに、日本固有の美術品が海外に持ち出されてしまったのだ。

日本画と洋画の違いについて、少し勉強したので、忘れぬように書いておきたい。フェノロサによると、以下のような違いがあるというが、その境界は明確ではないようだ。日本画は、
     1.写真のような写実を追わない。
     2. 陰影が無い。
     3.鉤勒(こうろく、輪郭線)がある。
     4.色調が濃厚でない。
     5.表現が簡潔である。

そういう目で見るとたしかに、日本画と洋画の違いがわかったような気がする。

ちなみに、狩野派や浮世絵、大和絵、俳画、墨絵などは「日本画」ではないらしい。(Wikipedia)

今年の日展で、なんとなく美しいと思った作品を、スライドショウにしてみた。

平治物語絵巻の一部    (ボストン美術館)
平治物語絵巻の一部 (ボストン美術館)