吉野の桜               2012年4月12日

吉野下千本の桜
金峯山寺 仁王門 金峯山寺 蔵王堂
吉水神社より観た中千本の桜 下千本 中千本より下千本を望む 勝手神社
靜御前の衣装 後醍醐天皇御座所 
 奈良の桜の名所は何といっても吉野である。 さぞかし、満開の頃は下千本、中千本、上千本と咲き揃って行くであろう。そんなイメージをいだいて、吉野の山桜を観に行った。 電車やバス、ロープウエイを使えば、結構、時間がかかると思い、前もって予約しておいたJR奈良発のバスツアーを利用した。

 朝9時に発って、11時半頃に吉野の観光バス駐車場に着いた。そこから蔵王堂に登る道は、まるで浅草の仲見世通りのような混雑ぶりで、なかなか進めない。両側にお土産屋のある道をしばらく歩いて仁王門にたどり着いた。石段を登って、仁王門をくぐると蔵王堂がそびえていた。 蔵王堂すなわち金峯山寺は吉野を代表する寺院で、役の行者が建立した修験道の本山である。さらに、奥の院までの参道に咲く桜はほぼ満開だったが、山の斜面に見える千本桜は、満開とまではいかないけれど、ほころんだ蕾がピンク色に染まって美しい。
 蔵王堂のすぐそばに、南北朝時代の吉野朝宮跡という石碑が建っていた。 1336年に後醍醐天皇がここを南朝の都とし、南北朝時代は56年間続くのだが、ここに都があったのは最初の12年間にすぎない。その後は、西吉野村に移っている。ここを南朝の都として、3年後に後醍醐天皇は崩御し、後村上天皇が即位している。
蔵王堂からしばらく道なりに行くと、中千本あたりに、吉水神社があり、観光スポットとなっている。吉水神社から中千本、下千本の桜がよく見えるはずたが、まだ満開ではない。中に入ると、後醍醐天皇の行宮の間があり、ここが南朝の最初の宮であったとされている。 「後醍醐天皇玉座」の他にもう一つ、「義経潜居の間」があり、源義経の鎧と静御前の衣装が展示されていた。
 吉野は義経が頼朝軍に追われて、逃避行の途中に立ち寄った場所である。ここで、静御前と別れることになるが、謡曲「吉野静」、「二人静」の舞台となっているのは、吉水神社のすぐ近くにある勝手神社である。
義経が吉野の衆徒から逃れる際、佐藤忠信と計って、衆徒を欺くために静御前は舞を舞い、その間に義経を落ち延びさせるというのが「吉野静」のあらましである。この時にの殿(しんがり)を務めた佐藤忠信を謡ったのが「忠信」である。

二人靜 吉野にある多くの寺院の中で、私にとって最も親しみ深いのが、勝手神社である。サラリーマン時代に通勤中に読み耽った内田康夫著「天川伝説殺人事件」に登場する神社だし、舞われる能が「二人静」である。「二人静」は二人の静御前が一緒に舞うという至難の曲といわれ、ストーリーは次のようになっている。
「吉野勝手明神に供えるために里に下りて、菜摘みをしていた菜摘女の前に見知らぬ女が現れ、『私の罪の深さを憐れんで弔って下さるよう神職に伝えて欲しい』と云って消え去った。菜摘女が神職に伝えると、たちまち女の言葉、顔つきが変わった。神職が何者かと尋ねると、『判官殿に仕えた者』と答え、自分が静であると云う。 静御前ならば舞の名手のはずという神職の願いにより、舞を舞う。するといつの間にか、静御前の霊が現れ、二人の静御前が寸分の狂いもなく息の合った舞を舞う。」

 勝手神社の前に着いてよく見ると、2001年に本殿が焼失し、現在は閉鎖されているという看板がかかっていた。目当ての神社を見ることができず、バスの時刻に合わせて、そこで引き返した。一日中、人ごみの中にいて、すっかり疲れてしまった。

 このブログ記事を書く前に、「天河伝説殺人事件」と「平城山を越えた女」を読み直してみた。ともに奈良を舞台にするミステリー小説だが、逮捕者が一人もいないのも面白いし、内田康夫氏自身がお気に入りの小説である。もっと空いている時期に吉野を訪ね、「天河伝説殺人事件」で浅見光彦が滞在した桜花壇に宿泊し、ゆっくり吉野を探索してみたいと思う。できれば、さらに奥まで行って、天河神社すなわち天河大弁財天社まで足を延ばしてみたい。やはり、7月16、17日の例大祭で、能楽を鑑賞できれば最高だと思う。
満開時の吉野山 

今年も京都、奈良へ           2012年4月10日、11日

円山公園の枝垂桜 花見
蹴上インクライン 琵琶湖疏水
新薬師寺 元興寺曼荼羅
 ここ数年、京都、奈良を訪ねることが多くなった。それも一人旅で写真を撮るのが目的になっている。今年も桜の撮影に行くことにしたが、私がホテルを予約したあと、家内が奈良の法隆寺へ行ってみたいと云いだした。写真撮影は一人の方が気楽で良いのだが、うるさいので結局、京都は駅の近くのゲストハウスに変更し、奈良はシングルルームを追加予約した。
蹴上
 京都は四半世紀も前に、単身赴任していた大阪の職場で花見に行ったことのある、蹴上から円山公園への道をたどることにした。
 京都の地元の人たちが花見に行くとしたら、この辺りか、平野神社、少し足を延ばして、嵐山といったところだろう。ゴザやレジャーシートを敷いて酒を飲み、食事ができるところは意外と少ない。
 蹴上に行くには、京都駅から地下鉄烏丸線で烏丸御池まで行き、東西線に乗換えて、蹴上駅で降りるのが速くて便利だ。
 蹴上には琵琶湖からいくつかのトンネルを通って引かれた琵琶湖疏水があり、水道水や灌漑用として使われている。また、鉄道や陸運が普及するまでは、水運用にも使われ、琵琶湖から蹴上まで船便が通っていた。水路は蹴上で分岐し、日本で最初の水力発電所に流れ込み、船は台車に載せられ鉄道を走る(?)ことになった。587mの鉄道をワイヤーで繋がれた2つの台車がケーブルカーのように交互に移動していた。「船頭多くして舟山に上る」ではなく、「船頭なくして舟山を上る」の奇観が登場したのである。この鉄道が蹴上インクラインと呼ばれ、今は使われていない複線レールの両側に、ソメイヨシノの花が咲き誇る桜の名所となっている。
 蹴上は多くの花見客でにぎわっていた。復元された台車の横を通って線路の上を歩く。インクラインの説明が案内板に書かれていたが、何でこんなところに、線路があって、さらに船がのっかっているのか分かりにくい。家内はここが京都のどの辺なのかも理解していない。
 琵琶湖疏水記念館から見た疏水の景色が綺麗だ。十石舟も花見の風情をもりあげている。
 そこから白壁のわき道を少し歩くと南禅寺に着くが、南禅寺は方丈や南禅院が修復中で拝観できない。三門の下を通って、神宮道から青蓮院、知恩院の前を過ぎ、円山公園に入った。
 円山公園のシンボルである「祇園枝垂桜」はまさに満開になったばかりで、たくさんの人がカメラを向けていた。日が沈む頃の桜はピンクに染まって美しい。夜桜見物の人たちも真っ赤な毛氈で覆われた床几に腰掛けて、ライトアップを待っている。私たちもここでゆっくりしていれば良かったのだが、桜色のソフトクリームを食べ終わると、朱塗りの社殿で囲まれた八坂神社の中に入った。ここは祇園の中心で和服姿の花見客も多く、カメラは自然とそちらを向いてしまう。
元興寺 
 翌日は一日中雨で、京都を廻ることもせず、奈良に向かった。ホテルに荷物を預け、駅前の蕎麦屋「雄町」で昼食を済ませた。
 奈良では、これまで行きそびれていた元興寺(がんごうじ)と、昔、何度か行ったことのある新薬師寺を見ることにしていた。雨の中を歩き廻るのは大変だ。元興寺に行くバスに乗ったが、最寄りの停留所からお寺まではずいぶん遠く感じた。激しくはないが、しとしとと降る雨である。
 元興寺は日本で最も古い仏教寺院の一つで、世界遺産に指定されている。聖徳太子とともに仏教を広めた蘇我馬子によって596年に建立された飛鳥寺が、名を変えて、法興寺となるが、「仏法興隆」を祈念して法隆寺と対の名が付けられたと云われている。718年、平城遷都後に現在の地に移築されて、元興寺と名を変えている。明日香村に、飛鳥寺が存在するが、平城遷都後に法興寺が移築された際に残されたお寺である。雨のせいなのか、元興寺はなんとなくうらぶれて見える。天気の良い日にもう一度行ってみたいと思う。
新薬師寺
 新薬師寺は本堂を含めて本尊の薬師如来坐像、脇侍の12神将立像などで有名な、国宝だらけのお寺である。この寺は天平年間に光明皇后が聖武天皇の眼病平癒のために建立された寺で、創建当時は壮大な本格寺院であったという。薬師如来本尊は平安初期に造られた木造であるが、本尊を取り囲む12神将は天平時代に土で作られた塑像である。バサラ大将をはじめ、12体すべてが怒りの表情をしているが、その中に衆生を見守るような優しさもうかがわれる。
 新薬師寺には、かって、もう一つの国宝級の金銅仏があった。香薬師如来立像である。せいぜい高さ75センチ程度の仏様で、白鳳時代に制作されたものである。昭和18年に3度目の盗難にあい、それ以来見つかっていない。
 もう、40数年も前になるが、私がこの寺を初めて訪ねたとき、薬師如来像の胎内から小さな仏様が見つかったと騒いでいたのを思い出すが、私の勘違いだったのである。多分、複製像の特別拝観だったのだろう。今回、拝観受付で、「30年か40年前に私がこちらに伺った時に胎内仏が見つかったと聞いたのですが、あれは今どうなっているのですか?」と聞いてみたら、「そんなに昔やあらしまへんけど、20年ほど前にお地蔵はんが見つかりました」との答えであった。たしかに景清地蔵尊の中からおたま地蔵尊が見つかり、現在の地蔵堂の中に祀られているようである。
 香薬師仏に関しては、昭和17年にここを訪れた、亀井勝一郎が「大和古寺風物誌」の中にその風貌について記述している。この像はこの附近に聖徳太子が創建された香薬師寺があり、その本尊であった。光明皇后がこの仏様に天皇の眼病治癒を祈念され、その恢復のお礼に、行基をもってして薬師如来坐像を建立され、その中に収められたという。天平当時の大伽藍は創建後34年にして火災により灰燼に帰している。現在の薬師如来坐像は再建後のものである。
 内田康夫著「平城山を越えた女」で香薬師仏盗難にまつわる事件を名探偵浅見光彦が解決していくというのも面白い。本当に香薬師仏は今どこにあるのだろう? この寺院は謎の多いお寺である。

早春の日光                 2012/3/15

日光東照宮五重塔 大猷院仁王門
大猷院二天門 大猷院夜叉門 夜叉門の装飾 大猷院唐門

 以前宿泊したことのある、日光中禅寺湖畔にあるホテルから年賀状が来ていて、3月末までは割引料金で泊まれるとあった。雪の残るいろは坂はホテルのマイクロバスで送迎してくれるというので、久しぶりのドライブに出かけた。
 いつも駐車させてもらっている「明治の館」で食事をすませ、輪王寺から東照宮へ廻った。東照宮は何度も観ているし、拝観料が高いので、今まで中に入ったことのない大猷院廟を観ることにした。ここは徳川三代将軍家光を祀った輪王寺の塔頭の一つである。中に入ると東照宮を小振りにしたような建物が多く、いわゆる、「権現造」の典型例でもある。東照宮では陽明門の彩色や彫刻類が素晴らしいが、大猷院の二天門や夜叉門のそれも、負けず劣らずの景観である。唐門は本殿の入り口で、中に入ると本殿があり、家光のお位牌が祀られている。昨年の大河ドラマ「江・姫たちの戦国」を記念して?隣にお江の方の位牌と二代将軍秀忠の位牌が祀られていた。本来は芝の増上寺にあるはずだが、一時的にこちらに移したのだろう。
 大猷院は東照宮よりはるかに静かで、壮麗さも東照宮に負けない。むしろ小ぢんまりとしていて好感が持てる場所である。家光が家康を慕い、決して東照宮を超えるような廟にしてはならないという遺言に従って建てられた墓所らしくなっている。
 まだ雪の残る日光山境内を駐車場まで戻り、日光駅まで裏道を通って急いだ。ちょうど、ホテルのバスが駅前にいたので、駐車場を案内してもらい、バスに乗り換えた。いろは坂は雪が随分残っていて、冬タイヤでないとスリップするかもしれない。華厳の滝に寄ったが、雪のため、滝があまり目立たず、良い写真は撮れなかった。ホテルで夕食にスペシャルメニューのアンコウ鍋を堪能し、湯本温泉から引いているため、柔らかな泉質になっている温泉を楽しんだ。翌日はマイクロバスが戦場ヶ原や竜頭の滝、立木観音を案内してくれて、日光駅まで戻った。
 今回宿泊した「ホテル四季彩」は中禅寺湖畔にある落ち着いた旅館であるが、これが二度目の利用である。前回は2009年3月24日に宿泊している。ホテルに着くまで、第2回WBC(ワールドベースボールクラシック)決勝戦の実況放送を聞いていたが、延長戦でイチローのタイムリーが出て、ホテルに着いた直後にホテルのテレビで優勝の瞬間を見たのを思い出す。
 あれから、丁度3年になるが、その間、一度も車で宿泊旅行をしたことがなかった。これはこのブログ記事を書く前に写真を調べてわかったことである。今回も車で行く必要はなかったのだ。

男体山 立木観音から見た中禅寺湖

紅葉の古都 第5日        2011/12/01

 永観堂 
永観堂 南禅寺
南禅寺 高台寺
 奈良、京都の旅の最後の日である。16時5分京都駅発の「ぷらっとこだま」の指定席を予約していた。この列車に乗らないと、9800円がおじゃんになる。
 今回も余裕5分程度でなんとか乗れたが、もう少し余裕を持って駅に着くようにしたいと思う。帰りの列車は禁煙車でゆったりとした時間を過ごせた。我孫子に着いたのが夜の9時頃で、いつものスナックでカラオケを歌って帰った。この5日間、ほとんどしゃべっていないので、いつもの歌もよく歌えない。ママさんが、よく5日間も一人で過ごせるねと感心していた。歩行数は98000歩であった。一日平均で約2万歩を歩いた計算になる。
 朝はホテルでバイキングを食べる。3食のうち最もカロリーの多い食事が朝食だから、身体の調子も極めて良い。
 京都駅からバスで東大路を通って、南禅寺永観堂道で降りると徒歩3分で永観堂の総門に入る。境内に入ると、白壁の上から真っ赤な紅葉が一面に燃えている。これを見ただけで、このお寺が京都の代表的な紅葉の名所であることがわかる。

 永観堂って云っても、知らない人も多いかもしれない。隣の南禅寺の塔頭の一つと思う人もいるだろう。紅葉の時期だけ、ライトアップするので有名になるのだ。正式名称は「聖衆来迎山 無量寿院 禅林寺」と云い、法然を宗祖とする浄土宗西山禅林寺派の総本山になっている。法然が浄土宗を開いたのは鎌倉初期なのだが、このお寺は平安初期に清和天皇の勅願によって真言宗のお寺として創建されている。その後、中興の祖、永観律師(ようかんりっし)の時代に大いに栄え、この律師の名をとって、永観堂と呼ばれるようになった。本尊は阿弥陀如来だが、こちらの阿弥陀様は横を向いておられる。伝説では、もともと、この阿弥陀様は東大寺の宝蔵に収められていた秘仏であったが、永観律師が当時の白河法皇のゆるしを得て、禅林寺、本堂に祀るようになった。あるとき、律師が行道を行っていたとき、突然、阿弥陀様が律師の前に立たれて、先導され、律師の方を振り返り、「永観おそし」と声をかけられたという。このお姿を後世に残すためにここの横を向いて、人々を導みかえり阿弥陀 くお姿の「みかえり阿弥陀」像が造られたとされている。確かに、平安末期作風のやさしいお顔の阿弥陀様である。
 中門前で拝観券を買って、中に入ると、坂に沿って、堂宇が建っており、いたる所が紅葉の赤や黄色に囲まれている。阿弥陀堂からさらに上って、多宝塔に到るが、ここからの京都市内を見下ろす景色がすばらしい。北山から嵐山方面の山々が紅葉で彩られているのがよくわかる。昨日、大河内山荘から眺めた景色を逆の方向から見たようである。
 多宝塔を下りて、庭に降り、放生池の周りを歩くと池に映る紅葉も綺麗だ。すぐそばに、苔庭があり、一面を銀杏の葉が覆い尽くし、その上に楓の赤い葉が、陽に耀く様は、まさに写真に撮らずには済まされない光景である。
 永観堂から南禅寺はすぐそばになる。南禅寺は過去に何度も来ているが、印象に残るのは石川五右衛門の「絶景かな絶景かな・・・」で有名な山門で、その大きさである。二階の欄干から大勢の人たちがその絶景を望んでいた。 ここはもともと禅林寺すなわち永観堂の境内で、後嵯峨天皇が離宮を造られ、そのうち、「上の御所」と呼ばれる持仏堂が「南禅院」と呼ばれるようになった。現在の南禅寺が建立されたのは、その30年後、亀山法皇の時代で、臨済宗南禅寺派の総本山となっている。南禅院は現在、南禅寺の塔頭の一つになっているが、歴史的にはこちらの方が古いのだ。
 南禅寺は紅葉の名所としてよりも桜の名所、蹴上から、哲学の道にいたる中間地点で琵琶湖疏水が流れる水道(水路閣)の方が若い人たちには有名なのかもしれない。蹴上のトロッコ道(船を乗せる台車用線路)や旧京都市電用の発電所は、昔、私が大阪に赴任していた頃、部下の皆さんを連れてきたことがあるが、花見の出発点としては絶好の場所だと思う。一方、南禅院の紅葉は、永観堂の続きを見るようで、水面に映えて美しい。歴史的に見ても、つながりがあったとは、後で感心したことである。
 南禅寺から次は高台寺に行こうと、バス停を探したが、見つからない。ウォーキングナビで、探しても、遠回りの道になってしまう。まあいいやと思って歩いていると私より年配のご夫婦に道を聞かれたので、一緒に行くことにした。動物園のそばの景色の綺麗な水路脇を通って、南の方向に歩いた。私はまだ食事前だったので、三条神宮道の交差点の近くでお二人と別れた。食事後、青蓮院、知恩院の横を通って、高台寺にたどり着いた。
 高台寺は豊臣秀吉の正妻ねねの寺として知られる。1598年、秀吉が没したのち、正妻ねねは落飾し、高台院と称するようになった。関ヶ原の戦いにおいて、淀殿と豊臣秀頼が石田三成の西軍に対して味方した(応援した)のに対し、豊臣の生きる道は徳川政権のもとでの安泰しかないと信じた高台院は、甥の小早川秀秋に東軍に着くように説諭し、合戦は小早川軍の寝返りによって勝敗が決した。子供の頃からねねに可愛いがられた加藤清正や福島正則らが東軍に属したのも高台院の影響と云われている。
 高台寺は1606年に豊臣秀吉の菩提を弔うため、北政所(高台院)が建立したお寺である。寛永元年(1624)に建仁寺から三江和尚を開山として迎え、高台寺と号した。この時の造営のため、徳川家康は多大の経済的援助を行い、壮大な寺院となっている。高台院は同じ年に没しており、高台寺は豊臣秀吉と高台院を祀る臨済宗建仁寺派の寺院となった。以後、数々の堂宇が焼失し、現在に至っているが、現在でも小堀遠州作とされる庭園は桜や萩の名所となり、紅葉も美しい。霊屋(おたまや)には秀吉とねねの木造が置かれている。
 高台寺を3時頃に切り上げ、早めにホテルに戻り、預けた荷物を取って、新幹線ホームに行こうと思い、バス停に急いだ。バスは清水道に着いていて、あわてて乗り込んだ。充分に間に合うかと思いきや、道が混んでいて、なかなか京都駅に着かない。いらいらしながら、こだまの発車時刻約20分前に駅に着いた。大急ぎでホテルにもどり、荷物を取って、新幹線ホームに着いたのが発車5分前、「ぷらっとこだま」に付いている飲み物をもらい、弁当は車内で買った。ウォーキングナビでを見てみたが、ウォーキングモードではなく、カーナビモードになっていた。南禅寺から高台寺への道が、大通りをを通るようになっていた原因がわかった。カーナビモードで見ていると、新幹線沿線の風景や建物が何なのかよくわかる。これもポケットカーナビの一つの機能として面白い。

紅葉の古都 第4日      2011/11/30

大河内山荘 
大河内山荘苔庭 野宮神社じゅうたん苔
野宮神社黒木の鳥居 野宮神社から大河内山荘へ行く竹林の道

 宿というところは、一晩過ごすとすっかり慣れてくる。このホテルは駅から近いわりに、ずいぶん静かである。 昨日まで京都はどの辺に行くかは決めていなかった。嵐山、嵯峨野の大覚寺付近と、南禅寺から清水寺あたりを歩いてみようと思っていた程度である。寝る前に地図を広げて考えてみたが、嵐山まではバスだと結構時間がかかる。嵐山付近に行く他の交通手段は嵐電を利用するという手がある。しばらく地図を見ているとJRがあるのに気が付いた。山陰本線の嵯峨嵐山駅で降りて天龍寺へ行けそうだ。
 ホテルでバイキング形式の朝食を済ませて、京都駅に行った。山陰本線の始発駅になっている。嵯峨嵐山駅で付近の地図をもらい、降りた人たちに付いていくと、みんな野宮神社の方向へ行く。野宮神社は伊勢神宮に仕える斎王が身を清めるために斎宮に向かう前の一年間を過ごす場所である。斎王や斎宮についてはすでにこのブログに記した。
 野宮神社はそれほど広いわけではないが、紅葉や苔が綺麗である。斎王についての予備知識がある人にとってはどうということはない場所である。ここから多分いろんな所へ行くことができるが、みんながぞろぞろと行くのは大河内山荘である。テレビコマーシャルで有名な竹林の道が途中にあるからだ。竹林はよく手入れされて綺麗だ。大河内山荘は歴史的に古いわけでもないが、紅葉は素晴らしい。私が小さい頃よく見た、映画でおなじみの片目片腕の剣豪、丹下左膳役で有名な大河内伝次郎が30年もの期間をかけて築き上げた回遊式借景庭園である。嵐山が借景になり、高台から見ると、保津川をすぐ下に見下ろし、京都市内全体を眺めることができる。はるかかなたに大文字焼き「大」の字も見えた。大河内伝次郎の人となりについては高峰秀子著「わたしの渡世日記」にも登場する。お寺や神社ではないので、むしろ親しみやすい場所と云えよう。
 大河内山荘からしばらく歩くと小倉池を左に見て、常寂光寺に着く。常寂光寺は慶長元年(1596年)に創建された日蓮宗のお寺である。この付近は小倉百人一首の編纂者、藤原定家の山荘のあった地域で山の名前も小倉山と呼ばれている。名前に似つかわしくない、茅葺の小さな仁王門を入ると、一面が紅葉である。山の傾斜に沿って寺院が点在するが、紅葉だらけで、紅葉を見るために作られたお寺ではないかと疑うばかりである。
  「小倉山しぐるゝころの朝な朝な昨日はうすき四方のもみぢ葉」 藤原定家 
 
 もみじの山を下って、昼食をとり、次の二尊院に向かった。途中、向井去来の庵の跡、落柿舎がある。去来は芭蕉の一番弟子で元禄の俳人である。熟した柿の実がその名にぴったりというところか。
 二尊院は正しくは「小倉山二尊教院華台寺」といい、天台宗に属している。二尊というのは、人が誕生するときに送り出す「発遣の釈迦」と人が寿命尽きたときに迎えてくれる「来迎の弥陀」といわれる釈迦如来と阿弥陀如来を祀ってあるという意味である。本堂の中に釈迦如来、阿弥陀如来立像が仲良く並んでいる。 ここには旧摂関家や豪商角倉了以などの墓が隣接しており、俳優、阪妻こと坂東妻三郎の墓もある。阪妻といえば、つい先ほど行った大河内山荘を建てた大河内伝次郎や片岡知恵蔵、嵐寛寿郎、長谷川一夫、市川右太衛門など戦後の時代劇映画を賑わした六大スターの一人である。めんこの図柄に使われていたので名前はよく知っていたが、私にはこの阪妻の映画は思い出せない。彼が亡くなったのが私が10才の頃だったからだろう。
 二尊院を出て、歩いていると、さっき見た落柿舎の横に出た。次は清凉寺に行きたいのだが、他の観光客は右折している。こういう時に困るのが、私の方向音痴である。駅でもらった地図を見て、人に聞いたら、みんな駅に向かっているようだ。今回初めて使うウォーキングナビを見たら、反対方向に行かなければならない。ナビの指示に従って歩いて行くと。目の前に清凉寺の仁王門が見えてきた。清凉寺は嵯峨釈迦堂とも呼ばれ、嵯峨天皇の皇子、源融の一周忌にあたりその子息が建立したと云われている。源融は光源氏のモデルとされる。庭園は池泉式回遊庭園で池の周りの紅葉がとくに綺麗である。こちらの釈迦如来像と阿弥陀三尊堂は国宝として、他にも多くの重要文化財が霊宝館に収められている。
 三時を過ぎて、日が傾いてきたので、次の目的地大覚寺に急いだ。清凉寺から大覚寺へはすぐに着いた。テレビの時代劇にもよく登場する大沢池を境内に持つ、有名なお寺である。もともと、嵯峨天皇が離宮として建立され、中に空海がお堂を建てて真言宗の寺院とした嵯峨山の山号を持つお寺でもある。鎌倉期においては亀山法皇や後宇多法皇が院政を行ったので嵯峨御所とも呼ばれた皇室ゆかりのお寺で、代々法親王が住職となった門跡寺院である。華道嵯峨御流の家元で嵯峨菊華展が開かれていた。紅葉は朝から見てきた景色に比べるとさほどでもないという感じだ。
 大覚寺から京都駅行の京都バスで帰ったが、居眠りをしながら、京都駅に着いた頃は夜の風景になっていた。京ラーメンを食べて、つまみとお酒を買って、ホテルで飲む最も安上りの夕食になった。
小倉池 常寂光寺
常寂光寺 落柿舎
二尊院 清凉寺
清凉寺 大覚寺

紅葉の古都 第3日午前     2011/11/29

浄瑠璃寺阿弥陀堂 
浄瑠璃寺三重塔 岩船寺無人土産店
岩船寺三重塔 岩船寺隅鬼

 奈良の紅葉の名所というのは、昨日と一昨日に行った奈良公園や長谷寺、談山神社、それに室生寺が代表的な場所である。次が浄瑠璃寺と岩船寺になる。この二つのお寺は、京都府の木津川市、昔の山城国に位置している。JR奈良駅からは浄瑠璃寺行きのバスがあって、30分程で行ける。1時間毎に出ていて、浄瑠璃寺に着いて、2分後に岩船寺に行くバスが発車する。バスの中で聞いていると、まず岩船寺に行って、徒歩で浄瑠璃寺に戻った方が、下り坂で楽に石仏を見ながら鄙びた道を歩けると言っていた。私は歩くほどの時間が無いので、まず浄瑠璃寺を観ることにした。この寺の阿弥陀堂は有名で蕎麦店「雄町」の店内にも浄瑠璃寺の写真が飾ってあった。
 これまで奈良で観た広大なお寺に比べると、両寺とも小振りで山里に隠れるようにあるためか、戦火にもあわず、ひっそりと建っていた。どちらも、真言律宗で西大寺の末寺にあたる。真言宗と律宗の教義を兼ね備えているようである。
 浄瑠璃寺には薬師如来、阿弥陀如来、大日如来が東西北に祀られている。九体の阿弥陀如来と阿弥陀堂、薬師如来が祀られている三重の塔は国宝に指定されている。阿弥陀如来は九品仏で阿弥陀堂が彼岸、池を挟んで東側が此岸になる。このように書くと、宇治平等院を連想してしまうけれど、阿弥陀信仰は同じとしても、平等院はどの宗派にも属していないとのことである。
 阿弥陀堂と三重塔は藤原時代の建築物で、この時代の建物が現存して国宝に指定されているのは極めて珍しい。此岸から彼岸を見た景色は阿弥陀堂が紅葉とともに池に映って美しい。このお堂の中に上品上生から下品下生までの九つの如来が祀られているのだ。
 岩船寺は本堂に阿弥陀如来坐像が祀られている。歴史的には岩船寺が最も古く、次に浄瑠璃寺、平等院の順となる。ここの三重塔も本堂と池を隔てて美しい朱色を映している。各階の垂木には隅鬼(天邪鬼)の木彫が彫られていて、ユーモラスな表情を見せている。岩船寺のパンフレットでは天平元年の建立で、最盛期には大伽藍をなしていたが、承久の乱(1212年)に兵火にあってほとんどを失ったとある。
 岩船寺からのバスは関西本線の加茂駅まで行くのと、浄瑠璃寺へ引き返す二通りのコースがあるが、待ち時間を考え、加茂から電車で奈良駅に行った。奈良駅で降りてホテルに立ち寄り、預けていた大きなリュックを背負って「雄町」で昼食にした。

紅葉の古都 第3日午後      2011/11/29

東福寺通天橋 
東福寺方丈庭園と庫裡 東福寺北庭
東福寺三門 東福寺の紅葉
 奈良を立って、みやこじ快速で京都に向かった。今日の宿泊はJR京都駅、新幹線口からすぐ近くにあるエルイン京都を予約している。安いホテルだが館内もきれいで従業員の応対も一流ホテルなみである。部屋も綺麗で文句のつけようがない。昨日までのLOHASスーパーホテルと違い、大風呂が付いていないのが残念である。春はLOHASスーパーホテル四条河原町を利用した。大風呂が付いているが高い。便利さを考えてエルイン京都にした。
 チェックインもすぐにできたので、部屋に荷物を置いて、奈良線の一つ手前、東福寺駅まで行った。東福寺は紅葉の名所として京都でも一二を争うような名所である。嵐山、三尾、大原などに比べると市街地に近いせいか、見物客がやたらと多い。去年の2月に、女房と初めて来たときは、ひっそりとしていたお寺であったが、このシーズンは駅から群衆の中でぞろぞろと歩いて境内に入ることになる。まず驚いたのは通天橋の景色が見える俄雲橋の混雑ぶりで、カメラは何とか使えたが、被写体の通天橋も人だらけの景色になった。冬の通天橋は誰もいない風景だが、紅葉が無いので、殺風景な写真になってしまう。上に掲載している写真は、夕方、閉館後の写真である。カメラの高感度を利用して、夕方の薄暗い時刻でも綺麗に撮れている。
 東福寺は創建が鎌倉初期で臨済宗の京都五山の一つである。臨済宗では妙心寺ほどではないが、多くの塔頭がある。前回訪ねた、雪舟寺と呼ばれて有名な芬陀院(ふんだいん)や今回立ち寄った光明院が有名である。東福寺は南都の東大寺と興福寺の一字ずつをもらって名付けられたという。伽藍の大きさでは天龍寺や大覚寺にも負けないくらいの大きさで、単なる観光地としてではなく、臨済宗東福寺派の総本山として地位を維持している。
 枯山水の方丈庭園や苔と石で市松模様をなす北庭園がよく紹介されるが、ここの三門は国宝で堂々とした威容を見せてくれる。
 東福寺を出たのがすでに夕暮れなっていたので、ホテルにもどった。京都駅の構内を探してみたが、良いところが見つからず、ホテルのレストランで食事をとった。

紅葉の古都 第2日       2011/11/28

長谷寺五重塔 
長谷寺登廊 長谷寺本堂
談山神社本殿 談山神社十三重塔

 ホテルで朝食を済ませて、デイバッグを背負い、JRで桜井まで行った。今日は長谷寺と室生寺、談山神社と廻る予定である。昨日まで多武峰(とうのみね)までしか行かなかったバスが、今日から談山神社まで行くようになり、バスの本数が多くなっている。バスがすぐ出るので、まず談山神社の紅葉を観ることにした。長谷寺と談山神社は昨年4月に桜を観るために訪れている。ブログには書いていないが、桜も綺麗である。
 この神社は大化の改新で中大兄皇子と中臣鎌足が、当時の権力者で天皇家を脅かすほどになった、蘇我入鹿を討ち取るために談合した場所として知られている。神社の名の由来はこの談合した場所(山)という意味から来ている。祭神はこの中臣鎌足、すなわち藤原氏の祖、藤原鎌足である。拝殿の中には、「多武峯縁起絵巻」の写本があり、日本史の教科書にも載っている大化の改新の絵で、板蓋宮(いたぶきのみや)での入鹿の首が刎ねられているシーンを見ることができる。
 有名な十三重の塔も紅葉の中に凛として建ち、朱色が映えていた。今晩、また寄ろうと思っていた「雄町」へのお土産に地元産の奈良漬けを買ったが、この重さでデイバックが肩に食込んだ。
 バスで桜井駅に戻る途中、いつも気になるのが聖林寺である。ここにはフェノロサや和辻哲朗が絶賛している国宝、十一面観音立像がある。次に奈良に来たときに立ち寄りたい場所である。
 桜井駅から近鉄で長谷寺駅まで行って、約20分ほどで長谷寺へ着く。この歩く距離が結構長く感じる。桜や紅葉も良いが、最も賑わうのが、ボタンの時期、4月末から5月初めの頃である。他の時期でも、いろんな花が咲き、「花のお寺」として有名である。昔、大阪に赴任していたとき、石楠花を見るために、榛原の駅から山越えで室生寺に行ったが、そのあと満員のバスに乗って長谷寺へ行った。ボタンの花に沿っている登廊は身動きできないほどの混雑ぶりであった。
 去年の春の桜も良かったが、紅葉も綺麗だ。冬牡丹も咲き始めていた。特別拝観でお守りと五色線を頂き、10mを超える十一面観世音菩薩立像の御御足を撫でさせてもらった。長谷寺の五重の塔も桜の季節とはまた違う鮮やかさである。
 長谷寺から室生寺に行く予定であったが、直通バスは土日しか運行していない。一旦駅に戻って、次の榛原で電車を乗り継ぎ、さらにバスで行かねばならない。晩秋の日は短い。あきらめて、奈良駅まで戻った。
 ホテルで少し休んで、「雄町」で夕食を頂いた。昨日のお客さんはいらっしゃらなかったので、女将さんと会話をしながら、雄町酒の利き酒セットを飲み、一時の安らぎを味わった。女将さんは春に会ったときよりウンと美人で若い。本当にゆっくりとくつろげる場所である。最後は「卵かけ御飯」でお腹を満たした。一人旅の良さを満喫した一日であった。
蕎麦処「雄町」ご主人一家 「雄町」の雄町酒

紅葉の古都 第1日    2011/11/27

奈良公園
奈良公園 水面に映る大仏殿
大仏殿八角灯篭 奈良の大仏様

 ここ数年、京都、奈良にはたびたび行っている。昨年は冬と春、今年は春の花見時期にも訪れている。きっかけは大学を卒業して入った会社の友人、O君の誘いで、3年前の2月に伊勢神宮に行ったついでに京都に立ち寄ったのが始まりになる。定年まで勤めた会社の仕事で京都に立ち寄ることはあっても、観光のための旅行はほとんどしていなかった。
 これまで、秋の京都を観たことがなかった。京都は花の名所であると同時に紅葉の名所でもある。紅葉の時期の京都の方が混雑するとは聞いていたが、今回の経験でそれを初めて実感した。まず、宿が取れない。 9月に、春に泊ったビジネスホテルを検索してみたが、11月半ばは全く部屋が取れない。何とか、11月末の紅葉の終わりの時期に取れた。幸いにも今年は紅葉の時期が遅くなり、丁度、紅葉最盛期になってくれた。春は3泊4日であったが、晩秋の日の短い時期なので、4泊5日のスケジュールにして、春と同じく、まず奈良に行って2泊し、京都で2泊することにした。ホテル料金は奈良は通常通りだが、京都は5割増しの料金になっている。新幹線は春と同じ「ぷらっとこだま」を利用した。これも早めに購入すべきであった。なんとか、希望の列車には乗れたが、喫煙席しかあいていなかった。「ぷらっとこだま」のキップは数に制限があって、希望の指定席車両が空いていても取れなくなる。実際にこだまの指定席は半分以上あいていた。私が乗ったのは喫煙車だったがタバコを吸っている人は一人もいない。禁煙車なのかしらと思っていたが、京都に着く頃に、すぐ近くの女性がタバコを取り出したので、「あれ!」と思った。喫煙席の車両は煙が濛々としているという私のイメージが間違っていたのである。みんな遠慮しているのだ。あまり、禁煙車にこだわることもないと思った。
 
 京都からみやこ路快速で奈良まで行き、駅前の温泉つきスーパーホテルに荷物を預け、奈良公園に向った。私の荷物や服装はほとんど登山と同じスタイルである。大きなザックに小さなデイバッグを入れ、その中にカメラバックを入れている。奈良公園にはカメラバックに一眼レフとコンデジを入れて出かけた。この日は晴天で、夕方も暗くなるのが遅く、東大寺大仏殿の閉門ぎりぎりに入った。奈良公園の紅葉もきれいである。日曜日だったので観光客も多かった。日曜日に出発したのは、宿の関係もあったが、春に親しくなった駅前のお蕎麦屋さん「雄町」で二晩の食事にしたかったからである。火曜日の夜はお休みでやっていない。ホテルにチェックインしたあと、6時頃、「雄町」に入った。店内に入ったら、若い女将さんが、半年も前に会っただけの私を一目見ただけで認知してくれて、まさにいつも来ているお馴染みさんと同じ扱いをしてくれたのである。すでにカウンター席に私と同じくらいの年輩のお客さんがいて、そのかたともすぐに親しくなった。寄席に行っての帰りで、落語の話で花が咲いたが、そのお客さんの口の滑らかさが咄家並みで軽妙である。厭きる事もなく、楽しい夜を過ごした。
 お酒は雄町米のお酒の「利き酒セット」が美味しい。蕎麦屋でおまかせで飲むというのは、東京でもよくやっているが、江戸っ子らしい気分に浸ることが出来た。

妙心寺      奈良京都の旅の続き

退蔵院庭園
妙心寺宝堂 胎蔵院元信の庭
大心院 桂春院狩野山雪襖絵

仁和寺前でバスを降りて、京福電車の御室仁和寺駅前まで行き、左側の踏切を渡って線路沿いに東へ向かった。妙心寺には、いつもは丸太町通りに面した南門から入るのだが、今回は、北門から入ろうと思う。こちらから入る観光客は少ないのか、それらしい人には会わなかった。お昼をとっくに過ぎていたので北門前付近で食堂を探した。「萬長」というお店と「つれづれ亭」というお店があった。よく見ると、「つれづれ亭」は「萬長」の分店で、入りやすそうなので、そこで昼食を摂った。この付近は「双ゲ丘」と云って、「徒然草」の吉田兼好が庵を結んだ土地である。
妙心寺は広大な土地に46の塔頭があり、禅宗の中でも最大の宗派、臨済宗妙心寺派の総本山である。建武4年(1337)に花園法皇が自らの離宮を禅刹に改め、関山慧玄(無相大師)を開山として迎えたのが始まりである。応仁の乱で一時中絶したが、細川勝元の支援で再興したとなっている。午前中に行った、枯山水の龍安寺も妙心寺派の末寺である。
禅宗は達磨大師がその始祖である。達磨はインドで生まれ、6世紀初頭に中国に渡り坐禅を組んで、内観を重んじる禅の心を確立している。その一世紀後に、曹洞宗と臨済宗に分かれて、お互いに栄えるようになった。鎌倉時代に道元が曹洞宗を、栄西が臨済宗を日本に伝えている。
曹洞宗の総本山は福井県の永平寺であるが、臨済宗には多くの宗派があり、妙心寺派のほか、大徳寺派、南禅寺派、天龍寺派などがある。また、鎌倉の円覚寺、建長寺などがそれぞれの宗派の本山となっている。
臨済宗寺院数は約6000余りだが妙心寺派はそのうち約3600を占めている。
妙心寺は観光地としてはあまり有名ではなく観光客も少ない。本山の堂宇としてよく知られているのは、狩野探幽が八年がかりで描いたと云われる天井画、雲龍図のある法堂と、狩野探幽、益信作の襖絵がある大方丈や、明智光秀の菩提を弔うために創建された明智風呂などである。ほかに、西暦698年にあたる年に製作されたという銘文のある日本最古の梵鐘が法堂の中に安置されており、国宝に指定されている。
たくさんの山内塔頭の中で常時一般公開されているのは、退蔵院と大心院、桂春院のみである。今回は最初に、桂春院に行ってみた。この中に入ったのは初めてだがここの庭は枯山水でもなく、まったく普通の庭としか思えない。秋の紅葉が綺麗なのかもしれない。次に行ったのが大心院だが、ここは樹木や苔などで囲まれた枯山水の庭がある。宿坊も兼ねていて、落ち着いた寺院である。
何と言っても、立派なのは退蔵院の庭である。ここの枝垂れ桜は何度見ても素晴らしいし、枯山水の石庭も立派である。それほど広くはないが、全体的には回遊式庭園の様式も引き継いでいて、日本庭園のエッセンスがここにあると云っても良い。昨年、私がこの寺から外に出たときに、拝観に来ていたおばさんから、「ここには何があるんですか?」と聞かれたが、「素晴らしい庭が有りますよ。ここを見ないで帰ったら妙心寺に来た甲斐がありませんよ」と応えた。昨年も同じ桜の季節に来たのだ。水琴窟も有って、耳をすますとつくばいから落ちる水音が綺麗に響いて聞こえる。
ここでしばらく休んだあと、南門を出て、京都駅に向かった。

狩野探幽作 雲龍図 退蔵院 築地塀DSC_0996 (740x491)