秋篠寺と法華寺

秋篠寺 本堂 秋篠寺 庭園
法華寺 本堂 法華寺 庭園

  旅行に出かけるときは、事前に、綿密なスケジュールをたてる。その方が費用的にも時間的にも効率的な旅ができる。今回のような割引キップを使う場合は、変更がきかないので、より神経質になる。薬師寺の次は、秋篠寺へ行く予定にしていた。薬師寺からだと直接行くバスがない。近鉄西ノ京駅から大和西大寺駅まで電車で行き、西大寺駅前から秋篠寺行きのバスに乗った。
 秋篠寺は奈良時代末期に建立された、光仁天皇勅願の寺院である。創建当時は金堂、講堂、東西両塔を擁した大伽藍であったが、幾度もの兵火に罹り、何度となく再興はなされたものの、現在では本堂と他数棟を残すのみとなった。この本堂は、鎌倉時代に再建された講堂と云われているが、唯一、国宝に指定されている。本堂の中に本尊、薬師如来と脇侍、日光、月光両菩薩が収められている。
 この秋篠寺は、学生時代に一度来ただけなのだが、奈良の数多い寺院の中ではあまり目立たないこの寺をなぜ訪れたのかはよく覚えていない。多分、高校の国語の教科書に載っていた西ノ京、とくに薬師寺の東塔の水煙の写真と和辻哲郎の「古寺巡礼」か亀井勝一郎の「大和古寺風物詩」の文章に感銘して薬師寺に来て、から風呂のある法華寺まで足を伸ばし、そのついでに秋篠寺に寄ったのではあるまいかと思っている。
 そのとき、強烈な印象を残してくれたのが、伎芸天立像である。このお寺には本尊の薬師三尊像ではなく、この伎芸天像を見に来る人が圧倒的に多いと思う。学生時代に来たとき、キャビネ版程度の大きさの絵葉書を買って、アルバムに貼っておいた。ブログに入れようと思って探してみたが、アルバムが見つからない。今回、伎芸天立像を再び拝み、その時の印象がさらに深まった。写真ではやや丸顔に近く見えるが、お堂の中で下から見ると、お顔の美しさは何ともいえないほど写実的で、腰を少し横にひねった構図は極めて自然な女性の美を表している。昔の恋人に久しぶりに遭ったように、うっとりと見とれていると、なんとなく「東洋のヴィーナス」という言葉が口を衝いて出てくる。堀辰雄も「東洋のミューズ」と賞賛したと云う。
 秋篠寺の本堂もシンプルで均整のとれた、建物である。本堂を取り囲む昔の伽藍の跡には木々の間に綺麗な苔が生えていて、木漏れ日と苔の深い緑の対照が美しい。
 秋篠寺から、一旦西大寺駅まで戻り、次の法華寺に向かうバスに乗り換えた。途中、窓から広大な平城宮跡を眺めていると、まもなくして法華寺前のバス停に着いた。
 法華寺は聖武天皇の后、光明皇后が、父、藤原不比等の邸宅を、金堂、講堂、東西両塔の揃う大伽藍に改め、日本総国分尼寺とされたお寺である。天平の大伽藍も時代とともに衰退の道を歩み、現在の本堂といくつかの堂宇の姿になっている。このような事情は秋篠寺とよく似ているが、格式の高さや、知名度の点で優っている。本尊の十一面観音菩薩立像は光明皇后のお姿を写したとされ、国宝に指定されている。くっきりとした目とほのかに紅い唇の端麗な顔立ちで私たちに語りかけてくださるようだ。その衣をつまむ右手は異様に長いが、それがむしろ、女性らしい盛り上がった胸やくびれたお腹を補って、安定感のある美しさを醸し出しているのではなかろうか。この像は奈良後期から平安時代にかけて作られた榧(かや) の一木像で、わずか1メートルほどの大きさである。本尊、十一面観音菩薩立像の真像は一年のうちでもごく限られた期間しか拝見できない。私が見たのはレプリカと書いてあった。
 法華寺の中で、光明皇后の慈悲の心を伝えるもう一つの遺構としてカラ風呂がある。奈良時代にあったとされる蒸し風呂である。皇后は「我親ら(みずから)千人の垢を去らん」という誓をたてられ、人々の肌を洗われた。最後の千人目に現れたのが癩病人で、膿(うみ)を吸ってくれればこの病が治ると告げられ、皇后みずからその唇を肌につけられたが、膿を吸い終わったとたんに、たちまちその病人は如来に変わったと云う。「施浴」の伝説として伝えられている。
 法華寺はその庭園も美い。私が訪れた時期は枝垂れ桜、八重桜、つばき、レンギョウ等の多くの花が咲き乱れていたが、もう少し経つと、フジや花菖蒲、蓮などが咲き始める。
 法華寺を出て、バス停に向かったが、すぐ近くに、海龍王寺がある。この寺にも寄って行こうかと迷ったが、バスがすぐに来たので、次の機会にすることとして、奈良町へ戻った。

伎芸天立像 法華寺十一面観音 カラ風呂