今年の秋は天候に恵まれず、第1日、第2日と雨にたたられた。
東京で新幹線に乗るときはまだ雨は降っていなかったが、京都に着いた時にはすっかり雨。まず駅地下街で傘を買って、京都国立博物館に行った。琳派誕生四00年記念特別展覧会「琳派 京を彩る」をやっていた。雨の日だったからかもしれないが、ずいぶん混んでいた。旅行客ではなく、地元の皆さんが多かったと思う。
琳派というのは狩野派のように代々伝承してきたわけではなく江戸初期、中期、後期の日本画や屏風、工芸、書に優れた尾形光琳を代表とする人たちの集まりである。江戸初期の俵屋宗達、本阿弥光悦、中期の尾形光琳、尾形乾山、後期の酒井抱一、鈴木其一などである。時代順に展示されているのか、最初に展示されていたのが、本阿弥光悦である。うかつにも本阿弥光悦がどのような人かを良く知らなかった。最初にびっくりしたのは、光悦の書状である。書があまりにも美しい。そして、日本刀や工芸品、絵画などが並んでいる。光悦の名は有名だが、どのような作品があるかが分らないのはあまりにも多方面にわたるマルチアーティストだったからであろう。光悦は刀剣の鑑定、研磨を生業とする家に生まれている。また、小堀遠州との知己もあり、茶人および陶芸家でもある。漆芸や絵画、金工にも優れた作品があるが、書家としては「寛永の三筆」の一人に挙げられている。びっくりするほどの達筆なのもうなずける。印象的なのは俵屋宗達が絵を描き、光悦が歌を書いた「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」である。光悦はその多才ぶりを徳川家康から大いに評価され、鷹が峯に9万坪の土地を与えられている。そこに芸術村を築いたとされている。
俵屋宗達と云えば「風神雷神図屏風」であまりにも有名である。尾形光琳、酒井抱一も「風神雷神図屏風」を描いている。比べて見ると、時代の流れがわかる。
琳派という名は尾形光琳の一字を取って、そう呼ばれるようになったのだが、屏風絵、漆芸に優れており、尾形光琳の名前は日本人なら誰でも知っている。弟の尾形乾山は陶芸を野々村仁清の手ほどきを受け、優れた作品を残している。京焼は陶器に色絵付けを行ったもので、仁清、乾山の壺といえば、重文級の作品を数多く残している。
江戸後期の代表が酒井抱一と鈴木其一である。やはり、琳派の流れを受け継ぎ、屏風絵や漆芸に代表的な作品がある。
帰りは京都駅に行くのに、八坂神社の前を通ってきたバスは混んでいて、通過してしまう。おまけに、前が三十三間堂で長い列をなす。雨の中をバスに乗るのに随分待たされた。夜は市川君といつもの「がんこ」で食事をした。




















































































