フィンランドのオーケストラと諏訪内晶子

プログラム

 久しぶりにクラシックコンサートを聴きに行った。場所はサントリーホール。プログラムはハンヌ・リントゥ指揮のフィンランド放送交響楽団と諏訪内晶子によるシベリウスの管弦楽と協奏曲である。
 シベリウスを演奏するとしたらベストカップルかもしれない。今年はシベリウスの生誕150周年でその記念公演となっている。
 サントリーホールには地下鉄南北線で駒込から六本木一丁目に出るのが便利だ。駒込で夕食をすませ、六本木の駅まで行った。以前日本IBMの本社があった所で、そのつもりで行ったらまるで変っていた。行き方を聞きながら、なんとかサントリーホールにたどり着いたのが開演ぎりぎりであった。会場は満席になっていた。相変わらず、諏訪内晶子の人気は高いようだ。
 もっともポピュラーな「フィンランディア」で始まった。この曲は1899年に作曲されているが、ロマノフ王朝の帝政ロシアによる併合の危機に直面していたフィンランドの愛国心を鼓舞するために作られている。日本は同じくロシアの脅威を目の当たりにしていた時代である。日露戦争の直前である。ヨーロッパで諜報活動を行っていた明石元二郎とシベリウスとは接点があったのかもしれない。
 二曲目は「ヴァイオリン協奏曲」である。今回の演目は2008年のNHK音楽祭で、アシュケナージ指揮のフィルハーモニア管弦楽団、諏訪内晶子のヴァイオリンで聴いている。あの時は、諏訪内がオーケストラをぐんぐん引っ張っていくような演奏であったが、今回は円熟味を増した諏訪内らしく、調和がとれ、オーケストラとぴったりと息の合ったすばらしい演奏である。しかもラメの入った黒いドレスで細い身をつつんだ彼女は相変わらず美しい。
 三番目はやはり「交響曲第二番」である。ハンヌ・リントゥはサカリ・オラモの後を継いでフィンランド放饗の首席指揮者となっている。フィンランド出身で当然のことながらシベリウスを得意としている。若いだけに北欧の陰鬱とした重苦しさは無い。聞きなれた曲ではあるが、やはり生演奏は何度聞いても飽きることはない。
              2015年11月4日

人生劇場

朝から雨が降って、お昼からのカラオケ会も歩いて行くのが億劫になりそうでした。お酒を飲まなければ車で行くところでしたが、酒は飲みたい。困ったものです。
今回はお酒を飲む人の方が、飲まない人より少なくなりました。それに女性が4名。新しく岩田さんが入ってくれて、お一人かと思いきや、奥様もご一緒でした。おかげで、11名になり、幹事としてはうれしいのですが、忙しくてなかなか歌ってる暇もない状態でした。最後に「人生劇場」を皆で歌い4時ピッタリで終わりました。

「人生劇場」は早稲田大学第二校歌と云われていますが、もとになっている小説「人生劇場」を書いた尾崎士郎が早稲田出身の代表的な作家で、彼は三州吉良の出身です。歌の中にも「吉良の仁吉」が出てきます。映画や浪曲などで有名なのですが、恩人の清水の次郎長への義理を果たすため、敵になる穴太(あのう)の徳次郎の妹である恋女房に三下半を渡し、「荒神山の決闘」に向かいます。なぜ、早稲田の第二校歌と云われているのか、小説の主人公が早稲田出身であることや、「義理と人情」が校風に合っているだけではありません。実は歌が4番まであって次のようになっているからでしょう。

端役者(はしたやくしゃ)の 俺ではあるが
早稲田に学んで 波風受けて
行くぞ男の この花道を
人生劇場 いざ序幕

村田英雄の代表曲ですが、3番までしかありません。4番まで歌ってみて下さい。        鶴 征四郎 記

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2015春季早慶戦

  明治神宮野球場の入り口は当日券を買う人でごった返していた。
 今回は早稲田の久しぶりの優勝の可能性が強い。早慶戦で一勝でもすればよい。法政が東大に思わぬ一敗を喫したため、昨年の春秋に続いて早慶戦に優勝が懸かっている。
 我孫子稲門会からは私とOさんの二人が応援に駆け付けた。我々は一塁側に近いネット裏に席を取った。写真を撮るに好都合な席だ。天気は快晴で陽ざしは強いが涼しい風が吹いていた。   
 先発ピッチャーは早稲田は大竹、慶応は加藤拓也。大柄の加藤の球は剛速球でしかも重そう。フォアボールで三塁まで走者を進めても、バントはすべてフライになる。打ったかと思うと内野フライ、バットが折れる。
 四回に川原の大きなライト側への犠牲フライで、三塁走者がホームを突き、やっと一点を先取した。一方、大竹のピッチングはヒットこそ出さないけれど何度も外野手がバックする、あと少しでホームランになるようなフライが何度もあった。7回にヒットが出て、加藤から昨年負けた三宮にスイッチして、やっとヒットが続き、結局4対0で完勝となった。大竹の球質に合わせて外野陣が後方で守っていたことがわかる。   
 今回は東京六大学野球90周年、ポスターも早慶合同で作成しPRした結果、観客数3万4000人と外野まで満席となる試合だった。これで法政と並んで44回目の優勝。二年生の大竹と一年生の小島という若い投手陣に三年生、四年生の強力打撃陣、新しい高橋監督の指揮のもとで勝ち取った完全優勝である。              (開催日2015年5月30日 鶴 記)
4対0で完勝
チアリーダー 野球部大竹投手4回川原の犠打で1点先取早稲田のチアリーディング慶応のチアガールも懸命優勝で喜ぶ早稲田チーム球場に轟く都の西北

国際学生寮(WISH)訪問  

WISH外観

 中野駅に着いたときに、その周辺の変貌ぶりに驚きました。駅前に大きな公園があり、周りに大きなビル群があります。昔の名残と云えば、中野サンロードが駅前から伸びているのが分るくらいでした。
 メールでいただいた地図をたよりに、帝京平成大学を左に見て、その先に黒く見える大きな建物がそうだなと見当をつけて、まもなく「早稲田大学国際学生寮WISH」に着きました。
 私達3人が中に入るとすぐに「我孫子稲門会の方ですね」と挨拶いただき、まず2階の教室で、寮の概要説明を受けました。
 このWISH(Waseda International Student House)は11階建てで3階から11階までが寮生の部屋になっています。各部屋に4人が住み、その中はプライベートスペース4室と共用スペースになっていました。この寮はその名の通り留学生が日本の学生と共同生活をしており、現在は3割が留学生だそうです。将来的には留学生を5割にしたいとのことでした。現在各部屋に一人が留学生で三人が日本の学生だそうです。昨年の3月に竣工したばかりで、ここが学生寮かと思うような建物と施設の充実ぶりでした。二階にはフィットネスルーム、防音壁の付いた音楽室、共同浴室があります。各フロアに沢山のIHヒーター、流し台付き調理スペースがあって各自が持参した炊飯器が置いてありました。ランドリールームも各フロアにあります。
 各部屋は中央の廊下からガラス越しに見えるようになっていて、共用スペースの様子がわかるようになっています。
 当然、フロアごとに男女別になっています。エレベーターは男性用と女性用に分かれていて、異性フロアに立ち入ることはできないようになっています。
 我孫子稲門会の寄付の証しとなるプレートは4階の一番奥の部屋に飾ってありました。
 この寮の定員は872人ですが、新入生が対象で在寮期間は2年間です。他にも東伏見と千駄木に直営学生寮があります。また、早大生のみ入居するWIDという提携寮が10ヶ所あり、他大学と同居する寮が10ヶ所あります。WID(Waseda International Dormitory)も留学生と同居して、国際性豊かな人材育成の場となっています。
 WISHの建物を出て、中野駅前の大きなスペースを再確認して、よくこんなスペースがあったものだと思ったのですが、前は警察大学校や警視庁警察学校があったそうです。その前はかの有名なスパイ養成機関、陸軍中野学校があった所だったのです。
                 訪問日 2015年5月19日 鶴 征四郎     

寮室の共有スペース ガラス越しに廊下から見えるプライベートスペース フィットネスルームダイニングキッチン 風呂場 音楽室 寮室プレート

2015年京都の春(5)

光明院庭園

障子の間から見た光明寺庭園 舞妓さん

 最後の日になったが、大津から京都駅まで来て、さてどこに行こうかと思う。下手にバスで行くといつも帰りが大変。「プラットこだま」だから乗り遅れたら切符代がチャラになる。京都のバスは路線によってはものすごく時間がかかる。女房と一緒に京都駅で2~3時間待ったこともある。
 便利なのは東福寺だということに気付いた。電車で一駅、塔頭もたくさんある。今回は光明院と芬陀院(雪舟寺)に行くことにした。光明院は初めてだが庭園は有名だ。重森三玲作の「波心庭」、白砂と苔に石を並べた枯山水の庭で本堂から障子の間に見える庭が綺麗だ。今年の京都は舞妓さんによく会う。ここでなんと、3人の舞妓さんの写真が撮れた。普段着で白塗りの厚化粧でもないから舞妓らしくは見えない。やはり、貸衣装の外人とは違う。
 次の芬陀院は雪舟寺というくらいで、画家、雪舟禅師によって作庭された「鶴亀の庭」が良い。苔と砂と石組のバランスは素朴でありながら、見飽きない。茶室の丸窓から見る庭園は皆が写真に収めたがる光景である。
 あとは昼食を東福寺駅の近くでとり、少し待っただけで新幹線に乗れた。

芬陀院の枝垂れ 芬陀院の鶴亀の庭園

円窓から見た庭園 雪舟屏風

2015年京都の春(4)

琵琶湖疏水

三井寺金堂 日本3銘鐘の一つ三井寺の鐘

国宝金堂 弁慶の引き摺り鐘

三井寺三重塔 三井寺から見た琵琶湖

 去年の秋は初めての近江観光で、地理的に不案内なため、坂本からまっすぐ比叡山に登ったが、今年は大津付近をゆっくり観光することにした。泊まったのがJR大津と京阪浜大津駅の間の東横イン。ホテルも良かったが、翌日はすっきりとした好天に恵まれた。まず、三井寺に行った。三井寺駅のすぐ傍を、琵琶湖疏水が流れている。琵琶湖疏水はここから山科、蹴上と山の下を流れて京都鴨川にそそぐ。いずこも桜の名所になっている。桜を観ながら歩くと三井寺に着く。
 本来の名は園城寺という。日本三銘鐘と云われる、宇治平等院、高雄神護寺とここの鐘がある。歴史的には古く近江大津京を築いた天智天皇の頃に建立されたとする。後に天台宗寺門派の総本山となり延暦寺(山門派)との争いが絶えなかったようだ。ここにある元々の鐘と云われる「弁慶の引き摺り鐘」の摺り傷もその名残りのようだ。ここから見る琵琶湖の景色は美しい。
 次に、坂本まで行って、日吉大社を訪ねた。紅葉の名所と云われているが、昨年は見逃した場所だ。全国に3800余と云われる日吉、日枝、山王神社の総本宮になっている。私は日吉と書いて「ひえ」と読んでいたが、もとはそう呼ばれていたらしい。神仏混淆(しんぶつこんこう、神仏混合、神仏習合ともいう)では比叡山延暦寺の守り神で、ともに京の都の鬼門(北東)にあたり、魔除け,鎮護の寺社になっている。平家物語に登場する比叡山の荒法師が担いで京の都に押し掛けるのはここの神輿である。この神社も比叡山と同じく、織田信長の焼き討ちで焼失しているが、その後、秀吉や徳川の援助により復興をなしている。神社の魔除けになっているのが神猿(まさる)と呼ばれる猿が祀られている。西本宮の楼門には猿が守っているのが見える。
 日吉大社から駅までは桜並木が続いている。
 電車で大津を過ぎて、石山寺駅まで行ったが、時刻的にはもう拝観時刻が過ぎそうだ。門の中までで良しとして10分ほど歩いた。東門から拝観受付までの長い桜並木が綺麗だ。紫式部が「源氏物語」の構想を練った寺らしく優雅で女性らしいお寺である。

日吉大社に行く途中の大枝垂れ 日吉大社のシンボル大鳥居

西本宮楼門 楼門軒下の猿

飛龍の滝 西本宮

東本宮 坂本駅前の蕎麦屋さん

石山寺東大門 石山寺表境内の紅枝垂れ

2015年京都の春(3)

知恩院三門 上七軒歌舞練場

 朝から雨で、どこに行こうかと迷ったが、こういう時こそ「北野をどり」を見るのが良い。もう一つはずっと閉鎖されていた知恩院に行くことにした。電話で聞くと開いているという。
 まず、上七軒歌舞練場の当日券があるかどうかだが、運良く買えた。そのあとに知恩院に行った。今年は徳川家康没後400年ということで、三門を開け、御影堂の一部を見れるようにしたらしい。ここは徳川秀忠の建立で、法然上人を開祖とする浄土宗の総本山である。鶯張りや忘れ傘、抜け雀など七不思議が有名で修学旅行コースのメッカでもある。8年がかりの御影堂修築が行われている。あと4年かかるそうだ。御朱印をいくつかいただき、また上七軒に戻った。

 京都の花街は5つあるが、それぞれに舞の流派が異なる。上七軒は花柳流で4月初めの「北野をどり」、祇園甲部は井上流で4月に「都をどり」、宮川町は若柳流で4月の、「京おどり」、先斗町が尾上流で『鴨川をどり」、これは5月だ。祇園東が藤間流、11月の「祇園をどり」という具合だ。
 上七軒の踊りにはセリフが入る。都をどりや鴨川をどりは芸舞妓さんの数が多く、みんなで踊る舞台が華やかである。隣の席にいた小学生の女の子がお母さんに「都をどりと違うの?」と聞いていた。「『都をどり』は舞妓さんがたくさん出てくるんだよ」と云ったら、「都をどり」観たいとおねだりしていた。
 上七軒歌舞練場を出てから、京都駅に行き、大津に着いた。明日、草津に住んでいる市川君と飲むことになっているので、JR大津駅前の食事場所を覘き、良さそうだったのでそこにし、夕食を取った。泊まりは「東横イン京都びわこホテル」である。

2015年京都の春(2)

東庭 南庭 

北庭 西庭

 京都はすっかり慣れてきた所為か、行き当たりばったりで行くことが多い。
秋に紅葉の綺麗なところは桜のシーズンも良いと、何かの本で読んだことがあって、秋はすごく混む東福寺と、桜で有名な醍醐寺に行くことにした。
 醍醐寺は3年ほど前の秋に行ったことがある。
 東福寺は、冬と秋に行っている。秋の紅葉は素晴らしい。有名な通天橋の紅葉はみごとだ。春の東福寺は桜もほとんど無い。その分、静かで重森三玲作庭の方丈庭園を鑑賞するのには絶好の季節である。方丈庭園は「八相の庭」と呼ばれ、四方を枯山水の庭に囲まれている。この作庭技法は他の禅寺では見ることがない。島に模する巨石を砂の海に点在させる大きな枯山水の南庭、苔と石で市松模様をかたどった北庭、7つの円柱と苔で北斗七星と天の川を表す東庭、さつきの刈込みで市松模様を作った西庭がある。西庭は他の庭に比べると目立たないが、これを方丈横の火灯窓(かとうまど)から見ると景色が一変する。

 秀吉の「醍醐の花見」で有名な醍醐寺へは地下鉄東西線で簡単に行ける。通常は蹴上側から行くのだが、東福寺の後だったのでJR六地蔵経由で行った。さすがに桜の名所、醍醐寺はずいぶん混んでいた。団体で来るのか、観光客とくに中国人と思しき人たちで混んでいた。ここでは着物を着ている男女をたくさん見かける。貸衣装を借りて歩く中国人だ。日本人が和服を着て観光することはまず無い。
 醍醐寺にはいろんな桜があるが、今では丸山公園の大枝垂れや平安神宮の桜の方が綺麗に見える。
 三宝院から桜並木を通って奥に行く。五重塔の前の枝垂れは大きい。ここを過ぎると桜の木が少なくなり、楓が目立ってくる。秋の醍醐寺では紅葉が美しい。春も秋も楽しめるのが醍醐寺である。
 帰りは地下鉄で東山まで行き、祇園に寄ってみた。花見小路を行くと外人観光客で溢れていた。明日から都をどりが始まる。建仁寺に入ったが、拝観時間を過ぎていて閑散としていた。帰り道は少しはずれた町屋の中を通る。静かである。
 夜は昨日と同じく「まさ活」で食事をした。ここのうな重も美味しい。食事を済ませて、昨晩のカラオケスナック「桜」に行った。この日は子供連れの団体がいて混んでいたが、舞妓さんと芸妓さんが入ってきた。二人とも団体客の記念写真に加わっていた。

醍醐寺五重塔 醍醐寺弁天堂

五重塔前の大枝垂れ 建仁寺

2015年京都の春(1)

 今年は京都の旅館「卯乃花」が水曜と木曜に取れず、月曜と火曜日になってしまった。いつも夕食を摂っていた「かみや」も休みだ。月曜休店なのだが月の最後の火曜日も休みになっていた。それがかえってラッキーな結果になった。
 今日は桜の名所、平野神社に寄った帰りに、上七軒の界隈を歩いてみた。今は「北野をどり」の最中である。写真を撮っていたら丁度、綺麗な芸妓さんに出会った。一応断わって、一枚撮らせていただいた。背景もぴったり決まっている。
 京都には祇園、祇園東、宮川町、先斗町、それに上七軒と5か所の花街があるが、上七軒は歴史も古く由緒もあり、落ち着いた街である。他の花街は八坂神社から河原町にかけて位置するが、ここはポツンと離れて北野天満宮のそばにある。豊臣秀吉が天満宮で茶会を開いたときに団子を献上したとされる。今でも2月の梅のシーズンには天満宮で茶会が開かれ、芸妓さん舞妓さんのお点前でお茶をいただけるようだ。観光客も少なく、カメラで撮影していたのは私くらいである。
 夕食は北野天満宮の横にある「まさ活」にした。外から見るとウナギ屋さんのようで、それにあまり綺麗に見えない。おそるおそる中に入ったら立派なカウンターがあって清潔そうである。刺身や焼き物もある。酒も地酒もそろっている。普通は食べられないという親父さん自慢の蟹があった。「間人ガニ」と書いて「だいざがに」と読むらしい。聖徳太子のお母さんの名前だという。聖徳太子の母は穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのみこ)でその間人をとって聖徳太子のお母さんの名をとった蟹と云うようだ。丹後の間人(だいざ)漁港で捕れる松葉ガニでかなり貴重な蟹だそうだ。やや小さいのを一杯食べた。
 食事を済ませて、店のご主人にカラオケのできる所を聞いてみた。こんなところには無いだろうと思っていたら、すぐそばにあるという。昼間は普通の町屋しかないと思っていたのが夜になるとその一軒がカラオケスナックになるのだ。上七軒歌舞練場の入り口のすぐそばにあった。中は立派な設備も整っている。カウンター席で飲んで歌っていたら舞妓さんが入って来た。さすが上七軒のすぐそばだ。写真を何枚か撮らせてもらった。舞妓さんは未成年だからお酒は飲まない。9時頃には置屋の女将さんと思われる品の良い女性が迎えに来た。やはりたくさん写真を撮るのは憚られる。
上七軒の芸妓さん  上七軒の入り口

上七軒歌舞練場の入り口  上七軒歌舞練場

間人ガニ  舞妓さんとカラオケ

2014年 日展


「我孫子稲門会」のホームページを作るため、自分のブログ記事は投稿できませんでした。2014年の記事がまるでないで
、後付けで追加しました。、