花のしたにて

毎朝、ウォーキングをしていると季節の変化に敏感になる。今年のソメイヨシノは木によって、開花の時期や花の咲き具合がバラバラになった。寒暖の差が大きくて、暖かい日に一斉に咲いた木と、少し遅く開花した木でずいぶん差があった。ウォーキングコースで毎年、最も開花が早いのが、近くの根戸小学校の南西の角に植わっている大きな木であるが、今年は3月26日に開花した。開花の目安とされる、5~6輪くらいが朝咲いていた。ところがその日が4月の下旬くらいの暖かさで、夜は暖かい雨まで降って、翌日は3歩以上の開花になり、他の木も一斉に花が咲き始めた。

 桜の時期になると、なんとなくそわそわする。どこかに花見に行かなければと思うからだ。今年は3月31日は朝から雨で、4月1日は風が強かった。雨が降ると花が色あせたりするのではないか、風が強いと花が散るのではないかと、落ち着かない。4月は入学式や会社の年度始めだったりで、花のせいだけではなく、年度代わりという生活の変化も影響するようだ。

『世の中に 絶えて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし』  在原業平

 花が咲く時期は短いが、場所を変えると、結構長い期間、花見をすることができる。去年は家のリフォームで行けなかったが、一昨年は3月の初めに河津ざくらを見に伊豆へ行った。最近は河津だけでなく、伊東あたりでも、河津ざくらを見ることができる。日本列島の南からだんだんソメイヨシノが咲き始め、桜前線は北上していく。4月になると関東あたりが満開になるが、今年は一週間ほど早く、4月1日頃に満開になった。関東の方が九州より早く咲いた。
 一昨年は、福島の磐城湯本温泉に行って、勿来の関の桜を見に行った。4月の中旬で満開の桜を見ることができた。さらに遅く4月下旬になって、手賀沼湖畔の水辺の桜が満開になっている。4月はどこかで花見をすることができる。とくに、あわてることはない。
 今年はウォーキングをしながらの花見を楽しんだ。柏の利根川沿いにある曙山公園には2回行った。風車前の広い花壇はパンジーがチューリップの芽の間に咲いていて、チューリップとは違うおもむきがあった。昼間は花見客で賑わう曙山公園も静かで、誰もいない桜の写真やビデオも撮影した。
 4月6日は風が強く、桜の花が散って、花吹雪になっていた。そろそろ桜の花も終わりになるかも知れない。7日、8日の長雨で花もすっかり散ってしまったと思う。

『花の色は うつりにけりないたつらに わか身よにふる なかめせしまに』 小野小町

 桜の花は日本の国花になっている。アジアの他の国でも咲くが、種類は日本が圧倒的に多いという。日本の春の象徴的な存在で、春を待つ気持ちと桜の開花を重ね合わせて考えるようだ。また、紅葉狩りと同じく、桜狩という言葉があり、いろんな地を訪ねて花を楽しむことを云う。桜の花はすぐに散ってしまう。散り際の潔さは日本人の美感に合うようだ。 
 「忠臣蔵」で浅野内匠頭が切腹するのも、桜の花が散る時期でなければならない。軍歌でも「「貴様と俺とは同期の桜 同じ兵学校の庭に咲く 咲いた花なら散るのは覚悟 みごと散りましょ国のため」とくる。その結果、靖国神社の桜の梢に咲く花になる。さらに、もっと過激な散り方として、戦争末期に開発された「桜花」という特攻兵器があったことだ。これは、戦闘機に魚雷のように装着したエンジンを持つミニ飛行機で、敵の軍艦に向かって搭乗員が誘導しながら攻撃するという代物である。実用化される前に終戦となった。桜の花が嫌いだという人もいる。花の命は短くて、はかないからだと云う。ずいぶんロマンティックな人だと思う。確かに、そんな気にもなることがある。

『久方の 光のとけき 春の日に しつ心なく はなの散るらん』    紀友則

 戦後の日本占領統治政策のために書かれたルース・ベネディクト著「菊と刀」で、日本人の心理構造を「精神主義」と「集団依存体質」としているが、これは、むしろ「桜」に例えた方が良かったのかもしれない。一斉に咲いて、一斉に潔く散ることを美的に感じる精神構造は日本人特有のものであろう。難しいことは別にして、桜の花は日本人にとって、昔から異常なまでに愛されている花である

さくら  曙山公園