根戸エンジョイクラブ

太極拳の練習風景  奥日光ハイキング

 根戸エンジョイクラブは根戸小学校の体育館と校庭を利用して、我孫子市つくし野を中心とした地域住民が集まり、太極拳を共通活動として、ペタンクやショートテニス、バドミントンなどの自由参画のスポーツを行っています。
設立後3年になりますが、参加者の数は常に80名程度を維持しています。

 今回、根戸エンジョイクラブは文部科学省が推進している総合型地域スポーツクラブとして認定され、千葉県体育協会より活動助成金の支援を得ることになりました。
総合型地域スポーツクラブは市民が身近な施設で気軽にスポーツを楽しみ、健康づくりや地域交流をはかる場として我孫子市でも育成を進めています。

 ペテンクやショートテニスはすでに市の大会への参加や他のクラブとの交流活動を行っておりますが、クラブ内での競技会やハイキングなどを通して会員間の親睦も盛んに行っています。

 以上、今後根戸エンジョイクラブの話が出るときの参考としてクラブの概要を記述しました。

 根戸エンジョイクラブの紹介をしましたが、私自身も積極的に参画しています。クラブの役員も仰せつかっているので役員の皆さんとのお付き合いも楽しいし、ペタンク担当でもあることからペタンク仲間も出来ています。会社で仕事をやっているときは会社の仲間がいましたが、今はこのような近隣での仲間がいてくれることが重要だと思っています。
 これからは飲み会なんかもやって付き合いを深くしていきたいと思います。

佐賀北高の優勝、その後

 今年の夏の高校野球は8月22日に決勝戦が行われたが、前に書いた記事のように私の母校の佐賀北高校が優勝、それも満塁ホームランによる大逆転の優勝で終った。

 佐賀北高校は私が高校一年生のときに出来た佐賀高校の北校舎がルーツとなっている。その当時、佐賀高校は一学年1000名、男女共学だが1組から10組j迄が女子、11組から20組迄が男子で一年生は全員北校舎、二年生は全員西校舎、三年生は男子が西校舎、女子が北校舎となっていた。
 北校舎は田んぼにかこまれていて、西校舎との距離は歩いて30分程かかり、クラブ活動などでの校舎間の移動は随分不便な思いをしていた。二つの校舎は私たちが卒業して二年後に佐賀西高校と佐賀北高校の別高校になっている。

 今回の佐賀北高校の優勝は佐賀勢としては13年前、1994年の県立佐賀商業高校の優勝に継ぐものであった。佐賀勢の優勝は高校野球の歴史上でもこの2回しかない。
 佐賀商業のときはIBMに現役として勤めていたが、近くにいる3人でお祝いの飲み会をやった。先輩のOさんと高校時代同期で三年生のときは同じ18組にいたW君と私の3人である。

 今回はW君と二人で祝賀会を優勝の翌日にやった。やろうよと言い出したのは私であるが、決勝戦の前の日で相手が広陵高校だし負けても準優勝だからと言って一緒に飲むこととなっていた。
 場所は船橋で、まさかの優勝のあと、しかも劇的な試合で二人ですっかり盛り上がった。
 W君は佐賀予選のときから佐賀新聞をネットで読んでて、私よりはるかに詳しい。佐賀北高校が佐賀予選で最も強敵としていたのが佐賀西高校であったと言う。

 後日、私も佐賀新聞の記事をたくさんネットからダウンロードしてPCに保管した。
 いろんな飲み会でも佐賀北高校の優勝の話になると、公立高校が優勝するのもすばらしいことだし、話題となっている特待生の問題を跳ね除けるような清々しい優勝だったと祝っていただいた。

母校の高校野球優勝

 昨年は早実の優勝でいつもより熱心に夏の高校野球を見たが、今年はさらに気合を入れてテレビに向かった。母校の佐賀北高校が開幕戦から出場したからである。13年前の佐賀商業のときと同じ展開となった。 結果ではあるが思いもよらず、あれよあれよと勝ち進みついに夏の高校野球で優勝を勝ち取った。

 まず第一回戦は8月8日の開幕試合で福井商業との対戦、2-0で初めての甲子園勝利。初めて甲子園で校歌を歌ったこと、これが出場時の目標であったと監督さんが言っていた。安打数では伝統校の福井商が上だが佐賀北の馬場から久保へのリレーと守備の良さで勝った。副島の今大会1号となる本塁打で決まった。

 次の試合の相手は14日に三重県の宇治山田高校。4対4で勝負決まらず、15回まで延長で再試合となった。去年の決勝戦、早実対駒大苫小牧戦を思い出させる試合となった。再試合は翌々日の第一試合となった。馬場、久保のリレーは強い。打撃も好調で9-1の勝利。

 3回戦は群馬の前橋商業で2回に相手の2点本塁打からスタートとなったが、すぐに馬場のランニングホームランで同点に追いつく。そのあとは佐賀北のペースで5-2の勝利となった。佐賀北にとっては初めてのナイターであった。

 準々決勝は東東京代表、優勝候補の帝京高校である。得点こそ一度も相手にリードを与えなかったが、横綱帝京の攻撃に何度も佐賀北の好プレーで得点を許さない守備の堅さがすばらしい試合にしてくれた。まさに死力戦と言っても良い好試合であった。お互いにスクイズの出し合いで息をもつかせないような試合であった。3-3で延長戦に入り、幕切れは13回裏にあっさりと3連打で佐賀北の勝利となった。宇治山田戦で15回を戦った経験が、あと少しという気力の弛みで2アウトからの3連打を許してしまった帝京を破った。 百崎監督は甲子園で開幕試合、15回戦再試合、ナイターと初めての経験ばかり、あとやっていないのはサヨナラ勝利くらいだと言っていたそうだ。それがこの試合のまさかの勝利で実現した。

 準決勝は昨日試合をしている長崎日大との試合である。体力の点では一日休みを貰っている佐賀北の方が有利である。隣県同士の対決は佐賀北の試合運びのうまさで3-0の勝利。すべてが3塁まで走者を送った後の得点であった。最初の1点は2回裏でのスクイズ、こんな早い回でのスクイズは相手も警戒はしていない。2点目は相手投手のワイルドピッチでの得点。3点目は代打で四球、代走で盗塁、送りバントのあとで浅いレフトフライだったが巧い走塁で得点した。ほとんどヒットなしでの得点で勝利だった。 長崎日大の監督は完敗だと言ったそうだが、まさに佐賀北ペースの試合であった。

 決勝戦は8月22日に行われた。テレビの前でじっと待機した。まあ、ここまでくればいいや、選抜優勝の常葉菊川に勝って決勝戦に進出した広島の広陵高校が相手ではとても勝てそうにないし、準優勝でもたいしたものだ。 広陵高校といえば「佐賀のかばいばあちゃん」の主人公が城南中学を卒業して、かあちゃんのいる広島に帰り、推薦入学した高校である。伝統校で決勝戦は2回戦ったが一度も優勝はしていない。 佐賀北は馬場、広陵はこれまでずっと勝ちあがってきた野村が投げた。一回は広陵も佐賀北もほぼ対等だったが、二回に馬場が広島打線につかまり、2点を先取されて久保にスイッチした。こんなに早く交代するのは初めてだ。 久保は2点で押さえ、そのあと点は許さないものの毎回出塁させる。広陵の野村は二回からはきっちりと押さえ、佐賀北のつけいるスキを全く与えない。その状態で七回まできて、久保が今大会初の失点を許す。2本のヒットと死球で2点を与えてしまった。ここでもう勝負は決まったと思った。佐賀北のヒットは1本のみで、野村のコントロールも良く四死球も与えない。相手は毎回出塁で二桁安打と一方的である。 佐賀北に好機がようやく巡ってきたのは八回裏である。1アウトのあと打順はピッチャーの久保に廻ってきた。久保はそれまで空振りしていた野村のスローボールにバットを合わせて甲子園初のヒットを打ち一塁に立った。次は守備で活躍していた馬場崎に代わり新川が打席に立った。新川は皆が打てなかった野村のスライダーをきっちりとヒットとし、代走の松尾に代わった。百崎監督の新川なら野村のスライダーを打てるだろうという読みが当たった。次の辻は四球を選び満塁となった。アウトカウントは1。打席は井手の番である。井手はストライクゾーンギリギリの球に手を出さず四球で押し出しの1点を取った。この球は判定が難しく、後で広陵の中井監督が審判にクレイムをつけ、問題になった球である。そして劇的な逆転満塁ホームランのシーンがやってきた。押し出しの1点がなければ、逆転にはなっていない。 三番バッター副島が打席に立った。甲子園ではすでに2本の本塁打を打っているが、広陵、野村に前2打席を三振で討ち取られている。一球目はファール、二球目は死球すれすれの近めのボール。そして、三球目は真ん中に入るスライダーを副島は見逃さなかった。決して大振りではなく、ジャストミートを心がけたと後で言っていたが、バットの芯が球を捉えた。レフト中段に入るまさに劇的、テレビを見ながら目と耳を疑った。一瞬、何が起こったのかよくわからないような状態になった。このような状態を息を呑むとか、頭が真っ白になったと言うのだろう。       大歓声の中を副島が走る。そして、先にホームベースに入った打者三人が迎える。ダッグアウトの前でも全選手が迎えた。野村はまだ信じられない顔であったが、いつものペースにもどり、そのあとヒットは許したものの追加点はなし。     九回表、広陵の攻撃で、ノーアウトでヒットが出る。広陵の力であればここで、同点あるいは逆転の可能性がある。息を殺して見ていたが、次の打者が一塁前に送りバント。一塁手が前に出て、打者にタッチしている間に、一塁走者が二塁を走り抜け三塁に向かった。一塁手ははっとそれに気づき、三塁へ好球を投げ、三塁手副島がタッチしてアウトとなった。これで広島の攻撃は2アウト走者なしとなった。最後は野村が打席に立ち、渾身の力で投げる久保のスライダーを三振してゲーム終了となった。随分長く感じた試合であった。

試合の余韻を味わいながら、閉会式が終るまで、テレビを見ていた。

 佐賀北逆転満塁本塁打   感激の全国制覇  

門と塀のリフォーム

 5月に家のリフォームを完了したが、そのうちにと言っていた門と塀のリフォームに取りかかった。
 お願いしたのはいつも駐車場まわりや門の工事をやってくれた殖栄商事である。これまで丁寧な工事で会社も近い。
 見積もりからやってもらったが、なかなか良いアイデアがなく、これまでの竹垣を止めてブロック塀調の塀と堅牢で立派に見えるアルミのアコーデオン式の門にした。塀も門もアルミは家のサッシと同じ色のシャイングレーにし、ブロックの色は玄関ポーチのタイルに似た色にした。結果としては統一感が取れていて洒落た感じになった。
 塀と家の外壁の間は砂利を敷き詰めて人が歩くと音がして、雨のあとも綺麗になった。防草布を下に敷いたのでこれからは除草剤をまいたり草むしりをする必要はない。
 女房がべたっとして格好悪いと言っていたが、ほんの少し慣れると家と塀の間が広々としていて気持ちが良い。
 これから樹木やプランターなどは置かないことにする。両隣の旦那たちも随分広いと感心していた。たしかに両隣より家が引っ込んでいて、塀との間が広い。
 門も頑丈そうで立派に見える。塀のアルミ部分は隙間を狭くして、外からガスの配管や器具が見えないようにした。これで家も新築同様になった。

 リフォーム祝いに女房のフラ友達からグズマニアを貰った。今は玄関のたたきに置いてあるが、秋から冬は私の書斎に入れたいと思っている。

八ヶ岳の別荘

 8月6日に八ヶ岳の麓にある従姉妹のTさんの別荘へお邪魔した。
いつもは女房が一緒に乗っているのだが、一人で長距離をドライブするのは珍しいことだ。出来たばかりの圏央道を通った。鶴ヶ島JCTから八王子JCTの間は時間的にはそう長くはないが、距離からすると随分遠い。
 途中、談合坂SAに寄ろうとしたが、案内板で見ると満車となっていて次のPAで一休みした。丁度サラリーマンの夏休みが始まったばかりのようだ。長坂インターで降りて、カーナビに振り回されながら小海線の甲斐小泉駅近くの陶染坊というそば屋さんに向かった。そこでTさんが水彩画の個展を開いておられるという。昼食のそばを食べようと立ち寄ったところで、丁度Tさんがやって来た。

 一番の目的である個展を見て自分の書斎に飾る絵をえらんだ。Tさんはもともと東饗のビオラ奏者であるが、絵画の才もあってそれでも稼いでおられる。随分器用なお方だと思う。
 別荘に行く途中、日帰り温泉施設に寄り、一風呂浴びて、そのあと時間があったので富士見高原ゆりの里に連れて行ってもらった。ここまで来ると下界を忘れるくらいに涼しい。リフトに乗って終点まで行くとたくさんのゆりが咲いていた。観光客もまばらでのんびりしたひと時を過ごした。

 別荘へは3時頃着いた。この別荘は築20年以上だと思うがそんなに古さは感じない。高い場所にある所為か寒いくらいだ。Tさんのオーディオを聴きながら、音楽談義に花が咲いた。夜はテラスでバーベキューをご馳走になったが、本当に寒いくらいで上着を借りて食べた。

 翌日は朝、別荘村を散策したが人一人見かけなかった。一時間ほど歩いたがとても心地よかった。下界は猛烈に暑いがこの高さだと汗もかかない。「めかけと別荘は持つものではない」というが、温暖化が厳しくなると別荘のありがたさがわかるかも知れない。

 朝食を済ませて、Tさん夫婦と3人で近くの飯盛山にリフトで登った。ここもお花畑がきれいである。頂上でTさんがスケッチを描くのを待って下山し、野辺山電波天文台のそばで昼食をとった。天気も良く日が照っていても風が心地よい。まさに天国のようだ。

 帰りは行きと同じ道を帰ったが、下界に着いたら猛烈に暑い。SAは人であふれるほど混んでいた。まさに夏休みの始まりだと思い知らされた。柏まで戻った頃夕方になったので夕食を食べに柏の葉キャンパスに寄ったらそこはがら空きだった。なんでこんなに空いてるのかとレストランの人に聞いたら、夏休みでみんな観光地に行ったのでしょうと言われた。

オーディオ

 今月半ばに我孫子オーディオファンクラブ(AAFC)に入会した。たまたま大学の同窓会でクラシック音楽をよく聴いていると言ったら、さっそくこの会を薦められてなんとなく入会した。すばらしいオーディオ装置とはいかなる音がするのか聴いてみたいというのも入会の動機である。

 音楽は中学生くらいの頃から聴くのが大好きでクラシックを中心によく聴いている。LPレコードも結構持ってはいるが、最近はあまり聴かない。やはり一々レコード盤をひっくり返すのが面倒で、全く同じ演奏のCDも持ってたりする。    CDはたくさんあるが、AVアンプやユニバーサルプレーヤーを去年買い換えたのを切っ掛けに全集物を随分たくさん買い集めている。去年はモーツァルトイヤーでモーツァルトは勿論だが古典派やバロック音楽を中心に買った。CDのほとんどはHMVのネットで買っている。最近はCDが随分安くなったので気楽に買える。

 リビングには5.1チャネルのオーディオシステムがあるが、家のリフォームをやったのを機に息子が独立してくれたので、彼の部屋を私の書斎兼リスニングルームにした。
 窓をペアガラスにしたのでさらに音の響が良くなるように床はフローリングにした。なんとかライブな音がよく出るように家具のレイアウトなども工夫した。
最近は小さな装置が流行っているようで、オーディオ機器は安価なCDプーヤー付きレシーバーにした。但し、音質的に少しでも良いものをと思ってオンキョーのCR-D1をチューニングした吉田苑モデルのCR-D1SE-XO3を買った。スピーカーはトールボーイタイプのモニターオーディオBR5にした。リビングルームのシステムの5分の1程度の値段だ。ちなみにリビングルームのシステムは5.1チャネルで2チャネルステレオに比べると奥行きのある音になり、むしろあまり響かない部屋、いわゆるデッドな部屋の方が合っている。5.1チャネルと言うと映画のサラウンドを連想するが、私の場合は音楽を聴くことを主体にしている。機器やオーディオボードはそれなりにコストをかけている。

 今回、書斎にオーディオ機器を置いて、いまさら気がついたのはセッティングの難しさだ。2本のスピーカーの向きを変えたり、床との共鳴をいかに少なくして良い音を引き出すか、壁との距離はどうかなど、いろいろ試してみた。
 このときオーディオチェック用CDとして随分役に立ったのが「有山麻衣子 幻のコンサート」とバッハの「無伴奏チェロ組曲」である。前者は宇野功芳氏が企画、指揮し有山麻衣子さんが歌った童謡を中心とした歌曲集であるが、彼女はヴィブラートを使わない天使のような澄み切った声で歌っている。勿論、いわゆる童謡歌手の歌い方でもない。このCDを聴くと音の定位やスピーカーコードの良し悪し、さらにインシュレーターの効果などが明確にわかる。
 もう一つのCDはフルニエが演奏する「無伴奏チェロ組曲」で、低音の響がすばらしい。このCDは低音の調整に用い、スピーカーの設置位置を決めるのに大いに役立った。

 AAFCに入って大型のシステムやいろんなレパートリーの音楽を聴かせていただいているが、なんと言ってもCDのコンテントそのものとリスニングする部屋でほぼ決まってしまう。オーディオシステムの良し悪しはその次くらいになると思っている。(追記)もっとも良かったのは別記事で紹介している我孫子けやきプラザで聴いたオーディオだったと思う。昔のレコードコンサートを思い出す。AAFCに入会してオペラなども聴くようになった。去年のザルツブルグ音楽祭での「フィガロの結婚」はアンナ・ネトレプコを中心とした歌手陣がすばらしい。J.シュトラウスの「こうもり」はカルロス・クライバーの指揮とウィーン・フィルの演奏のうまさが抜群だ。

やっとリフォーム完了

リフォーム前リフォーム後

 すでに6月の半ばになるが、一昨日リフォーム費用を支払ったので、工事は完了となった。忘れないうちにリフォームの模様を書き記しておく。

 最初のとっかかりは前の記事で書いたが、そのあとが大変だった。

 外壁や屋根の葺き替えの準備で家の外は青いビニールで囲われていたが、その状態で、一階の和室の床工事が始まった。同時に屋根板を既存の屋根板の上に貼った。
 和室は畳を疂屋さんに預けて、板の間になった。和室にあった家具類は二階の東南洋室に移した。そしてリビングに置いてあったリビングボードや食卓、テレビ、電子レンジなどが板張りの和室に移りそこでの生活が始まった。

 次にリビングルームの床工事、玄関ホールの床工事、一階二階ともに壁の補強工事と木工事が続いた。カーペットは細かく切られて、ほこりと泥の着いた状態になってしまった。リビングは工事材料置き場に変わっていた。

 大工さんは壁と屋根裏のの断熱材補充もやっていった。この間に屋根屋さんと板金屋さんが屋根瓦や屋根周りの工事をやっていった。

 期間の中程でそれまではなんとか料理ができるようになっていたが、いよいよ台所の工事が始まった。台所の床、壁、天井、水道管の交換などもやってもらった。水道管の鉄管が錆びていて、水道水の中に赤錆が出ていたのでこの際、水周りは全部交換ということになった。これからは料理は出来ず、外食とコンビニの弁当、サンドゥイッチ、スーパーの惣菜が続いた。女房は家事をする必要が無くのんびりとしていた。

 結局、ほとんどの期間は一階の和室がリビングになり、二階の和室が寝室になった。

 最後は内装のペンキ塗り、壁紙貼り、絨毯貼りと家具を移したままの状態で終わりに近づいた。屋根回りはとっくに終っていたが、サッシの交換が大仕事のようだった。それが終って、外壁の工事、コーキングと続いた。

 玄関のタイル補修や勝手口のセメント張りは最後で、この頃にやっとリビングが使えるようになった。照明もすっかり替えていたのでずいぶん明るい部屋に様変わりした。外回りの電気工事やエアコンの再設置などもようやく終った。

 最後にサッシの調整で締りの悪いところを直してもらって最後となった。

 全部完了したのは5月24日であったが、その後は、自前の作業が続いた。家具の再配置や収納。カーペットやカーテンの取替えなどが続いて忙しい毎日が続いた。

我孫子市ペタンク大会

   5月12日(土)に春の我孫子市ペタンク大会が開かれた。昨日の雨で、会場となっている市営ゲートボール場のグラウンドはまだ土が柔らかい。雨のおかげで前もってクラブ代表が集まってやった草むしりのデコボコが均されて大会にはベストのコンディションとなった。雨のあとというのはグラウンドの状態が徐々に変化していくのが面白い。最初は土が柔らかいが、試合が進むにしたがって硬くなってボールがよく転がるようになる。しっかりとその状態をつかんで投げなければならない。チームメンバーの連携プレイが重要となる。

 今回からペタンククラブ代表者からなる我孫子市ペタンククラブ連絡会が前面に出て大会を運営することになった。私も根戸エンジョイクラブの代表者で連絡会の副会長に任命されている。
 開会式で星野我孫子市長も挨拶され、始球式もやってもらった。

 試合は3人1チームで28チームが参加した。根戸エンジョイクラブからは3チームが参加している。
 今回から、3試合をやって3戦全勝のチームがプレイオフで代表者が一球投げ、もっともビュット(的)に近いチームが優勝となる。次に近いチームが2位というように順位を決定することとなった。

 根戸エンジョイクラブから3戦全勝のチームが2チーム、もう一つのチームも2勝1敗だからトータル9ゲームで8勝1敗と抜群の成績を残した。プレイオフに4チームが残ったが2チームは我々のチームである。結局、優勝と4位となった。これまでの大会でも何度も入賞はしていたが優勝は初めてである。
 1敗したチームは私のチームだが、表彰式で私が私を表彰することがなくて、ある意味ではよかったか。

 ペタンクはやるのも簡単だし、やればやるだけ面白くなるゲームである。ゴルフが自己満足のゲームなのに比べると、ペタンクはチームプレイとしての面白さもあり、勝ったときの満足感や達成感も大きい。また、テクニックとしても奥の深いスポーツである。そのわりにはルールも単純で誰でも手軽に遊べるゲームだ。下の写真「ペタンクの妙技」をクリックしてみて、そのテクニックを見ていただきたい。
 冬季オリンピックであれだけカーリングが有名になったのだから、ペタンクも世界選手権大会みたいなものがあって、日本チームが活躍するようになればと願っている。

我孫子市ペタンク大会のホームページのURLは以下である。 http://www.ne.jp/asahi/abcpetanque/petanque-city-abiko/index.html

屋根のリフォーム

 20日まで軒下の強化などをやっていたが、今日は本格的に屋根のリフォームが始まった。
 まず古いスレートを剥がして、もとあった屋根板の上にもう一枚の板を貼り付ける作業をやっていた。
 エアコンやアンテナの取り外しなどの電気工事もいっぺんにやった。

 夕方買い物に行った帰りに真っ黒い雲が出てきて、雨が降り出した。屋根は大丈夫かしらと思ったが、ちゃんとビニールが被せてあった。

 

リフォームの開始

  今日からリフォームが始まった。今日は足場組とベランダの屋根と床の取り外しで終わった。トータル4人の職人さんが入った。これから約2ヶ月間は不自由な生活が続く。
 今回のリフォームでは屋根、外壁、サッシの入れ替え、ガラスの二重化、耐震用構造材の貼り付け、断熱材の補充、床の張替え等、ほとんどすべてが新しくなる。ただし、一般的なリフォームで言われるシステムキッチンやリビングルームの拡張は考えていない。重視したのは安心して、居心地良く、長く住める家というコンセプトである。

 リフォームに入る前に見積もり依頼をしたのは、以前屋根の塗装をやってもらった会社のフォローをしている建築会社とホームセンターのリフォーム部門、それに大学の先輩に紹介してもらった取手の工務店であったが、コスト面と誠実さの面で取手の工務店、コウキ建設にお願いした。