「武士の一分」

武士の一分 壇れい

久し振りに、しっとりと落ち着いた映画を見た。山田洋次監督の「武士の一分」である。ストーリーとしてはこじんまりとしているが、藤沢周平原作の短編小説集「隠し剣秋風抄」の中の『「盲目剣谺返し(こだまかえし)』をじっくりと煮込んで秀作としている。

海坂藩の下級武士、三村新之丞は愛する妻と共に、慎ましくも楽しく暮らしている。新之丞は毒味役という役目を仰せつかい、主君が食するものを事前に試食する役であった。ある日、この地でとれる赤灰貝という貝を食べて気分が悪くなる。主君が食する前に倒れたので、主君は無事で済んだが、しかし、新之丞は数日間、高熱を出し、失明してしまう。絶望の淵に立つ夫が扶持を失わずに済むよう、妻の加世は助力を得ようとして、「なんとかご家老にお願いしてあげよう」と励ましてくれた上士、島田藤弥に頼みこむ。そして、交換条件として加世は島田に身を弄(もてあそ)ばれる。やがてそれは新之丞の知るところとなり、加世は離別されてしまう。そして、新之丞は全く目の見えない身体で、武士の一分を賭けて、真陰流の達人、島田藤弥に真剣勝負を挑む。新之丞も腕はたつが、相手の気配だけを頼りに立ち向かう。島田は風に吹かれる枯葉の音に隠れて、納屋の後ろにまわり、気配を隠して納屋の屋根の上から切りつけてくる。鋭い殺気を感じた新之丞が剣を背中越しに抱えて、振り払うと、バサッと音がして枯葉の上に島田が倒れる。島田は腕に深手を負い、命は助かるが、自宅に戻って自害して果てる。盲目の身となった新之丞が島田ほどの使い手に勝負して勝てると思われることもなく、とがめだてはない。主君は自分たちが何事もなく、安穏に暮らせるのも新之丞のおかげであるとして、新之丞を生涯、同じ扶持で召抱える。島田の口利きのおかげではなかった。やがて、中間(ちゅうげん)の徳平の勧めで飯炊き女が雇われる。舌になじんだ味、もう一度食べたかった蕨たたきだ。行く先もなく、しばらくの間、徳平が預かっていた、加世であった。

この映画は藤沢周平の短編小説をもとに作られているが、原作は文庫本40頁程度である。映画を見たあとにこの小説を読んだが、一時間もかからずに読んでしまった。映画では正味2時間をかけている。
前に「点と線」の記事を書いたが、小説は文庫本260頁に対して、4時間のテレビドラマにしている。誰にでもわかりやすくしようとするとテレビや映画は充分な時間をかけた作品にしなければならない。最近のミステリードラマは間をはしょりすぎて、ストーリーがまるでわからなくなるものが多い。つい最近見た内田康夫の「天河伝説殺人事件」も原作は550頁ほどあるが、それを、コマーシャルまで入れて2時間ものに仕立てるなど、ストーリーがあまりにも単純化されていて、まるで面白くない。

時代劇では、「水戸黄門」などは勿論、何分冊にもなっている大仏次郎の「鞍馬天狗」や野村胡堂の「銭形平次捕物控」もテレビや映画では原作からは完全に遊離しているものが多い。
そういう意味では映画が作りだした傑作は「座頭市」かもしれない。勝新太郎主演で十数本もの映画が作られている。この「座頭市」の原作にあたる小説は子母沢寛の作品であるが、原稿用紙4枚程度である。この極めて短い小説の中に映画の道具立てはほとんど揃っているのである。そのさわりだけを紹介しよう。

「天保の頃、下総、飯岡の助五郎のところに座頭市という盲目の子分がいた。頭を剃ってでっぷりとした男で、柄の長い脇差をさして歩いていた。盲目だけにものすごく感がよく、博打場で壺振りの賽の目を百発百中で当てた。
しかも、この男は盲目でありながら、抜刀術居合いの腕は凄いもので、小さい桶のようなものを誰かに投げさせてそれが落ちてくる途中でキーンと鍔鳴りがして、桶は真っ二つになって地上に落ちる。市の刀はその間にちゃんと鞘におさまっていて、市はにやにやしている。こんな訳だから助五郎の子分たちは市には一目もニ目もおいていて、市が出てくるとどんな喧嘩も収まった。」

こういう筋書きで、座頭市の強さを表現している。少し違うとすれば、仕込み杖が長脇差になっている程度で、あとはいくらでも脚色することができる。飯岡の助五郎と云えば「天保水滸伝」では悪役になるが、主人公は笹川の重蔵、それに平手造酒が登場する。三波春夫の「利根ェの~利根の川風よしきりの・・・・・『止めて下さるな妙心殿・・・・』・・・」である。

映画「武士の一分」は藤沢周平の「隠し剣秋風抄」の中の『盲目剣谺返し』という短編小説を映画化したものである。
もう一つの「隠し剣弧影抄」とともに隠し剣、いわゆる?秘剣?を扱っている。小説の中では新之丞は木部道場で免許を受け、秘剣?谺返し?を受け継ぐと目されていた。
盲目となっても、周りを飛ぶ羽虫を木刀で打ち落とすほどの腕前と書かれている。そして、島田を討った一撃が?谺返し?かとさとる。そして、もう二度と使うこともあるまいと思うのである。
しかし、山田洋次監督は新之亟を秘剣の使い手として、特別扱いはしていない。ただ、木部道場で授けられた、「倶(とも)ニ死スルヲ以テ、心ト為ス。勝ハ厥(そ)ノ中ニ在リ」と「必死スナワチ生クルナリ」の言葉を心に念じて戦うのである。映画では下級武士の夫婦愛と、夫を愛するがゆえに自分がどうなっても、さらに夫に成敗されてもよしとして身を投げ出す妻、加世の懸命な姿を描いている。加世役の壇れいさんはそそとした中に凛とした武士の妻を好演していて美しい。

1995年1月17日 阪神淡路大震災

 この頃、前の年からスタートした、ある電機メーカーの一事業部での業務改革プロジェクトに入っていた。毎週、2~3日間だけ、お客様のプロジェクトメンバーと一緒になって、業務改革の素案を作る作業である。我々の会社からは、東京にオフィスを持つ私と大阪にオフィスを持つNさん、それに名古屋のAさんの三人が入っていた。
 この週の月曜日、16日は前の日が成人の日と日曜日が重なったために休日になっており、私は16日の夕方から大阪の京橋にあるホテルに宿泊していた。17日と18日に作業をする予定だった。
 17日未明、突如として大きな揺れに目を覚まされた。ベッドに座っているのもやっとのような感じだった。すぐそばにあるテレビのスイッチを入れた。私の記憶では、NHK大阪放送局の仮眠室の二段ベッドから飛び起きてくる職員のシーンが写しだされ、字幕で「ただいま淡路島北部を震源とする大きな地震が発生しました。」というテロップが流されていた。まもなく、アナウンサーの顔が映し出され、第一声が発せられた。「ただいま第一報が届きました。午前5時45分頃、近畿地方を中心として強い地震がありました。震度6が神戸・・・」というものであった。余震が何度かあって、私が泊まっていたホテルの14階の揺れはずいぶん大きく感じた。起きてもしかたがないので、またベッドに入った。
 朝、7時頃起きて、テレビを見たら、ずっと地震のニュースが続いている。NHK神戸放送局の映像が出て、すごい揺れで机や棚の上のものが落ちて、四散している状況が写し出されていた。同じ内容が繰り返し放送されていたが、少しずつ現場の映像や、ヘリコプターからの映像も届いてきていた。ホテルから六甲山とその裾に帯状に横たわる神戸市が遠くに見える。神戸市はいろんな所で火災が発生し、煙があちこちに立ち昇っている。ところどころで炎がでているのが見えた。時間が経つうちに神戸市内の様子がわかってきた。ホテルのすぐそばを走っているはずの、環状線の電車も動いていなかった。お客様の会社に行こうにも、電車がすべて止まっている。同じホテルに泊まっていると思っていた、名古屋のAさんはいない。10時頃に大阪のNさんに電話をしたら、彼はこれから、神戸に住んでいるお母さんを自分の家に連れてくると云っていた。その日は何もせずに、ずっとテレビと窓から見える神戸市の煙の状況を見ていた。上空には何機ものヘリコプターが飛んでいた。夜になると火事の炎がよく見える。新たに火災が発生する様子も見える。翌日もお客様の会社は休みとなり、仕事は木曜と金曜日になった。金曜まで新幹線は大阪京都間は徐行運転をしていた。出張から我家に戻ったのは土曜日になった。
 今年の1月は阪神淡路大震災から13年になる。毎年、1月17日に追悼式が行われている。追悼式は被害を受けたいろんなところで行われるが、その模様をテレビで見ていたら、小学校の朝礼でおこなわれている追悼式で、一人の女の子が校長先生のお話を聞きながら、ポロポロ涙を流して泣いている。小学3年生くらいの女の子である。震災のときはまだ生まれてもいないはずだ。ご両親も元気だと想像できるのだが、震災の経験を何度も聞かされているのであろう。私も胸が打たれ、もらい泣きしそうになった。ずいぶん感受性の強い子だと思った。いつまでも優しい気持ちを持ち続けて欲しい。
 1月21日の産経新聞の投書欄「談話室」に「阪神・淡路大震災から13年がたった。当時、『無人のスーパーから物を盗む人がいないとは、日本とは何と安全な国だ』と他国から驚きの声があったと聞き、自国を少し誇りに思ったものだ。しかし、・・・・」という投書が載っていた。私も同感であるが、もう一度、あのときの状況を確かめてみたくなって、“YouTube”のいろんなビデオ映像を見た。あの当時の放送では公開されていなかったいろんな映像が蓄積されていた。テレビではかなり表面的な内容しか放映していないが、現場の生々しい映像がたくさんあった。火事場泥棒的な盗難もあったようだが、やむにやまれぬようなもののようである。それ以上にパニックが起こっていないことに感心させられた。消防隊や警察、一部の自衛隊と、近隣の人たちの救命活動が整然と行われたことである。震災発生当日は神戸市内への道路が封鎖されて、自動車での進入ができなかったことが大きかったと思う。報道関係のヘリコプターがたくさん飛んでいるのに、消火や救助のためのヘリコプターが飛んでいないのも問題である。救援活動で最初にヘリコプターが飛んだのが、ダイエーやセブン・イレブンの救援物資の運搬であり、暴力団山口組や宗教団体の救助活動も行われたようである。当時の政府は村山社会党内閣で、自衛隊の大量派遣をずいぶん渋っていたようだ。憲法違反と言っていた自衛隊が活躍してくれることは望まなかったのかもしれない。
 翌日から、交通封鎖は解かれたが、マスコミやボランティア、それに家族や親類を助けに来た人たちで一杯になった。他県からの消防隊や警察などの応援もあって、秩序は保たれていたようである。

阪神大震災とは関係ないのだが、1月21日の産経新聞の同じ紙面に、16年前の「朝の詩」欄に載せられた『娘』という詩が再掲載されていた。再掲載を依頼した読者は手帳にこの詩をいつも挟んでいて、この詩を読むと心が洗われるという。小学校の追悼式で涙を流して泣く女の子のように、私も他人の不幸や痛みを自分のものとして、悲しみ嘆く人間であり続けたいと思う。

朝の詩「娘」

ブログの書初め


利根川の土手
     利根川の土手

ブログを書く動機というのは、書く人によって異なる。それは当然のことで、日記のように毎日の何でもないようなことを書くのも良いし、写真集のように使うこともできる。あるいは政治問題や経済問題に対する意見を書くのも良い。このブログも最初は日記をもう少し詳細にしたものという程度の位置づけで書き始めた。定年退職後、何かの文章を書くことがなくなり、暇にまかせてまじめに書いてみようと思ったからである。

日記は毎日書いているが、ウエブ上のウォーキングクラブが提供している日記帳に毎日の歩数、体重と一緒に書いている。平均150文字程度で、さほど苦にはならないし、記録として重要だと思っている。また写真集は別に従来型のホームページを持っているが、長いことアップデイトしていない。

このブログの目的は通常の日記ではなく、文章を書くことを目的としている。前の記事で高峰秀子さんのエッセイを紹介したが、エッセイは読むのも楽しいが、書くことも楽しみたいからである。読む人がいるのかどうかは気にしていないが、文章を書くからには、だれかに読んでもらいたいと思っている。そのために、文章は、読む人のためになり、面白くなければならない。文章は長すぎず、その上である程度の内容の深さが要求される。通常の日記と異なるのは「事実」を書くのではなく、「思ったこと」を書くのである。過去の当ブログの中で、「梁」について書いた文章がある。あれを日記にすると、一つ石梁で昼食をとっただけで終ってしまい、塩原温泉の宿の感想を書く程度になってしまう。

私が小学校、中学校時代に教わった国語の時間は、朗読でもなく、ただ単に声を出して棒読みしたり、漢字の書き取りで終っていた。試験の問題も、漢字の読み書き問題や、あるいは括弧の中に入れる言葉を選択するような問題ばかりで、ほとんど文章を書くことはなかった。
高校生になると、古文や漢文と一緒になって、現代文の比重は少なくなり、受験勉強に近くなった。
だから、文の組み立てかたやパラグラフの作り方、論旨のまとめ方などの文章作法はほとんど教わっていない。それどころか、もっと基礎であるべき句読点、とくに読点をどこにつけるべきか、括弧はどのように使えばよいかなど、全く教わったことがない。自分で勉強するしかなかった。まれに書かされる作文の題にしても事物の客観的な描写や、論理的表現を求めるものはほとんどなく、「~について、どのように思うか?」的な、あるテーマについて主観的な表現で記述するに足るものが多かった。
現在は、文学の専門家よりも、客観的に的確な表現力を必要とする学問分野からの要請として、理科系の専門家から種々の提案が出されている。(野口悠紀雄氏の『「超」文章法』、木下是雄氏の『理科系の作文技術』など)
私の友人の一人が彼の友達から散文的な文章を募っているが、文系出身者より理系出身者の方が熱心に書いてくれるそうだ。理系出身者は大学を卒業するために卒業論文を書くという試練を避けて通れないからである。

私の場合は、大学受験では現代文は勉強するものではなく、普段の読書量がものいう世界であると考えていた。試験問題は、勉強というより、文章を楽しく読んで、クイズに答えるようなものだった。しかし、最近、パソコンが普及して、その必要性が少なくなったにもかかわらず、それが原因で漢字を書けない若者が増えたと云われている。大学の試験問題に漢字の書き取りが増えているようだが、むしろそれは逆で、パソコンで容易に漢字を書けるようになったがために、新聞をはじめ以前はひらがなで書かれた言葉が漢字で書かれるようになり、読めない漢字が増えている。例えば「潔い」(いさぎよい)、「麗しい」(うるわしい)、「玩ぶ」(もてあそぶ)などの類である。

パソコンは文章作成にはいまや必須といってもよい。たしかに、パソコンは人が作ったソフトウェアが主役として動く。そのため、同じ機能を使うにしても、使い方はソフトウェアによって異なるし、関連するソフトウェアとの関わりかたによっても操作が違ってくる。慣れていない人には難しいかもしれないが、パソコンを敵視するようなことはやめていただきたい。むしろ、若者の漢字力の弱さを嘆くような、国語の先生こそパソコンの勉強をしてもらいたいと思う。

パソコンを使った作文は、まず、思いついたことを片っ端から書き連ねて、それを組み合わせていく作業になる。最初から完璧な文章など考えない。ブログの場合、しょせん、誰が読んでくれるのかわからないのだから、自分の書きたいことを書けばよいのだ。小川有里さんというエッセイストが「ネタを探すのは大変だが、見つけたネタを?発酵?させ、文章として練るときの楽しさは、何にも代え難い」とおっしゃっている(1月14日『産経新聞』)。私はブログの記事を書くためにいろんな所へ行って、写真やビデオを撮り、その場で思ったことを書き綴ろうと思っている。まさに、ブログ記事のための取材旅行と考えれば、一人旅も楽しくなるだろう。

随筆としてバイブルにも匹敵すると云われる「徒然草」を、兼好法師は何のために、誰が読んでくれると想定して書いたのであろうか?『序段』で、「つれづれなるまゝに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」と綴っているので、そういうことは意識せずに、書きたいから書いたのであろう。印刷技術の無い700年も前に書かれた随筆が、書写によって営々と引き継がれてきたのである

布施弁天 ねずみ男?
      布施弁天          ねずみ男?