エッセイを楽しむ

 一昨日、2007年10月に書いたブログにコメントが来ました。全く知らない方からです。我孫子稲門会の中にも高峰秀子さんのエッセイをもう一度読んでみたい方もいらっしゃると思い、再度掲載しました。鶴

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 「お悔やみに行くのよ、つらいわ」。そう言ってお隣の奥さんが坂をおりて行った。その喪服のうしろ姿を見て「黒っていいな」と思った。  喪服の女が美しく見えるのは定評があるけれど、しかし、潤んだ心と伏せたまぶたがあってこそ、はじめて黒の喪服がものを言うので、黒は気持ちで着る色だと、つくづく思う。

 白も黒も、のっぴきならない色である。白は気高く潔癖で、黒は内にひかえて沈む色。西洋では粋な色とされている黒も、日本では政治の黒幕、腹黒いやつ、相撲の黒星、犯人は黒か白かなどと、ろくな形容には使われないし、せんじつめれば抹香臭く、しょせん黒は凶に通じる色である。

 着こなし上手といわれる人にも、黒はなかなかの難物である。若い人には似合わないし、乱暴に着ればやぼになる。人生の雨風をくぐった年輪を、黒一色で生かすか殺すかは、その人のセンス一つである。つまり、黒は一癖も二癖もある人の着る色といってしまえば、黒が似合うというのは、あまり自慢にもならないことかもしれない。いずれにしても、黒を着るのはちょっと「かくご」のいることである。

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 上記文章を読んで、どこかで読んだと思われた方もいるかもしれない。この文章は昭和34年9月8日づけ『朝日新聞』の「きのうきょう」というコラムに掲載された、高峰秀子さんが書かれたエッセイである。  この文章が一躍有名になったのは、昭和35年、東京大学の国語の入学試験問題に出されたからである。有名になったと言っても、その後に、国語の受験勉強をしていた受験生の間だけかもしれないが。ほぼ私と同年代以降の人たちである。その当時、私はこの文章はなかなか親しみやすく、「味」のある「粋」な文章だと思った。

 高峰秀子さんと言えば、「二十四の瞳」や「喜びも悲しみも幾年月」など多くの映画に出演され、だれでも知っている大女優である。どちらかと言えば文章とか学問とは無縁の人である。同じ『朝日新聞』でも「天声人語」からは多くの文章が試験問題に引用されている。  この高峰秀子さんの文章も東大の先生が選んだくらいだから、良い文章にちがいないと思う。

 この文章に「味」があって「粋」が感じられるのは何故だろう。多分、文の構成と文体の歯切れの良さから来ているものと思われる。高峰秀子さんの人そのものから自然に湧き出た感性が文章に表れているのかもしれない。  この文章は3文節に分かれているが、第一文節は筆者が思ったそのままの感情を書いている。高峰秀子さんの静かで美しい喪服姿が連想される。第二文節では黒という色を彼女が普段着のままのときのベランメー調でコテンパンにやっつけている。第三文節では冷静に黒を着ることの難しさを、女優としての彼女の経験から、彼女自身の意見として述べている。
エッセイのような文章を書くのをそんなに難しく考えることはない。ここに挙げた高峰秀子さんの文章のように、すなおに感じたことを書き、一般的にはこう言われているが、なぜそうなんだろうと考え、そして自分の意見を述べればよい。パソコンを使えば、いきあたりばったりで書いても、つじつまを合わせるのは簡単だ。その文章の変化していく過程を見るのが実に楽しい。  ブログの記事を書くために、文章の書き方を勉強している中で、たまたま見つけた懐かしい文章を読んで、「文章の書き方とはこんなものか」と、思ったことをそのまま書いてみた。

日展2015

 

毎年のことだが、日展は必ず見ることにしている。今年のように、モーターショーや秋の旅行、その他の行事と重なるので、忙しいのだが、日展の開催期間が長く、その分、予定を組むのが楽である。今年は国立新美術館のすぐ側で会社時代の仲間と飲むことになっていて、6時直前まで中で休んでいた。

出展される作品もすこしずつ変わってきてはいるが、だんだん日本画を見る人が少なくなっているような気がする。洋画は写実主義的になっているが、日本画はむしろ抽象的な傾向になっている。絵画による写実は腕とともに大変な労力を必要とするかも知れないが、カメラでは表現できない質感や細かな立体感を出すことができる。私が絵を写真に撮ることでその質感をいくらかは損なうかもしれないが、それでも実体を写真で撮るよりも、なお、それらが残っている。
工芸や彫刻の分野でも、会場の光線や陰影が少なく、より実物に忠実な写真が撮れた。
2015年11月13日

日展作品に菊川大夫の絵画がありますが、「大夫道中」の動画もご覧ください。

東京モーターショー2015


 東京モーターショウは一年おきに開催される。毎回見に行くのだが、少しずつ車の変化を感じることができる。前回はエコカーが主なテーマで、ハイブリドカーを中心としていかに燃費性能を向上させ環境に優しい車社会にするかを競っていた。その一部として電動カーも登場していた。
 今回、その中心テーマは電気自動車や燃料電池車になっていた。もう一つのテーマとしては自動運転車だ。完全な無人運転車は無理としても、運転アシスト装置が登場、追突防止や居眠り運転防止をPRしていた。今や、自動車はメカ中心ではなく、センサーを中心とした電子部品や燃料電池、コンピュータも含めた電機製品になりつつある。近い将来は動くロボットになっていきそうだ。今でもカーナビが不可欠になりつつある。
 私の車は買って10年になるが、次に買う時は80才を過ぎても運転できる車になっているかもしれない。それまでなんとか今の車をもたしたいものである。
 2016年にラスベガスで開かれるCES(Consumer Electronics Show)では自動車が出展されるらしい。日本のCEATECにも電気自動車や運転ロボットが出展されるかもしれない。
                     2016年11月5日          
            

川治温泉、秋のドライブ

龍王峡虹見の滝 龍王峡 

龍王峡 龍王峡

 久しぶりに女房と一緒に日光に出かける。車も長距離ドライブはずっとしていない。初めてだが外環を通った。意外と時間はかかる。宿は川治温泉の「柏屋」にとってある。
 最初の目的地は竜王狭。すぐ近くの虹見の滝を見て、帰りに昔イヤリングをしてキラキラ飾っていた小父さんの店で鮎を食べた。あの小父さん、あんなに元気だったのが、歯が全部抜けて、90才くらいに見える。よぼよぼしている。歯が抜けるとああなるのかと思う。
 食事後、まっすぐ宿に入った。何度か泊まったことはあるが、ずいぶん綺麗になっていた。中禅寺温泉の「四季亭」や鬼怒川の「松屋」に勝る貫録である。従業員の女性も皆若い。女性が活躍する時代になったことが良く分る。若い女の子が和服を着ると初々しく見えて気持ちが良い。
 部屋に入ってすぐに、五十里湖あたりまで車で写真を撮りに行った。10月末でも、赤、黄、緑と紅葉が美しい。
 部屋の窓からも紅葉が見える。食事も美味しく適度な量だ。
 翌日は大笹牧場に寄って、霧降高原道路を通る。今は無料だ。日光から宇都宮へ。宇都宮の餃子を食べてカーナビの指示通り運転したら、いつも通る国道294号に入った。要は高速を通っても同じ時間かかるということである。294号線は鬼怒川の氾濫で水を被ったらしい。その痕跡がまだ残っていた。
          旅行日:2015年10月29~30日
部屋の前の紅葉 五十理湖の前の山の景色

五十里ダム 五十里ダムの下流

五十里湖付近 部屋の前の風景

旅館の庭から 大笹牧場

2015年 千葉県稲門祭

 千葉県稲門祭は毎年この時期に開催される。今年は11月28日(土)になった。
 第一部は午後2時よりNHKの歴史番組などで有名な松平定知氏による講演、「リーダーとは何か ~信長+秀吉+家康~」で始まった。戦国の世を終結させた3人の天下取りを現代風にアレンジしてわかりやすく対比し、結果として何故徳川の世が続いたのかがよく理解できた。お馴染の話題ではあるが、松平氏独特の発想の豊かさや話し方の巧さで新鮮に捉えることができた。
 第二部で鎌田早稲田大学総長をはじめとしたスピーチがあり、一旦休憩に入った。私は写真撮影の係だったので、講演中も忙しく、集中して聞くことができず残念だ。
 第三部は懇親会で広い会場で500名以上の参加者がテーブルを囲んでの食事会となった。私達、写真班は、ゆっくりと食事をする暇もなく、校友会毎のテーブルを撮影して廻った。それと同時に、BGMのために駆け付けてくれた「早稲田大学ニューオルリンズジャズクラブ」の皆さんのビデオ撮影を行った。伝統あるクラブのジャズ演奏である、静かに聞きたいと思う。
 最後は応援部のリードで「都の西北」を歌って、閉会となった。    

他の動画を見たい方のために、YouTubeに限定公開で投稿しています。クリックして下さい。
応援部のチアリーディング
早稲田大学校歌「都の西北」

秋の京都 2015年11月20日

泉涌寺 大門 泉涌寺 仏殿と舎利殿泉涌寺 庭園 御座所

 秋の京都、最後の日で、京都駅にすぐ近い場所にしたい。バスではなく、電車となると東福寺の紅葉が良いのだが、何しろえらく混んでいる。これまで何となく遠いと思っていた泉涌寺(せんにゅうじ)に行くことにした。紅葉が綺麗だとかは聞いたことがない。ただ、天皇家の菩提寺だとは知っていた。皇室とお寺はイメージ的に結びつかない。皇室は神道の大元締めみたいで神社ならピッタリである。鎌倉初期に、創建されて、時の四条天皇が葬られ、その後、遡って天智天皇以降の歴代天皇がここを菩提所として祀られている。
 宗派は戒律の復興を旨とし、天台・真言・禅・浄土の四宗兼学の寺として隆盛したしたらしい。菊の紋章を掲げ、広く「御寺(みてら)」と称されている。

 東福寺駅から東福寺に行くのとは反対方向に行って、東福寺の裏楊貴妃観音手にまわる。通りは静かで、思ったより近い、人混みもない。大門を入ると正面に仏殿が見える。左手に行くと楊貴妃観音堂に行く。楊貴妃観音像は楊貴妃を偲んで彫られたもので等身大、容姿端麗。南宋の時期に渡来している。
仏殿,舎利殿も堂々たる風格をしている。観光客が少ないのが何よりである。奥に本坊、霊明殿があり,各部屋とも立派な襖や屏風で仕切られている。

 泉涌寺には塔頭ではないが、別院として真言宗の雲龍院があり、南北朝時代の北朝方天皇の位牌が祀られている。ここには立派な庭があり、悟りの円窓、蓮華の間の四つの障子窓から見ると紅葉や灯篭など異なった景色を見ることができる。
 泉涌寺は静かで何度来ても良い寺である。帰りの新幹線を待つのには最適のお寺だと思う。

雲龍院 悟りの窓 雲龍院 障子から見た庭園
雲龍院 蓮華の間四枚の窓 雲龍院 庭園雲龍院 灯篭 雲龍院 龍華殿

秋の京都 2015年11月19日

源光庵 悟りの窓 源光庵 迷いの窓 
源光庵庭園 源光庵 落葉
 
 京都に来て2日間雨にたたられたが、3日目は良い天気だった。昨晩、「かみや」で聞いた鷹が峯に行くことにした。前は、鷹が峯というのは仁和寺の南側に位置すると勘違いしていた。尾形乾山やその師の野々宮仁清が仁和寺近くに居を構えていたからである。実は金閣寺よりさらに北に上り、山の麓まで登った所に、本阿弥光悦が徳川家康に与えられた土地で、光悦が文化村的な場所として、工芸家や美術家が住まわせていた場所である。この一帯を「鷹が峯」と云う。後に、琳派の尾形光琳もここに居を構えた時期がある。

 ここで紅葉で有名なお寺と云えば、源光庵がある。このお寺はもともと臨済宗のお寺として建てられたが、元禄期に曹洞宗に改まって、再建されている。ここで有名なのは「悟りの窓」と呼ばれる丸窓と「迷いの窓」という角窓が並んでいて、そこから見る紅葉が綺麗なことである。観光客が少なく落ち着いた場所である。
 源光庵からすぐそばに、光悦寺がある。本阿弥光悦が居住地としていた屋敷跡で、光悦没後、日蓮宗光悦寺となっている。邸内にはいくつもの庵があり、それぞれが茶室を持っている。
 なかでも大虚庵茶席は光悦終焉時の茶室で、光悦垣に囲まれている。庭からは鷹峰三山(鷹ヶ峯、鷲ヶ峯、天ヶ峯)を見渡すことができる。静かでお茶会には最適地である。

 光悦寺を出て、次は茶道とはきわめて縁の深い、大徳寺に向かった。バスで行けばすぐに着く。臨済宗の京都五山より格式の高い大徳寺派総本山である。龍源院、興臨院、総見院、芳春院と塔頭をまわった。
 夕方、暗くなったので、北野天満宮の紅葉を見に行く。ライトアップで綺麗ではあるが、少し派手になりすぎたのではと思う。社殿もライトアップされていた。

光悦寺 大虚庵 光悦寺 光悦垣

秋の京都 2015年11月18日

大津の「東横イン京都琵琶湖大津」で一泊して、サービスの簡単な朝食を済ませて、さてどうしようかと考える。
 まず、この東横インの会員になるために手続きを済ませた。会員になると6か月前から予約ができる。一般客は3か月前からで、予約が取りにくくなる。入会時に1000円払えば、宿泊ごとにポイントが付くので、それで回収できる。
 いつも泊まる「卯の花」でも6か月前になるとすぐに予約が取れなくなる。最近は大きなホテルは外人客も含めてパッケージツアーですぐに押さえられてしまう。
 京都は中国人や韓国人の観光客で一杯だ。若いカップルが貸衣装屋で和服を借りて、京都の観光地を闊歩する。最近はまず、大阪に泊まるようだ、そして爆買、京都で遊んで、最後に大阪から帰るらしい。慣れた人だと箱根や静岡に泊まり、富士山を見て、温泉に入る。日光や草津も人気があるらしい。

 さて、二日目も天気はどんよりしている。今日は日吉大社の紅葉を見てそのあと比叡山に登ることにした。京阪電鉄の浜大津から坂本まで行く。着いた頃には雨が降っていた。日吉大社の紅葉も少し早かったようだ。パッとした写真も撮れない。下から見ると比叡山はすっかり雲に覆われていて、多分ロープウエイも動いていないだろうと思い、JR坂本駅まで行って、京都駅まで戻った。

 京都駅からどこに行こうかと考えたが、この雨では行くところもない。そうだ、水族館に行こうと思い立って、バスに乗った。
水族館は結構大きい。これまで、水族館というと、池袋のサンシャインシティしか行ったことが無い。中は随分広くて一人でも面白い。水族館は若いカップルが多い、私みたいにいい年をした、爺さんが一人で見に来るなんてあまりなさそうだ。そういえば息子が結婚する前にサンシャインシティによく行っていた。イルカショーも見て夕方に
北野天満宮に帰った。

秋の京都 2015年11月17日

鶴下絵三十六歌仙和歌巻(本阿弥光悦書・俵屋宗達下絵)
夏秋草図屏風(酒井抱一) 

今年の秋は天候に恵まれず、第1日、第2日と雨にたたられた。
 東京で新幹線に乗るときはまだ雨は降っていなかったが、京都に着いた時にはすっかり雨。まず駅地下街で傘を買って、京都国立博物館に行った。琳派誕生四00年記念特別展覧会「琳派 京を彩る」をやっていた。雨の日だったからかもしれないが、ずいぶん混んでいた。旅行客ではなく、地元の皆さんが多かったと思う。

 琳派というのは狩野派のように代々伝承してきたわけではなく江戸初期、中期、後期の日本画や屏風、工芸、書に優れた尾形光琳を代表とする人たちの集まりである。江戸初期の俵屋宗達、本阿弥光悦、中期の尾形光琳、尾形乾山、後期の酒井抱一、鈴木其一などである。時代順に展示されているのか、最初に展示されていたのが、本阿弥光悦である。うかつにも本阿弥光悦がどのような人かを良く知らなかった。最初にびっくりしたのは、光悦の書状である。書があまりにも美しい。そして、日本刀や工芸品、絵画などが並んでいる。光悦の名は有名だが、どのような作品があるかが分らないのはあまりにも多方面にわたるマルチアーティストだったからであろう。光悦は刀剣の鑑定、研磨を生業とする家に生まれている。また、小堀遠州との知己もあり、茶人および陶芸家でもある。漆芸や絵画、金工にも優れた作品があるが、書家としては「寛永の三筆」の一人に挙げられている。びっくりするほどの達筆なのもうなずける。印象的なのは俵屋宗達が絵を描き、光悦が歌を書いた「鶴下絵三十六歌仙和歌巻」である。光悦はその多才ぶりを徳川家康から大いに評価され、鷹が峯に9万坪の土地を与えられている。そこに芸術村を築いたとされている。

 俵屋宗達と云えば「風神雷神図屏風」であまりにも有名である。尾形光琳、酒井抱一も「風神雷神図屏風」を描いている。比べて見ると、時代の流れがわかる。
 琳派という名は尾形光琳の一字を取って、そう呼ばれるようになったのだが、屏風絵、漆芸に優れており、尾形光琳の名前は日本人なら誰でも知っている。弟の尾形乾山は陶芸を野々村仁清の手ほどきを受け、優れた作品を残している。京焼は陶器に色絵付けを行ったもので、仁清、乾山の壺といえば、重文級の作品を数多く残している。
 江戸後期の代表が酒井抱一と鈴木其一である。やはり、琳派の流れを受け継ぎ、屏風絵や漆芸に代表的な作品がある。

 帰りは京都駅に行くのに、八坂神社の前を通ってきたバスは混んでいて、通過してしまう。おまけに、前が三十三間堂で長い列をなす。雨の中をバスに乗るのに随分待たされた。夜は市川君といつもの「がんこ」で食事をした。

風神雷神図屏風(俵屋宗達)
風神雷神図屏風(尾形光琳)
風神雷神図屏風(酒井抱一)

風の盆恋歌

 
第15回目のカラオケ会になりました。2か月に一回ですから、発足後2年半になります。
 今回は出席者6名で寂しい感はありますが、皆さんからすると早く廻ってきて、たくさん唄うことができます。とくに今回の収穫は近藤さんがたくさん唄うようになったことです。いつもは洋楽を英語で唄うのですが、今回は日本の歌もよく歌ってくれました。あのサッチモばりの低音で太い声なのですが、なんと吉永小百合の「寒い朝」を歌ったのです。コントローラーはあまり慣れていないので、私が曲を探してあげました。キー設定も2音ほど上げましたが、これが功を奏し、高い声でずいぶん上手く唄いました。一般的かどうかは知りませんが、私の場合は女性歌手の歌を唄うときは2音上げることにしています。その方が唄いやすいのです。
 今回初めて気が付いたのですが、男性が女性歌手の歌を唄うことは結構多いのですが、女性が男性歌手の歌を唄うのが少ないことです。誰かチャレンジして欲しいと思います。
 途中で民謡なども出ましたが、そのきっかけになった石川さゆりの「風の盆恋歌」を入れておきます。この歌の舞台は「越中おわら節」で有名な越中八尾の「おわら風の盆」です。その映像も入れました。
              11月2日開催  執筆:鶴