家のリフォームが終了し、暑い夏が過ぎて、余裕のできたところで、久しぶりに塩原温泉に行った。10月半ばでまだ紅葉の時期には早く、道も空いていた。国道294号線をひたすらまっすぐ行って、黒羽の手前で国道400号線に折れるコースを採った。途中、茂木を過ぎて、喜連川方面から流れる荒川が、那珂川に合流する手前にある「一ツ石観光やな」に立ち寄った。
那珂川には多くの観光やながある。少し上流にある「高瀬観光やな」と下流にある「大瀬観光やな」が大きくて有名である。
「一ツ石観光やな」はそれほど大きくはないが、国道のすぐそばにあり、食事をするには便利で、見晴らしも良い。
梁で取れた天然鮎の塩焼き3本がつく鮎定食が1200円で昼食には手頃である。梁の風景を見ながら心地よい川風をうけて産卵前の香ばしい鮎をいただいた。
鮎は釣りで獲るのが最もポピュラーだが、投網で獲ったり、長良川で有名な鵜飼いや、梁漁で獲るのも伝統的な方法である。いずれの漁法も鮎を資源として保護するために禁漁期間が設けてある。梁漁も6、7月から10、11月までである。「やな」というのは「簗」とか「梁」と書くが、川に竹や丸太、石かご、砂利袋などを用いて、水流をさえぎるように張って、中央に簀棚(すだな)を設け、泳いでくる鮎などを捕獲する仕掛けである。6月頃に設置して11月には撤去する。
鮎は縄張りを持っていてその中の川底にある石などに付着する藻類を食べて生きる。10~11月に川底に産卵し親は死ぬが、孵化した稚魚は海に下り、プランクトンを食べて越冬する。翌春3~5月に、生まれた川に上る習性を持っている。大きな梁を毎年作り直すのは、この鮎の習性を利用して保護するためである。
梁が川幅全面に張られても、鮎が一網打尽で捕獲されないのは、縄張りを持つという習性があるからだ。梁の近くには、梁を張るための大きな石がたくさんころがっている。その石に藻類が付着し、鮎にとっては棲みやすく卵を産むにも絶好の場所となる。梁の近くに釣り人が多いのも、そのためである。鮎にとっては棲みやすいが危険な場所でもあるのだ。
この梁漁というのは歴史が古く、弥生時代にはすでにあったという。万葉集の中でも3首の歌が詠まれている。
◇「安太人(あだひと)の 梁(やな)打ち渡す 瀬を速み 心は思(も)へど 直に逢はぬかも」 (巻11-2699 詠み人不詳)
(訳)阿田の川人(カワト)が梁を打ち渡す瀬は流れが速く渡れないように 、渡れない逢瀬に心思うばかりで、じかに逢うことのできないもどかしさよ
◇「この夕(ゆふへ) 柘(つみ)の小枝(さえだ)の 流れ来ば 梁(やな)は打たずて 取らずかもあらむ」 (巻3-386)
(訳)この夕べに、もし仙女の柘の枝が、流れてきたら、梁は仕掛けていないので、取らずじまいになるのではなかろうか
◇「いにしへに 梁打つ人の なかりせば ここにもあらまし 柘の枝はも」 (巻3-387)
(訳)むかし、梁を仕掛けて柘の枝を取った味稲(うましね:補筆参照)のような人がいなかったら、今も此処にあるはずの柘の枝よ・・・自分もその柘の枝の仙女に、逢えただろうに・・・
二番目と三番目の歌は若宮年魚麻呂(わかみやのあゆまろ)が宴席で詠んだ歌で柘枝(つみのえ)伝説について歌ったものである。
万葉集に歌われている梁はいずれも奈良の吉野川に張られた梁である。また、柘の小枝ではないが、梁は川に流れる木の枝やゴミなども堰きとめることができるので、川を清浄化するのにも役立っている。
毎年、梁をつくりなおすときは、漁業関係者や釣り人など多くの人が協力して行われる。このようにして、古人(いにしえびと)の知恵を受け継ぎながら川の営みを見つめ続ける梁のそばで、この伝統的な漁法で獲れた鮎の塩焼きをいただくのもまた風流かつ楽しいものである。車で来なければ、お酒も楽しめるのだが。
「一ツ石観光やな」のビデオを撮影したあとは、国道294号線で、途中、「高瀬観光やな」を通り過ぎ、那須塩原温泉へ向かった。温泉の宿は空いていて、のんびりとした夜を過ごした。
(補筆)◇柘枝(つみのえ)伝説
昔、吉野に美稲(うましね)という男がおり、吉野川に梁を打って鮎を獲って世を渡っていた。ある日、上流から柘(つみ)の枝が流れてきて梁にかかったので、取って持ち帰って家に置いたところ、美麗な仙女に変わった。ついに夫婦の語らいをし、老いず死なずに共に暮らした。
その後、女は羽衣を着て仙界に帰り、美稲もまた、共に仙界へ去ったと言う。この伝説は「かぐやひめ」の原型の一つとも言われている>


