


奈良の桜の名所は何といっても吉野である。 さぞかし、満開の頃は下千本、中千本、上千本と咲き揃って行くであろう。そんなイメージをいだいて、吉野の山桜を観に行った。 電車やバス、ロープウエイを使えば、結構、時間がかかると思い、前もって予約しておいたJR奈良発のバスツアーを利用した。
朝9時に発って、11時半頃に吉野の観光バス駐車場に着いた。そこから蔵王堂に登る道は、まるで浅草の仲見世通りのような混雑ぶりで、なかなか進めない。両側にお土産屋のある道をしばらく歩いて仁王門にたどり着いた。石段を登って、仁王門をくぐると蔵王堂がそびえていた。 蔵王堂すなわち金峯山寺は吉野を代表する寺院で、役の行者が建立した修験道の本山である。さらに、奥の院までの参道に咲く桜はほぼ満開だったが、山の斜面に見える千本桜は、満開とまではいかないけれど、ほころんだ蕾がピンク色に染まって美しい。
蔵王堂のすぐそばに、南北朝時代の吉野朝宮跡という石碑が建っていた。 1336年に後醍醐天皇がここを南朝の都とし、南北朝時代は56年間続くのだが、ここに都があったのは最初の12年間にすぎない。その後は、西吉野村に移っている。ここを南朝の都として、3年後に後醍醐天皇は崩御し、後村上天皇が即位している。
蔵王堂からしばらく道なりに行くと、中千本あたりに、吉水神社があり、観光スポットとなっている。吉水神社から中千本、下千本の桜がよく見えるはずたが、まだ満開ではない。中に入ると、後醍醐天皇の行宮の間があり、ここが南朝の最初の宮であったとされている。 「後醍醐天皇玉座」の他にもう一つ、「義経潜居の間」があり、源義経の鎧と静御前の衣装が展示されていた。
吉野は義経が頼朝軍に追われて、逃避行の途中に立ち寄った場所である。ここで、静御前と別れることになるが、謡曲「吉野静」、「二人静」の舞台となっているのは、吉水神社のすぐ近くにある勝手神社である。
義経が吉野の衆徒から逃れる際、佐藤忠信と計って、衆徒を欺くために静御前は舞を舞い、その間に義経を落ち延びさせるというのが「吉野静」のあらましである。この時にの殿(しんがり)を務めた佐藤忠信を謡ったのが「忠信」である。
吉野にある多くの寺院の中で、私にとって最も親しみ深いのが、勝手神社である。サラリーマン時代に通勤中に読み耽った内田康夫著「天川伝説殺人事件」に登場する神社だし、舞われる能が「二人静」である。「二人静」は二人の静御前が一緒に舞うという至難の曲といわれ、ストーリーは次のようになっている。
「吉野勝手明神に供えるために里に下りて、菜摘みをしていた菜摘女の前に見知らぬ女が現れ、『私の罪の深さを憐れんで弔って下さるよう神職に伝えて欲しい』と云って消え去った。菜摘女が神職に伝えると、たちまち女の言葉、顔つきが変わった。神職が何者かと尋ねると、『判官殿に仕えた者』と答え、自分が静であると云う。 静御前ならば舞の名手のはずという神職の願いにより、舞を舞う。するといつの間にか、静御前の霊が現れ、二人の静御前が寸分の狂いもなく息の合った舞を舞う。」
勝手神社の前に着いてよく見ると、2001年に本殿が焼失し、現在は閉鎖されているという看板がかかっていた。目当ての神社を見ることができず、バスの時刻に合わせて、そこで引き返した。一日中、人ごみの中にいて、すっかり疲れてしまった。
このブログ記事を書く前に、「天河伝説殺人事件」と「平城山を越えた女」を読み直してみた。ともに奈良を舞台にするミステリー小説だが、逮捕者が一人もいないのも面白いし、内田康夫氏自身がお気に入りの小説である。もっと空いている時期に吉野を訪ね、「天河伝説殺人事件」で浅見光彦が滞在した桜花壇に宿泊し、ゆっくり吉野を探索してみたいと思う。できれば、さらに奥まで行って、天河神社すなわち天河大弁財天社まで足を延ばしてみたい。やはり、7月16、17日の例大祭で、能楽を鑑賞できれば最高だと思う。





