秋の京都 2015年11月17日

鶴下絵三十六歌仙和歌巻(本阿弥光悦書・俵屋宗達下絵)
夏秋草図屏風(酒井抱一) 

今年の秋は天候に恵まれず、第1日、第2日と雨にたたられた。
 東京で新幹線に乗るときはまだ雨は降っていなかったが、京都に着いた時にはすっかり雨。まず駅地下街で傘を買って、京都国立博物館に行った。琳派誕生四00年記念特別展覧会「琳派 京を彩る」をやっていた。雨の日だったからかもしれないが、ずいぶん混んでいた。旅行客ではなく、地元の皆さんが多かったと思う。

 琳派というのは狩野派のように代々伝承してきたわけではなく江戸初期、中期、後期の日本画や屏風、工芸、書に優れた尾形光琳を代表とする人たちの集まりである。江戸初期の俵屋宗達、本阿弥光悦、中期の尾形光琳、尾形乾山、後期の酒井抱一、鈴木其一などである。時代順に展示されているのか、最初に展示されていたのが、本阿弥光悦である。うかつにも本阿弥光悦がどのような人かを良く知らなかった。最初にびっくりしたのは、光悦の書状である。書があまりにも美しい。そして、日本刀や工芸品、絵画などが並んでいる。光悦の名は有名だが、どのような作品があるかが分らないのはあまりにも多方面にわたるマルチアーティストだったからであろう。光悦は刀剣の鑑定、研磨を生業とする家に生まれている。また、小堀遠州との知己もあり、茶人および陶芸家でもある。漆芸や絵画、金工にも優れた作品があるが、書家としては「寛永の三筆」の一人に挙げられている。びっくりするほどの達筆なのもうなずける。印象的なのは俵屋宗達が絵を描き、光悦が歌を書いた「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」である。光悦はその多才ぶりを徳川家康から大いに評価され、鷹が峯に9万坪の土地を与えられている。そこに芸術村を築いたとされている。

 俵屋宗達と云えば「風神雷神図屏風」であまりにも有名である。尾形光琳、酒井抱一も「風神雷神図屏風」を描いている。比べて見ると、時代の流れがわかる。
 琳派という名は尾形光琳の一字を取って、そう呼ばれるようになったのだが、屏風絵、漆芸に優れており、尾形光琳の名前は日本人なら誰でも知っている。弟の尾形乾山は陶芸を野々村仁清の手ほどきを受け、優れた作品を残している。京焼は陶器に色絵付けを行ったもので、仁清、乾山の壺といえば、重文級の作品を数多く残している。
 江戸後期の代表が酒井抱一と鈴木其一である。やはり、琳派の流れを受け継ぎ、屏風絵や漆芸に代表的な作品がある。

 帰りは京都駅に行くのに、八坂神社の前を通ってきたバスは混んでいて、通過してしまう。おまけに、前が三十三間堂で長い列をなす。雨の中をバスに乗るのに随分待たされた。夜は市川君といつもの「がんこ」で食事をした。

風神雷神図屏風(俵屋宗達)
風神雷神図屏風(尾形光琳)
風神雷神図屏風(酒井抱一)

2015年京都の春(5)

光明院庭園

障子の間から見た光明寺庭園 舞妓さん

 最後の日になったが、大津から京都駅まで来て、さてどこに行こうかと思う。下手にバスで行くといつも帰りが大変。「プラットこだま」だから乗り遅れたら切符代がチャラになる。京都のバスは路線によってはものすごく時間がかかる。女房と一緒に京都駅で2~3時間待ったこともある。
 便利なのは東福寺だということに気付いた。電車で一駅、塔頭もたくさんある。今回は光明院と芬陀院(雪舟寺)に行くことにした。光明院は初めてだが庭園は有名だ。重森三玲作の「波心庭」、白砂と苔に石を並べた枯山水の庭で本堂から障子の間に見える庭が綺麗だ。今年の京都は舞妓さんによく会う。ここでなんと、3人の舞妓さんの写真が撮れた。普段着で白塗りの厚化粧でもないから舞妓らしくは見えない。やはり、貸衣装の外人とは違う。
 次の芬陀院は雪舟寺というくらいで、画家、雪舟禅師によって作庭された「鶴亀の庭」が良い。苔と砂と石組のバランスは素朴でありながら、見飽きない。茶室の丸窓から見る庭園は皆が写真に収めたがる光景である。
 あとは昼食を東福寺駅の近くでとり、少し待っただけで新幹線に乗れた。

芬陀院の枝垂れ 芬陀院の鶴亀の庭園

円窓から見た庭園 雪舟屏風

2015年京都の春(4)

琵琶湖疏水

三井寺金堂 日本3銘鐘の一つ三井寺の鐘

国宝金堂 弁慶の引き摺り鐘

三井寺三重塔 三井寺から見た琵琶湖

 去年の秋は初めての近江観光で、地理的に不案内なため、坂本からまっすぐ比叡山に登ったが、今年は大津付近をゆっくり観光することにした。泊まったのがJR大津と京阪浜大津駅の間の東横イン。ホテルも良かったが、翌日はすっきりとした好天に恵まれた。まず、三井寺に行った。三井寺駅のすぐ傍を、琵琶湖疏水が流れている。琵琶湖疏水はここから山科、蹴上と山の下を流れて京都鴨川にそそぐ。いずこも桜の名所になっている。桜を観ながら歩くと三井寺に着く。
 本来の名は園城寺という。日本三銘鐘と云われる、宇治平等院、高雄神護寺とここの鐘がある。歴史的には古く近江大津京を築いた天智天皇の頃に建立されたとする。後に天台宗寺門派の総本山となり延暦寺(山門派)との争いが絶えなかったようだ。ここにある元々の鐘と云われる「弁慶の引き摺り鐘」の摺り傷もその名残りのようだ。ここから見る琵琶湖の景色は美しい。
 次に、坂本まで行って、日吉大社を訪ねた。紅葉の名所と云われているが、昨年は見逃した場所だ。全国に3800余と云われる日吉、日枝、山王神社の総本宮になっている。私は日吉と書いて「ひえ」と読んでいたが、もとはそう呼ばれていたらしい。神仏混淆(しんぶつこんこう、神仏混合、神仏習合ともいう)では比叡山延暦寺の守り神で、ともに京の都の鬼門(北東)にあたり、魔除け,鎮護の寺社になっている。平家物語に登場する比叡山の荒法師が担いで京の都に押し掛けるのはここの神輿である。この神社も比叡山と同じく、織田信長の焼き討ちで焼失しているが、その後、秀吉や徳川の援助により復興をなしている。神社の魔除けになっているのが神猿(まさる)と呼ばれる猿が祀られている。西本宮の楼門には猿が守っているのが見える。
 日吉大社から駅までは桜並木が続いている。
 電車で大津を過ぎて、石山寺駅まで行ったが、時刻的にはもう拝観時刻が過ぎそうだ。門の中までで良しとして10分ほど歩いた。東門から拝観受付までの長い桜並木が綺麗だ。紫式部が「源氏物語」の構想を練った寺らしく優雅で女性らしいお寺である。

日吉大社に行く途中の大枝垂れ 日吉大社のシンボル大鳥居

西本宮楼門 楼門軒下の猿

飛龍の滝 西本宮

東本宮 坂本駅前の蕎麦屋さん

石山寺東大門 石山寺表境内の紅枝垂れ

2015年京都の春(3)

知恩院三門 上七軒歌舞練場

 朝から雨で、どこに行こうかと迷ったが、こういう時こそ「北野をどり」を見るのが良い。もう一つはずっと閉鎖されていた知恩院に行くことにした。電話で聞くと開いているという。
 まず、上七軒歌舞練場の当日券があるかどうかだが、運良く買えた。そのあとに知恩院に行った。今年は徳川家康没後400年ということで、三門を開け、御影堂の一部を見れるようにしたらしい。ここは徳川秀忠の建立で、法然上人を開祖とする浄土宗の総本山である。鶯張りや忘れ傘、抜け雀など七不思議が有名で修学旅行コースのメッカでもある。8年がかりの御影堂修築が行われている。あと4年かかるそうだ。御朱印をいくつかいただき、また上七軒に戻った。

 京都の花街は5つあるが、それぞれに舞の流派が異なる。上七軒は花柳流で4月初めの「北野をどり」、祇園甲部は井上流で4月に「都をどり」、宮川町は若柳流で4月の、「京おどり」、先斗町が尾上流で『鴨川をどり」、これは5月だ。祇園東が藤間流、11月の「祇園をどり」という具合だ。
 上七軒の踊りにはセリフが入る。都をどりや鴨川をどりは芸舞妓さんの数が多く、みんなで踊る舞台が華やかである。隣の席にいた小学生の女の子がお母さんに「都をどりと違うの?」と聞いていた。「『都をどり』は舞妓さんがたくさん出てくるんだよ」と云ったら、「都をどり」観たいとおねだりしていた。
 上七軒歌舞練場を出てから、京都駅に行き、大津に着いた。明日、草津に住んでいる市川君と飲むことになっているので、JR大津駅前の食事場所を覘き、良さそうだったのでそこにし、夕食を取った。泊まりは「東横イン京都びわこホテル」である。

2015年京都の春(2)

東庭 南庭 

北庭 西庭

 京都はすっかり慣れてきた所為か、行き当たりばったりで行くことが多い。
秋に紅葉の綺麗なところは桜のシーズンも良いと、何かの本で読んだことがあって、秋はすごく混む東福寺と、桜で有名な醍醐寺に行くことにした。
 醍醐寺は3年ほど前の秋に行ったことがある。
 東福寺は、冬と秋に行っている。秋の紅葉は素晴らしい。有名な通天橋の紅葉はみごとだ。春の東福寺は桜もほとんど無い。その分、静かで重森三玲作庭の方丈庭園を鑑賞するのには絶好の季節である。方丈庭園は「八相の庭」と呼ばれ、四方を枯山水の庭に囲まれている。この作庭技法は他の禅寺では見ることがない。島に模する巨石を砂の海に点在させる大きな枯山水の南庭、苔と石で市松模様をかたどった北庭、7つの円柱と苔で北斗七星と天の川を表す東庭、さつきの刈込みで市松模様を作った西庭がある。西庭は他の庭に比べると目立たないが、これを方丈横の火灯窓(かとうまど)から見ると景色が一変する。

 秀吉の「醍醐の花見」で有名な醍醐寺へは地下鉄東西線で簡単に行ける。通常は蹴上側から行くのだが、東福寺の後だったのでJR六地蔵経由で行った。さすがに桜の名所、醍醐寺はずいぶん混んでいた。団体で来るのか、観光客とくに中国人と思しき人たちで混んでいた。ここでは着物を着ている男女をたくさん見かける。貸衣装を借りて歩く中国人だ。日本人が和服を着て観光することはまず無い。
 醍醐寺にはいろんな桜があるが、今では丸山公園の大枝垂れや平安神宮の桜の方が綺麗に見える。
 三宝院から桜並木を通って奥に行く。五重塔の前の枝垂れは大きい。ここを過ぎると桜の木が少なくなり、楓が目立ってくる。秋の醍醐寺では紅葉が美しい。春も秋も楽しめるのが醍醐寺である。
 帰りは地下鉄で東山まで行き、祇園に寄ってみた。花見小路を行くと外人観光客で溢れていた。明日から都をどりが始まる。建仁寺に入ったが、拝観時間を過ぎていて閑散としていた。帰り道は少しはずれた町屋の中を通る。静かである。
 夜は昨日と同じく「まさ活」で食事をした。ここのうな重も美味しい。食事を済ませて、昨晩のカラオケスナック「桜」に行った。この日は子供連れの団体がいて混んでいたが、舞妓さんと芸妓さんが入ってきた。二人とも団体客の記念写真に加わっていた。

醍醐寺五重塔 醍醐寺弁天堂

五重塔前の大枝垂れ 建仁寺

2015年京都の春(1)

 今年は京都の旅館「卯乃花」が水曜と木曜に取れず、月曜と火曜日になってしまった。いつも夕食を摂っていた「かみや」も休みだ。月曜休店なのだが月の最後の火曜日も休みになっていた。それがかえってラッキーな結果になった。
 今日は桜の名所、平野神社に寄った帰りに、上七軒の界隈を歩いてみた。今は「北野をどり」の最中である。写真を撮っていたら丁度、綺麗な芸妓さんに出会った。一応断わって、一枚撮らせていただいた。背景もぴったり決まっている。
 京都には祇園、祇園東、宮川町、先斗町、それに上七軒と5か所の花街があるが、上七軒は歴史も古く由緒もあり、落ち着いた街である。他の花街は八坂神社から河原町にかけて位置するが、ここはポツンと離れて北野天満宮のそばにある。豊臣秀吉が天満宮で茶会を開いたときに団子を献上したとされる。今でも2月の梅のシーズンには天満宮で茶会が開かれ、芸妓さん舞妓さんのお点前でお茶をいただけるようだ。観光客も少なく、カメラで撮影していたのは私くらいである。
 夕食は北野天満宮の横にある「まさ活」にした。外から見るとウナギ屋さんのようで、それにあまり綺麗に見えない。おそるおそる中に入ったら立派なカウンターがあって清潔そうである。刺身や焼き物もある。酒も地酒もそろっている。普通は食べられないという親父さん自慢の蟹があった。「間人ガニ」と書いて「だいざがに」と読むらしい。聖徳太子のお母さんの名前だという。聖徳太子の母は穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのみこ)でその間人をとって聖徳太子のお母さんの名をとった蟹と云うようだ。丹後の間人(だいざ)漁港で捕れる松葉ガニでかなり貴重な蟹だそうだ。やや小さいのを一杯食べた。
 食事を済ませて、店のご主人にカラオケのできる所を聞いてみた。こんなところには無いだろうと思っていたら、すぐそばにあるという。昼間は普通の町屋しかないと思っていたのが夜になるとその一軒がカラオケスナックになるのだ。上七軒歌舞練場の入り口のすぐそばにあった。中は立派な設備も整っている。カウンター席で飲んで歌っていたら舞妓さんが入って来た。さすが上七軒のすぐそばだ。写真を何枚か撮らせてもらった。舞妓さんは未成年だからお酒は飲まない。9時頃には置屋の女将さんと思われる品の良い女性が迎えに来た。やはりたくさん写真を撮るのは憚られる。
上七軒の芸妓さん  上七軒の入り口

上七軒歌舞練場の入り口  上七軒歌舞練場

間人ガニ  舞妓さんとカラオケ

2014年春の奈良・京都

蹴上の桜

 毎年、奈良・京都に来ているが、今年の春はとくに行くところもない。斑鳩の里を廻ったのが良かった。それに、昔、大阪に赴任していた頃の友達と一緒に以前の蕎麦店「雄町」のご主人のお店で鮨を食べたこと。

 第一日目は、「雄町」の女将さん。今では全くそのようには見えないが、麗子さんと一緒に夜の食事をした。残念ながら大谷さんは店の整理などでお忙しいようだ。
 次の日に斑鳩の里、法隆寺から法輪寺、法起寺を廻った。大阪赴任時代にも一度来たことがある。歩くとかなりきつい。
帰りは法隆寺までバスで戻り、ホテルに預けておいた荷物を取って、急いで大阪に向かった。江坂のホテルに荷物を置いて、梅田阪急デパートの屋上階にある、「福喜鮨」に着いたのが約束の六時ぎりぎりであった。所ちゃん、太田さん、高松さんと私の4人である。お寿司はさすがに大阪の名店だけに美味しい。みんなにとっては一人一万円はやはり高いのかもしれない。
 三日目は山科の毘沙門堂に行った。ここは紅葉の名所だが、桜も美しい。大きな枝垂れ桜が見事である。
次に地下鉄蹴上で降りて、南禅寺の塔頭、金地院に入った。ここは何度も来ているので、あまり感動もない。むしろ、帰り道になる蹴上トロッコ道を下から見上げた桜並木が美しい。
 四日目は、前の晩に「かみや」の女将さんに聞いていた宿のすぐそばにある「立本寺」の桜を見に行った。ここは有名でもなんでもないが、立派な桜が咲き誇っていた。誰一人いないので廊下に上がって庭園も見てきた。小さいけれど結構整備されてそれなりに鑑賞できる庭である。
 午後は京都市植物園を見てきた。観光客で賑わっていたが、いろんな種類の桜を見ることができる。中では結婚衣装で写真撮影をしてもらうカップルにも会った。ウエディングドレス姿もいるし、日本の花嫁衣裳と紋付を着た夫婦もいた。どうも、中国人のようでもある。
 最後の日は琵琶湖疏水のすぐそばにある動物園に行ってみた。ここから見る疏水の風景を楽しみにしていたのだが、一部工事中で風景も良くはなかった。

法隆寺講堂 法輪寺
 
法起寺 山科琵琶湖疏水
 
毘沙門堂大枝垂れ 金地院鶴亀の庭
 
立本寺 京都市植物園

京都の桜を訪ねて               2013/04/18,19

鞍馬寺仁王門
鞍馬山の枝垂れ 枝垂れ桜をやっと見た
僧正が谷 鞍馬寺奥の院
貴船神社鳥居 水占斎庭御神水
貴船神社 新緑の仁和寺
仁和寺金堂 仁和寺金堂飾り瓦

 京都も桜のシーズンはすっかり終わっていた。まだ花を見れるとしたら山に登るしかない。比叡山や大原、三尾、それに鞍馬山あたりになる。地図を見ながら迷ったが結局、鞍馬に登ることにした。
 鞍馬から貴船へ
 鞍馬山に行くのに便利なのは、出町柳から出る叡山電車鞍馬線に乗るのが良さそうだ。
 初めてのコースで、様子がわからない。バスで出町柳に行くと京阪電車の駅前に着いた。そこから少し歩くと叡山電車の出町柳駅がある。賀茂川と高野川が合流して鴨川になるところだ。川向うに下鴨神社の糺の森が見える。川辺には八重桜の並木があり、花が満開になっていた。叡山電車は鞍馬や貴船と同じく、比叡山に行くのに使われる電車である。途中の八瀬で降りて、大原に行くこともできる。
 鞍馬には30分ほどで着いた。駅から仁王門まで歩いて、そこからケーブルカーを利用し、多宝塔に着く。ここでやっと満開の枝垂桜を見ることができた。さらに苔むした岩壁に沿って、しばらく参道を歩くと鞍馬寺の金堂に着いた。観光客も少なく静かなお寺で、新緑も綺麗だ。鞍馬寺と云えば牛若丸(沙那王と称していた)が有名だし、武芸を教えた天狗の伝説もある。この天狗のモデルは鬼一法眼(きいちほうげん)という僧侶と云われている。
 鞍馬寺からさらに奥に上ると、奥の院がある。結構な山道だが、ハイキングシューズを履いていたので、難なくたどり着いた。途中、沙那王が修業をしたと云われる僧正が谷がある。うっそうとした杉林の木の根が地表に露出して、蛇がとぐろを巻いているように見える。この山全体が岩山で、地表の土が浅いため、根が下にもぐれず、地表の上に根を伸ばしているのだそうだ。謡曲「鞍馬天狗」の舞台にふさわしい光景である。
 奥の院まで着くと、あと15分ほどで貴船に着くという道案内が建っていた。しばらく休んで、貴船方面に向かった。途中には椿の大木が何本もはえ、椿の花が根元の苔の上にころがっている。赤と緑の色が対照的で瑞々しい。急坂を下るのも気持ちが良い。パワースポットというのはこういうところなのかと思った。
 下には貴船川が流れていて、橋を渡ると貴船神社の参道になる。この辺にはいくつかの立派な店が並んでいる。貴船神社は水の神様で川の水も綺麗だ。鳥居が並んでいて、その下の石段を登ると、金箔で覆われた社殿がある。そばに手と口を浄める御手洗(みたらし)がある。おみくじをその水に浸すと運勢が出てくるという。秋に来たら素晴らしい紅葉を見物できそうである。
 帰りはバスで叡山電車貴船口まで行き、出町柳まで戻って、仁和寺に向かった。
 仁和寺
 このお寺は門跡寺院のためなのか、京都のお寺の中でも坊主くさくない明るい寺である。別名「御室御所」とも呼ばれる。
 私が見たかったのはこのお寺独特の背の小さい「御室桜」である。例年、四月の中旬以降に咲くのだが、今年は他の桜と同じく早かったらしく、みんな散ってしまっていた。私と同様、この桜を見たかったのか観光客で賑わっている。何度も来ている寺で特別見たいものもなく、さっさと宿に戻った。
 大徳寺
 もう何年もの間、大徳寺や知恩院、二条城といった、いわゆる修学旅行コースには行っていない。大徳寺は狩野探幽作、雲竜図のある法堂や方丈庭園などがある本坊伽藍が有名で、昔は修学旅行や定期観光バスの見学コースとなっていた。それがいつの頃にそうなったのか、今は本坊敷地に入ることもできない。
 大徳寺は臨済宗大徳寺派の本山であり、一休和尚や沢庵禅師などの名僧や千利休、小堀遠州といった茶人にもゆかりの深い大寺院である。別院2、塔頭22を有しており、妙心寺や東福寺にも比すべき禅寺である。本坊を見ることはできなかったが、塔頭の一部が公開されていて、枯山水の庭も鑑賞できた。大仙院の石庭など、今や塔頭を廻る方が見学コースの中心になっている。今回は大仙院、芳春院、興臨院、瑞峯院、黄梅院を廻った。著名なのは、前のブログにも紹介した大仙院の枯山水である。竜安寺の庭園ほどポピュラーではないが、いくつかの狭い石庭の中に配置された石がそれぞれある意味での主張を持っているのが興味深い。蓬莱山から流れる水が滝となり、橋をくぐり、大海となっていく姿が回廊の下をくぐって、一つの光景を表しているのが全体を見渡す竜安寺の石庭とは大きく異なる。
 残念ながら院内は撮影禁止になっていた。そのかわりに、修学旅行の学生たちと一緒にお坊さんの説明を聞いて廻った。
 他の塔頭もそれぞれ特徴のある庭園を抱えているし、写真撮影もできた。時間がたっぷりあったのでゆっくりと見て廻ることができた。

瑞峯院石庭 興臨院の火灯窓
大仙院 大仙院石庭

奈良の旅、蕎麦処「雄町」との再会    2013/04/16,17    

吉野山上千本桜
吉野の八重桜 花矢倉の山桜
緑の桜 御衣黄 黄色い椿
万葉植物園の藤 馬酔木(あせび)
毎年2回、春と秋に京都、奈良に行くことにしているが、今年の春は去年より一週間程度遅く行くように予約していた。吉野の桜と仁和寺の御室桜の満開を見たかったからである。
今回はもう一つの目的があった。昨年秋に閉まっていたお蕎麦屋さん「雄町」の女将さんや旦那さんに会うことだった。
蕎麦処「雄町」の女将さんとの再会
奈良には4時頃に着いた。ホテルにチェックインして、部屋に入り、一昨年の秋に「雄町」でお会いしたお客さん、Oさんに電話をした。Oさんとは、今年の冬にメールや電話をやりとりして、私がこの春に奈良を訪ねたときに、「雄町」の女将さんと三人で飲もうと約束をしていたのだ。
電話で5時半にホテルの前で会うことになった。一度だけの面識で顔もあまり定かではない。外でOさんらしい方が見えたので、声をかけて確認した。しばらくして女将さんもホテルに来てくれた。旦那さんとお嬢ちゃんも一緒だ。
駅から興福寺の方向に向かう三条通を、話しながら歩いて、Oさんのお店に立ち寄った。「カメラとビデオのミドー」というお店である。大きな看板が屋上にかかっていた。
「雄町」の旦那さんはお酒を一滴も飲めないらしく、途中で別れ、Oさんの馴染みのお店に入った。他にはお客さんはいなかった。
女将さんは、今は、子供相手のケアセンターにお勤めしているらしい。旦那さんは大阪のお父さんの寿司店を手伝っているそうだ。梅田の阪急百貨店の13階にある「福喜鮨」の責任者のようである。
蕎麦処「雄町」を急に閉店したのは、決してお店が流行っていなかったのではなく、家庭の事情があったようだ。
三人で話しているうちに、女将さんがOさんに「なんで、私をお酒に誘ってくれなかったの?他のお客さんは誘ってくれはったのに」と責めているのが印象深かった。まるで父親と娘のようでうらやましかった。
着物姿の女将さんも良いが、まだ20代の洋服姿の娘さんスタイルも美しい。
吉野山
奈良の二日目は吉野山に登った。昨年は日帰りバスツアーを利用したために、下千本から中千本あたりまでしか行けなかったが、今年は電車とバスで中千本まで登り、そこから上に歩くことにした。
今年の桜は咲くのが異常に早く、三月には咲き始め、四月上旬に満開になった。去年は四月の第二週でも下千本が満開になっていなかったので、今年は一週間遅くしたのだが、今度は散った後になってしまった。 それでも、八重桜が咲いていて、慰めにはなった。昨年と同じく、人の多さには辟易とした。謡曲「忠信」で有名な佐藤忠信が僧兵横川覚範を討ち取ったとされる花矢倉展望台を過ぎて、その首塚のそばを下り、中千本からバスで、吉野駅まで下りた。
万葉植物園
翌日、とくに予定もなく、春日大社の「万葉植物園」に入ってみた。ここは藤で有名なところである。残念ながら、藤の花はまだまだの状態である。そのかわり、数多くの品種の椿の花が咲き誇っていた。
この公園の名にふさわしく、多くの万葉植物が栽培されていて、いくつかの品種が小さな花を咲かせていた。

源氏物語宇治十帖の世界へ       2012年4月13日

宇治平等院 阿弥陀如来
初瀬桜 宇治川
あさぎり橋 宇治上神社拝殿正面
宇治上神社拝殿 宇治上神社本殿

 奈良、京都での花見旅の最後の日に、昨年も訪ねた宇治に立ち寄った。今回は妻が同行していたので、10円玉に彫られている平等院を見ることにした。私が観たかったのはもう一つの、「源氏物語」宇治十帳の世界である。
 宇治十帖は「源氏物語」の最後の10巻、『橋姫』~『夢の浮橋』である。JR宇治駅で配られているパンフレットにはそれぞれの記念碑の地図が掲載されている。物語と場所とは何ら関係は無いようだが、世界文化遺産の一つである宇治上神社や源氏物語ミュージアムを廻るルート案内の役目をしている。宇治は平等院であまりにも有名だが、宇治川を渡った宇治十帖の世界も落ち着きのある観光地である。
宇治平等院
 昨年も訪れたが、何度来ても良いところだ。妻は初めてで平等院の美しさには感心していたが、阿弥陀如来や雲中供養菩薩像、九品来迎図(鳳凰堂壁画)などには猫に小判であったようだ。
 私は、今回は平等院の塔頭、浄土院や最勝院、観音堂に興味を持った。最勝院には源三位頼政の墓がある。源頼政は源氏でありながら、保元の乱、平治の乱でも勝者側で戦っており、平清盛の信頼も厚く、従三位の地位まで上りつめている。
 平家が栄華、専横を極めていた頃、清盛の娘、徳子(後の建礼門院)が高倉天皇の后となる。その間に生まれた安徳天皇がわずか三歳で即位するに到って、後白河法皇と平家との間に軋轢が生じ、法皇の第三皇子、以仁王をもって平家打倒の令旨を発せしめる。頼政は以仁王を担いで兵を挙げることとなるが、これがきっかけとなって、源頼朝や木曽義仲、義経にいたる源平の合戦が始まるのである。
 平家物語の中でも、頼政の鵺(ぬえ)退治の話や、平家の大軍に追われ、以仁王を守って興福寺に落ち延びる途中、宇治川を挟んでの合戦の模様が描かれている。頼政はこの地で自害するが、これらの話は能楽にも取り上げられ、それぞれ「鵺」「頼政」として謡われている。
宇治川
 平等院を出て、参道を通らずに、右手に曲ると、すぐ目の前に広々とした宇治川の光景を眺めることができる。川を隔てて橘島という中州がある。橘島は全体が公園になっていて、川辺の桜並木が満開になっている。橘橋の途中から見る光景は平等院側と橘島側の桜に挟まれた急流の景色が見事だ。この島は昔からあって、都で平家追討の院宣を待つ木曽義仲と源頼朝に遣わされた源義経との間で繰り広げられた宇治川の合戦の場所である。島には義経側の佐々木四郎高綱と梶原源太景季の先陣競いの碑が建っている。
 島の中を花を見ながら歩くのが心地よい。向こう岸に行くには、朱色で色鮮やかに塗られた朝霧橋を渡る。朝霧橋のたもとには半ば苔で覆われた藁葺き屋根のある陶芸の窯元があり静かな風情をただよわせていた。
宇治十帖の世界
 「源氏物語」の最後の十巻は、光源氏の異母弟にあたる八の宮の別荘を舞台に、八の宮の二人の姫君と薫、匂宮の恋物語が中心になる。光源氏はとっくに亡くなっている。この八の宮の別荘のモデルになっているのが宇治上神社である。宇治上神社は平安後期に建てられた寝殿造りの様式をもつ本殿と、鎌倉前期に建てられた拝殿がある。現在に残る神社建築としては最古の建物である。神社は伊勢神宮や賀茂神社、春日大社など歴史的には古いにも係わらず、式年遷宮のように建物を作り替えてきたため、建築物としてはみんな新しいのだ。また、神道は偶像崇拝ではないため、仏像のような物も無い。
 宇治上神社は世界遺産に登録されている国宝である。観光客も少ない。ゆっくりとくつろげるパワースポットと云われても良い場所である。 源氏物語ミュージアムにも立ち寄ったが、「源氏物語の世界」を現代から見た色鮮やかな空想の世界として思い描くための綺麗な場所でしかない。