秋の京都 2015年11月19日

源光庵 悟りの窓 源光庵 迷いの窓 
源光庵庭園 源光庵 落葉
 
 京都に来て2日間雨にたたられたが、3日目は良い天気だった。昨晩、「かみや」で聞いた鷹が峯に行くことにした。前は、鷹が峯というのは仁和寺の南側に位置すると勘違いしていた。尾形乾山やその師の野々宮仁清が仁和寺近くに居を構えていたからである。実は金閣寺よりさらに北に上り、山の麓まで登った所に、本阿弥光悦が徳川家康に与えられた土地で、光悦が文化村的な場所として、工芸家や美術家が住まわせていた場所である。この一帯を「鷹が峯」と云う。後に、琳派の尾形光琳もここに居を構えた時期がある。

 ここで紅葉で有名なお寺と云えば、源光庵がある。このお寺はもともと臨済宗のお寺として建てられたが、元禄期に曹洞宗に改まって、再建されている。ここで有名なのは「悟りの窓」と呼ばれる丸窓と「迷いの窓」という角窓が並んでいて、そこから見る紅葉が綺麗なことである。観光客が少なく落ち着いた場所である。
 源光庵からすぐそばに、光悦寺がある。本阿弥光悦が居住地としていた屋敷跡で、光悦没後、日蓮宗光悦寺となっている。邸内にはいくつもの庵があり、それぞれが茶室を持っている。
 なかでも大虚庵茶席は光悦終焉時の茶室で、光悦垣に囲まれている。庭からは鷹峰三山(鷹ヶ峯、鷲ヶ峯、天ヶ峯)を見渡すことができる。静かでお茶会には最適地である。

 光悦寺を出て、次は茶道とはきわめて縁の深い、大徳寺に向かった。バスで行けばすぐに着く。臨済宗の京都五山より格式の高い大徳寺派総本山である。龍源院、興臨院、総見院、芳春院と塔頭をまわった。
 夕方、暗くなったので、北野天満宮の紅葉を見に行く。ライトアップで綺麗ではあるが、少し派手になりすぎたのではと思う。社殿もライトアップされていた。

光悦寺 大虚庵 光悦寺 光悦垣

秋の京都 2015年11月17日

鶴下絵三十六歌仙和歌巻(本阿弥光悦書・俵屋宗達下絵)
夏秋草図屏風(酒井抱一) 

今年の秋は天候に恵まれず、第1日、第2日と雨にたたられた。
 東京で新幹線に乗るときはまだ雨は降っていなかったが、京都に着いた時にはすっかり雨。まず駅地下街で傘を買って、京都国立博物館に行った。琳派誕生四00年記念特別展覧会「琳派 京を彩る」をやっていた。雨の日だったからかもしれないが、ずいぶん混んでいた。旅行客ではなく、地元の皆さんが多かったと思う。

 琳派というのは狩野派のように代々伝承してきたわけではなく江戸初期、中期、後期の日本画や屏風、工芸、書に優れた尾形光琳を代表とする人たちの集まりである。江戸初期の俵屋宗達、本阿弥光悦、中期の尾形光琳、尾形乾山、後期の酒井抱一、鈴木其一などである。時代順に展示されているのか、最初に展示されていたのが、本阿弥光悦である。うかつにも本阿弥光悦がどのような人かを良く知らなかった。最初にびっくりしたのは、光悦の書状である。書があまりにも美しい。そして、日本刀や工芸品、絵画などが並んでいる。光悦の名は有名だが、どのような作品があるかが分らないのはあまりにも多方面にわたるマルチアーティストだったからであろう。光悦は刀剣の鑑定、研磨を生業とする家に生まれている。また、小堀遠州との知己もあり、茶人および陶芸家でもある。漆芸や絵画、金工にも優れた作品があるが、書家としては「寛永の三筆」の一人に挙げられている。びっくりするほどの達筆なのもうなずける。印象的なのは俵屋宗達が絵を描き、光悦が歌を書いた「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」である。光悦はその多才ぶりを徳川家康から大いに評価され、鷹が峯に9万坪の土地を与えられている。そこに芸術村を築いたとされている。

 俵屋宗達と云えば「風神雷神図屏風」であまりにも有名である。尾形光琳、酒井抱一も「風神雷神図屏風」を描いている。比べて見ると、時代の流れがわかる。
 琳派という名は尾形光琳の一字を取って、そう呼ばれるようになったのだが、屏風絵、漆芸に優れており、尾形光琳の名前は日本人なら誰でも知っている。弟の尾形乾山は陶芸を野々村仁清の手ほどきを受け、優れた作品を残している。京焼は陶器に色絵付けを行ったもので、仁清、乾山の壺といえば、重文級の作品を数多く残している。
 江戸後期の代表が酒井抱一と鈴木其一である。やはり、琳派の流れを受け継ぎ、屏風絵や漆芸に代表的な作品がある。

 帰りは京都駅に行くのに、八坂神社の前を通ってきたバスは混んでいて、通過してしまう。おまけに、前が三十三間堂で長い列をなす。雨の中をバスに乗るのに随分待たされた。夜は市川君といつもの「がんこ」で食事をした。

風神雷神図屏風(俵屋宗達)
風神雷神図屏風(尾形光琳)
風神雷神図屏風(酒井抱一)