2026年冬季オリンピック

2026ミラノ・コルティナオリンピックのスキー会場

 今年の冬季オリンピックはイタリアのミラノとコルティナを中心拠点として開催されました。日本では冬季オリンピックは札幌と長野で開かれています。
 札幌は1972年に第11回冬季オリンピック大会が開催され、アジアでは初めてとなる開催でした。1964年に開催された東京オリンピックに次いで、二度目のオリンピックだったのです。

 私が大学を卒業したのが1966年ですから、大学に在学中に東京オリンピックが開かれ、テレビが普及し始めたころです。札幌オリンピックの頃には一般的な家庭にもはテレビがあり、スキーやスピードスケートの競技を見ることができるようになりました。もっとも、その頃はブラウン管の白黒テレビでした。
 次に開催されたオリンピックは1998年の長野オリンピックです。実は私にとって最も思い出深いのが、長野オリンピックです。
 長野オリンピックが開かれている頃は、私も定年になる前の最も忙しいときでした。まだサプライチェーンという言葉が出てくる前でしたが、そのシステムアルゴリズムを完成させて、コンピュータ・ロジックを作成しながら、会社のテレビで日本が得意とするジャンプ競技を見ていました。団体戦で日本は日の丸飛行隊と呼ばれて、原田・舟木・岡部らが金メダルを勝ち取ったシーンを思い出します。スキー場も猛吹雪で中断することもしばしばでしたが、この年は東京でも雪がよく降り積もり、近くのホテルに泊まりながら、仕事をしたことを思い出します。
 長野の次に日本で開かれたオリンピックは2021年に開催された東京オリンピック2020です。本来2020年に開かれる予定でしたが、コロナの世界的な蔓延で、一年遅れて開催されたのです。その次の2024年に夏季オリンピックはバリで開催されました。

2015春季早慶戦

  明治神宮野球場の入り口は当日券を買う人でごった返していた。
 今回は早稲田の久しぶりの優勝の可能性が強い。早慶戦で一勝でもすればよい。法政が東大に思わぬ一敗を喫したため、昨年の春秋に続いて早慶戦に優勝が懸かっている。
 我孫子稲門会からは私とOさんの二人が応援に駆け付けた。我々は一塁側に近いネット裏に席を取った。写真を撮るに好都合な席だ。天気は快晴で陽ざしは強いが涼しい風が吹いていた。   
 先発ピッチャーは早稲田は大竹、慶応は加藤拓也。大柄の加藤の球は剛速球でしかも重そう。フォアボールで三塁まで走者を進めても、バントはすべてフライになる。打ったかと思うと内野フライ、バットが折れる。
 四回に川原の大きなライト側への犠牲フライで、三塁走者がホームを突き、やっと一点を先取した。一方、大竹のピッチングはヒットこそ出さないけれど何度も外野手がバックする、あと少しでホームランになるようなフライが何度もあった。7回にヒットが出て、加藤から昨年負けた三宮にスイッチして、やっとヒットが続き、結局4対0で完勝となった。大竹の球質に合わせて外野陣が後方で守っていたことがわかる。   
 今回は東京六大学野球90周年、ポスターも早慶合同で作成しPRした結果、観客数3万4000人と外野まで満席となる試合だった。これで法政と並んで44回目の優勝。二年生の大竹と一年生の小島という若い投手陣に三年生、四年生の強力打撃陣、新しい高橋監督の指揮のもとで勝ち取った完全優勝である。              (開催日2015年5月30日 鶴 記)
4対0で完勝
チアリーダー 野球部大竹投手4回川原の犠打で1点先取早稲田のチアリーディング慶応のチアガールも懸命優勝で喜ぶ早稲田チーム球場に轟く都の西北

「ゆめ半島千葉国体」に出場

千葉国体2
私が昨年から我孫子市ペタンク大会などでPRしていた「ゆめ半島千葉国体」に出場することができた。
ペタンクは正式種目にはなっていない。国体の「デモンストレーションとしてのスポーツ行事」として、柏市の柏の葉キャンパス駅近くの特設会場で行われた。私たちはデモスポ競技と呼んでいるが、これから国体の正式種目になる可能性を持っている競技もあるし、ウォーキングやグラウンドゴルフのように一般的に親しまれているスポーツやゲームも入っている。このデモスポ競技は開催都道府県の住民しか出場できない。年に一回、47の都道府県のうちの一つで国体が開催されるわけで、正式種目になって、千葉県の予選を勝ち抜いて出場しないかぎり、国体に出場することはできない。私の歳では二度と参加することはありえない。
 デモスポ競技のペタンクは当初、40チーム程度を予定しており、それ以上の参加申し込みがあった場合は抽選となっていた。40チームであれば、50チーム以上が参加する我孫子市ペタンク大会より小さい。申し込み締め切り後、参加申し込みチームすべてが出場できるようになった。全部で66チームである。その中で開催地の柏市は32チーム、隣の我孫子市が16チーム、次が船橋市と印西市の5チームである。柏市ではこれまで、ペタンクを市の推進競技として扱っていなかったので、32チームのほとんどが柏市の関係団体、たとえば市役所、市議会、保健所、消防署、一部の地元企業などの、俄作りのチームである。一方、我孫子市では、すでに10年以上前からペタンクの普及に努めており、体育指導委員の指導のもとに、ペタンククラブの育成を図ってきた。16チームというのはかなり、遠慮した結果だと思っている。
 柏や船橋、印西といった地域では、ペタンクが盛んでないというわけではない。ペタンクを本当に好きなマニア的な人たちが集まってクラブを作っている。いろんな大会に出場し、経験を積み、練習もよくやる人たちである。そこの中に全くペタンクの経験の無い人が入るのはやはり難しいのかもしれない。それでは我孫子市にはペタンクマニアが少ないのかというと、そんなことはない。他の市と同じ程度の数はいる。しかし、比率的には少なく、普通のペタンククラブの指導者的な役を担っていても、通じないのでペタンク用語でさえあまり使わない。ただ、我孫子市ペタンク大会での技術的なレベルはかなり向上したと云われているが、その人たちの貢献は大きいと思う。
 ペタンクは高度な技術が要求される場合もあるし、偶然性の要素も多い。また、その日の調子、すなわち体調や運、不運、さらにグラウンドの状況も大きく影響する。チームスポーツが故の、誰と組むかも勝敗を決める決定的な要因である。
 我孫子市ペタンククラブ連絡会では、国体の前に、国体出場者のために、ルールの教育や試合での心構えを説明した。また、世界選手権などの大会の模様やフランスの子供たちの練習シーンなどを収めたDVDの映像も見せた。このようなことをやって、みんなの頑張ろうという意識づけになればと思ったのである。その結果として、我孫子市でペタンクがさらに普及することを願っている。
 国体には私が所属する根戸エンジョイクラブからは3チームが出場した。私は別のクラブのKdさんと私のクラブのKbさんと組んで出場した。3人は意気も合っているし、私がティーラー、二人が寄せ役である。二人とも寄せが上手いし、Kdさんはティールもできる。好成績を残せればと思ったが、練習の時からなんとなくおかしい。最初の試合から感じたことだが、グラウンドがかなり異常であることだ。この特設グラウンドは普通の工事現場であったところに大きな砂利を撒いて、高度な技術が要求されるようにしたようだが、それでは一般的な人に気の毒だとの意見が出て、その上に土砂を詰めたのではないかと思う。会場を大会前に見に行った人が、駐車場に撒いてあるような砂利が敷かれていたと言っていたし、私が見に行った1週間程度前は土砂で平らになっていたのである。しかし大会直前2日間、雨が降って、土砂が砂利の下に流れて、石の突起が地面の直下にあったりしてかなり地面の硬さがバラバラの状態になっていたと思う。まるでボールが転がらないところがあったり、少しずれた場所に行くと転がりすぎたり、横にはじけたりして、全くの運・不運による勝敗になってしまった。ティールには問題なく、私のティールは良く当たっていたが、寄せが難しく、寄せ役のKdさんやKbさんが気の毒でたまらなかった。
まあ、もともと、記念として国体に出ることが目的だったので、勝敗は気にしていなかったが、最初に対戦した柏市の消防団のチームが優勝した。おめでとう、良かったねと言って帰った。

ペタンクの勧め

私は「根戸エンジョイクラブ」に入って、太極拳とペタンクを始めた。ペタンクは日本ではニュースポーツの一種に属するスポーツである。現在、日本のペタンクは、ゲートボールがすたれて、その代わりになるような老人向けスポーツになっている。市のペタンク大会やペタンクの練習は以前のゲートボール場でやっている。2~3人でチームを組んで競技するので、4~6人が集まらないと試合はできない。私達は近くの小学校の校庭や公園で練習しているが、一旦、やりだすと、つい熱中してしまう。

日本ペタンク・ブール連盟」のウエブによると、ペタンクは1910年に南フランスの港町ラ・シオタで生まれた球技で、最初は助走をつけて投球していたが、車椅子の人でも競技ができるように、地面に直径50cm程の円を書いてのその中から投げるようになったという。発祥国フランスでは500万人以上がプレーを楽しんでいるそうだ。欧州は勿論、アジアでも旧フランス領であったベトナムやカンボジャ、ラオスでは盛んに行われている。
小さな公園のようなほんの少しのスペースでも気軽にプレーでき、ルールも簡単なことから誰でも容易に参加できる。実際に我々がプレーしているときに、知らない人から、「これは何と云うゲームですか?」と聞かれることがある。我々としては喜んでお応えしているし、興味を示す人には一緒にゲームをやるように勧めている。ゲームに参加するとすぐにルールも理解してもらえる。手っ取りばやく説明するため「氷の上でやるカーリングと同じです」と説明している。簡単なルールや用具を理解するには「日本ペタンク協会」のウエブ他、たくさんのサイトで説明されているので、ご覧いただきたい。

ここでは、簡単に説明しておく。通常、二人1チームで対戦するダブルスと三人1チームで行うトリプルスが普通である。両チームが6個の700グラム程度のボールを投げる。最初にビュットという小さなプラスチックの的(まと)を投げて、その的に、より近いところにボールが止まった方がその回での勝ちになる。6個ずつ投げて、相手の最も近いボールより近いボールが何個あるかで点数が決まる。こうして、点数を足していって、合計13点になった方がゲームの勝者となる。

ポワンテの投げ方

ボールの投げ方は大きく二通りがある。一つはビュットに近くなるように投げるポワンテで、基本的な投げ方である。もう一つは敵の玉に当てて敵の玉をビュットから遠ざけるティールである。どんなにビュットの近くにボールを投げても、敵にティールでボールを当てられて吹っ飛ばされたら、おわりである。だから、ティールが出来ないと、大きな大会で良い成績は残せない。

ポワンテには3通りの投げ方がある。手元から転がすルーレットとボールを高く投げてビュットのすぐ近くに落とすポルテ、その中間のドゥミポルテがある。一般的な投げ方はドゥミポルテで、地面の状態に合わせて、立って投げたり、しゃがんで投げたりする。

ペタンクの面白いのは個人的な技術も重要だがチームワークも必要だし、さらに、ゲームの展開に伴って誰にどのように投げさせるか、どこでティールをやるか、敵の邪魔になるようにどこにボールを配置するかなどという戦略も重要になる。得意技がメンバーによって異なるので投げる順番も考えねばならない。
私が属している我孫子市ペタンククラブ連絡会では、年に二回のペタンク大会を開催している。いくつかのクラブから数チームが参加し、80名程度で腕を競うわけだが、対戦相手によって成績が左右されるので、最初の組合せの運も影響大である。昨年、我々のクラブの成績は優勝と最下位だった。

上掲ビデオで説明しているTさんから教わったことだが、ペタンクの技術を向上させるために必要な要点を下記に書いて置く。

  • 親指を使わず4本指を締めてボールをその上に乗せるように持つ。握ってはいけない。
  • 後ろに腕を振り、前方へ腕を振り子のように振ってボールをリリースする。投げようと思って、投げるのではない。遠くに投げるときは、精一杯腕を後方に振って、振った勢いで、ボールを遠くへ放る。
  • ボールをリリースしたあと、手は肩の上程度まで上げる。万歳はしないようにする。
  • 後ろに腕を振ったとき、4本の指が真後ろに向くようにする。また、脇を締めて、腕は目標に向かって真っ直ぐに振る。横投げはしない。
  • バックスピンを意識してボールを投げる必要はない。自然にバックスピンはかかる。ポルテで故意にバックスピンをかけることがあるが、高度な技である。
  • 身体を上下に動かさないようにしてボールを投げる。コンスタントに同じ所に投げるためである。
  • ボールを投げるとき、身体の重心はやや後方に置く。遠く投げるときは、重心をさらに後方に置く。
  • ボールを直接、敵のボールに当てる、すなわちティールの練習を心がける。最初は6m程度の距離から練習する。直接当たらなくても、ボールが同じようなところに集中して留まるように練習する。
  • ボールを上に揚げて投げる、すなわちポルテの練習もする。個人的にはティールを正確に投げられるようになってからでも良いと思う。
  • 練習でも、上記のことを入念にチェックし、ボールを投げるときの姿勢やボールの持ち方、リリースの瞬間に気を付ける。

ペタンクは基本的にはチームでやるゲームである。誰でも参加できるし、奥の深いゲームで面白い。しかし、その前に個人個人の技術を向上させることを忘れないようにしなければならない。
そうなると、一人で何度も繰り返しボールを投げて練習するしかない。冬でも30分続けると汗もかく。練習をやりすぎると腱鞘炎にさえなる。決して、老人のスポーツではない。何事もそうなのだが、地味ではあるが、一人こつこつと練習を積み重ねることが大事である。添付した新聞記事で、東京の港区の中学校でのペタンク大会について触れているが、この記事の1ヵ月後の2月19日の大会には、我々、根戸エンジョイクラブのチームも参加した。3戦して1勝しかできなかった。その一勝もかろうじて勝った試合だった。リードはしていたものの、最後に、ほとんど逆転されそうなところを私の最後の一投のティールが決まり、勝利できた。いまだにあれは奇跡だと思っている。
このとき、上記ビデオの講師Tさんのチームは準優勝をしている。Tさんのティールやポルテをビデオで見て、参考にして欲しい。

ペタンクの記事
     新聞記事

佐賀北高の優勝、その後

 今年の夏の高校野球は8月22日に決勝戦が行われたが、前に書いた記事のように私の母校の佐賀北高校が優勝、それも満塁ホームランによる大逆転の優勝で終った。

 佐賀北高校は私が高校一年生のときに出来た佐賀高校の北校舎がルーツとなっている。その当時、佐賀高校は一学年1000名、男女共学だが1組から10組j迄が女子、11組から20組迄が男子で一年生は全員北校舎、二年生は全員西校舎、三年生は男子が西校舎、女子が北校舎となっていた。
 北校舎は田んぼにかこまれていて、西校舎との距離は歩いて30分程かかり、クラブ活動などでの校舎間の移動は随分不便な思いをしていた。二つの校舎は私たちが卒業して二年後に佐賀西高校と佐賀北高校の別高校になっている。

 今回の佐賀北高校の優勝は佐賀勢としては13年前、1994年の県立佐賀商業高校の優勝に継ぐものであった。佐賀勢の優勝は高校野球の歴史上でもこの2回しかない。
 佐賀商業のときはIBMに現役として勤めていたが、近くにいる3人でお祝いの飲み会をやった。先輩のOさんと高校時代同期で三年生のときは同じ18組にいたW君と私の3人である。

 今回はW君と二人で祝賀会を優勝の翌日にやった。やろうよと言い出したのは私であるが、決勝戦の前の日で相手が広陵高校だし負けても準優勝だからと言って一緒に飲むこととなっていた。
 場所は船橋で、まさかの優勝のあと、しかも劇的な試合で二人ですっかり盛り上がった。
 W君は佐賀予選のときから佐賀新聞をネットで読んでて、私よりはるかに詳しい。佐賀北高校が佐賀予選で最も強敵としていたのが佐賀西高校であったと言う。

 後日、私も佐賀新聞の記事をたくさんネットからダウンロードしてPCに保管した。
 いろんな飲み会でも佐賀北高校の優勝の話になると、公立高校が優勝するのもすばらしいことだし、話題となっている特待生の問題を跳ね除けるような清々しい優勝だったと祝っていただいた。

母校の高校野球優勝

 昨年は早実の優勝でいつもより熱心に夏の高校野球を見たが、今年はさらに気合を入れてテレビに向かった。母校の佐賀北高校が開幕戦から出場したからである。13年前の佐賀商業のときと同じ展開となった。 結果ではあるが思いもよらず、あれよあれよと勝ち進みついに夏の高校野球で優勝を勝ち取った。

 まず第一回戦は8月8日の開幕試合で福井商業との対戦、2-0で初めての甲子園勝利。初めて甲子園で校歌を歌ったこと、これが出場時の目標であったと監督さんが言っていた。安打数では伝統校の福井商が上だが佐賀北の馬場から久保へのリレーと守備の良さで勝った。副島の今大会1号となる本塁打で決まった。

 次の試合の相手は14日に三重県の宇治山田高校。4対4で勝負決まらず、15回まで延長で再試合となった。去年の決勝戦、早実対駒大苫小牧戦を思い出させる試合となった。再試合は翌々日の第一試合となった。馬場、久保のリレーは強い。打撃も好調で9-1の勝利。

 3回戦は群馬の前橋商業で2回に相手の2点本塁打からスタートとなったが、すぐに馬場のランニングホームランで同点に追いつく。そのあとは佐賀北のペースで5-2の勝利となった。佐賀北にとっては初めてのナイターであった。

 準々決勝は東東京代表、優勝候補の帝京高校である。得点こそ一度も相手にリードを与えなかったが、横綱帝京の攻撃に何度も佐賀北の好プレーで得点を許さない守備の堅さがすばらしい試合にしてくれた。まさに死力戦と言っても良い好試合であった。お互いにスクイズの出し合いで息をもつかせないような試合であった。3-3で延長戦に入り、幕切れは13回裏にあっさりと3連打で佐賀北の勝利となった。宇治山田戦で15回を戦った経験が、あと少しという気力の弛みで2アウトからの3連打を許してしまった帝京を破った。 百崎監督は甲子園で開幕試合、15回戦再試合、ナイターと初めての経験ばかり、あとやっていないのはサヨナラ勝利くらいだと言っていたそうだ。それがこの試合のまさかの勝利で実現した。

 準決勝は昨日試合をしている長崎日大との試合である。体力の点では一日休みを貰っている佐賀北の方が有利である。隣県同士の対決は佐賀北の試合運びのうまさで3-0の勝利。すべてが3塁まで走者を送った後の得点であった。最初の1点は2回裏でのスクイズ、こんな早い回でのスクイズは相手も警戒はしていない。2点目は相手投手のワイルドピッチでの得点。3点目は代打で四球、代走で盗塁、送りバントのあとで浅いレフトフライだったが巧い走塁で得点した。ほとんどヒットなしでの得点で勝利だった。 長崎日大の監督は完敗だと言ったそうだが、まさに佐賀北ペースの試合であった。

 決勝戦は8月22日に行われた。テレビの前でじっと待機した。まあ、ここまでくればいいや、選抜優勝の常葉菊川に勝って決勝戦に進出した広島の広陵高校が相手ではとても勝てそうにないし、準優勝でもたいしたものだ。 広陵高校といえば「佐賀のかばいばあちゃん」の主人公が城南中学を卒業して、かあちゃんのいる広島に帰り、推薦入学した高校である。伝統校で決勝戦は2回戦ったが一度も優勝はしていない。 佐賀北は馬場、広陵はこれまでずっと勝ちあがってきた野村が投げた。一回は広陵も佐賀北もほぼ対等だったが、二回に馬場が広島打線につかまり、2点を先取されて久保にスイッチした。こんなに早く交代するのは初めてだ。 久保は2点で押さえ、そのあと点は許さないものの毎回出塁させる。広陵の野村は二回からはきっちりと押さえ、佐賀北のつけいるスキを全く与えない。その状態で七回まできて、久保が今大会初の失点を許す。2本のヒットと死球で2点を与えてしまった。ここでもう勝負は決まったと思った。佐賀北のヒットは1本のみで、野村のコントロールも良く四死球も与えない。相手は毎回出塁で二桁安打と一方的である。 佐賀北に好機がようやく巡ってきたのは八回裏である。1アウトのあと打順はピッチャーの久保に廻ってきた。久保はそれまで空振りしていた野村のスローボールにバットを合わせて甲子園初のヒットを打ち一塁に立った。次は守備で活躍していた馬場崎に代わり新川が打席に立った。新川は皆が打てなかった野村のスライダーをきっちりとヒットとし、代走の松尾に代わった。百崎監督の新川なら野村のスライダーを打てるだろうという読みが当たった。次の辻は四球を選び満塁となった。アウトカウントは1。打席は井手の番である。井手はストライクゾーンギリギリの球に手を出さず四球で押し出しの1点を取った。この球は判定が難しく、後で広陵の中井監督が審判にクレイムをつけ、問題になった球である。そして劇的な逆転満塁ホームランのシーンがやってきた。押し出しの1点がなければ、逆転にはなっていない。 三番バッター副島が打席に立った。甲子園ではすでに2本の本塁打を打っているが、広陵、野村に前2打席を三振で討ち取られている。一球目はファール、二球目は死球すれすれの近めのボール。そして、三球目は真ん中に入るスライダーを副島は見逃さなかった。決して大振りではなく、ジャストミートを心がけたと後で言っていたが、バットの芯が球を捉えた。レフト中段に入るまさに劇的、テレビを見ながら目と耳を疑った。一瞬、何が起こったのかよくわからないような状態になった。このような状態を息を呑むとか、頭が真っ白になったと言うのだろう。       大歓声の中を副島が走る。そして、先にホームベースに入った打者三人が迎える。ダッグアウトの前でも全選手が迎えた。野村はまだ信じられない顔であったが、いつものペースにもどり、そのあとヒットは許したものの追加点はなし。     九回表、広陵の攻撃で、ノーアウトでヒットが出る。広陵の力であればここで、同点あるいは逆転の可能性がある。息を殺して見ていたが、次の打者が一塁前に送りバント。一塁手が前に出て、打者にタッチしている間に、一塁走者が二塁を走り抜け三塁に向かった。一塁手ははっとそれに気づき、三塁へ好球を投げ、三塁手副島がタッチしてアウトとなった。これで広島の攻撃は2アウト走者なしとなった。最後は野村が打席に立ち、渾身の力で投げる久保のスライダーを三振してゲーム終了となった。随分長く感じた試合であった。

試合の余韻を味わいながら、閉会式が終るまで、テレビを見ていた。

 佐賀北逆転満塁本塁打   感激の全国制覇  

我孫子市ペタンク大会

   5月12日(土)に春の我孫子市ペタンク大会が開かれた。昨日の雨で、会場となっている市営ゲートボール場のグラウンドはまだ土が柔らかい。雨のおかげで前もってクラブ代表が集まってやった草むしりのデコボコが均されて大会にはベストのコンディションとなった。雨のあとというのはグラウンドの状態が徐々に変化していくのが面白い。最初は土が柔らかいが、試合が進むにしたがって硬くなってボールがよく転がるようになる。しっかりとその状態をつかんで投げなければならない。チームメンバーの連携プレイが重要となる。

 今回からペタンククラブ代表者からなる我孫子市ペタンククラブ連絡会が前面に出て大会を運営することになった。私も根戸エンジョイクラブの代表者で連絡会の副会長に任命されている。
 開会式で星野我孫子市長も挨拶され、始球式もやってもらった。

 試合は3人1チームで28チームが参加した。根戸エンジョイクラブからは3チームが参加している。
 今回から、3試合をやって3戦全勝のチームがプレイオフで代表者が一球投げ、もっともビュット(的)に近いチームが優勝となる。次に近いチームが2位というように順位を決定することとなった。

 根戸エンジョイクラブから3戦全勝のチームが2チーム、もう一つのチームも2勝1敗だからトータル9ゲームで8勝1敗と抜群の成績を残した。プレイオフに4チームが残ったが2チームは我々のチームである。結局、優勝と4位となった。これまでの大会でも何度も入賞はしていたが優勝は初めてである。
 1敗したチームは私のチームだが、表彰式で私が私を表彰することがなくて、ある意味ではよかったか。

 ペタンクはやるのも簡単だし、やればやるだけ面白くなるゲームである。ゴルフが自己満足のゲームなのに比べると、ペタンクはチームプレイとしての面白さもあり、勝ったときの満足感や達成感も大きい。また、テクニックとしても奥の深いスポーツである。そのわりにはルールも単純で誰でも手軽に遊べるゲームだ。下の写真「ペタンクの妙技」をクリックしてみて、そのテクニックを見ていただきたい。
 冬季オリンピックであれだけカーリングが有名になったのだから、ペタンクも世界選手権大会みたいなものがあって、日本チームが活躍するようになればと願っている。

我孫子市ペタンク大会のホームページのURLは以下である。 http://www.ne.jp/asahi/abcpetanque/petanque-city-abiko/index.html