あびこショッピングプラザで10月18日に第10回「鳥と楽しむまち絵画コンテスト」が開催されました。主催者は我孫子稲門会の濱崎さんが代表を務める「住み良いまちづくり研究所」です。
大塚会長の方針で、我孫子稲門会もこれからボランティア活動にも取り組んでいきたいとのことで、濱崎さんに依頼され、「お茶会」でやったように、写真とビデオの撮影をやりました。別に難しいことではなかったのですが、苦労したのはWindows Live ムービーメーカーを使って、本格的なスライドショーを作ることでした。これをYouTubeに載せるため、字幕や音楽も入れて作成しました。
最優秀の作品は千葉県知事賞ですが、もう一つ上の賞があって、受賞者は、来年、ワシントンに美術研修に行けるというものです。
ボランティア活動というより、このコンテストの知名度をあげるのに協力するという光栄にあずかったと思っています。
鶴 征四郎
2014年春の奈良・京都
毎年、奈良・京都に来ているが、今年の春はとくに行くところもない。斑鳩の里を廻ったのが良かった。それに、昔、大阪に赴任していた頃の友達と一緒に以前の蕎麦店「雄町」のご主人のお店で鮨を食べたこと。
第一日目は、「雄町」の女将さん。今では全くそのようには見えないが、麗子さんと一緒に夜の食事をした。残念ながら大谷さんは店の整理などでお忙しいようだ。
次の日に斑鳩の里、法隆寺から法輪寺、法起寺を廻った。大阪赴任時代にも一度来たことがある。歩くとかなりきつい。
帰りは法隆寺までバスで戻り、ホテルに預けておいた荷物を取って、急いで大阪に向かった。江坂のホテルに荷物を置いて、梅田阪急デパートの屋上階にある、「福喜鮨」に着いたのが約束の六時ぎりぎりであった。所ちゃん、太田さん、高松さんと私の4人である。お寿司はさすがに大阪の名店だけに美味しい。みんなにとっては一人一万円はやはり高いのかもしれない。
三日目は山科の毘沙門堂に行った。ここは紅葉の名所だが、桜も美しい。大きな枝垂れ桜が見事である。
次に地下鉄蹴上で降りて、南禅寺の塔頭、金地院に入った。ここは何度も来ているので、あまり感動もない。むしろ、帰り道になる蹴上トロッコ道を下から見上げた桜並木が美しい。
四日目は、前の晩に「かみや」の女将さんに聞いていた宿のすぐそばにある「立本寺」の桜を見に行った。ここは有名でもなんでもないが、立派な桜が咲き誇っていた。誰一人いないので廊下に上がって庭園も見てきた。小さいけれど結構整備されてそれなりに鑑賞できる庭である。
午後は京都市植物園を見てきた。観光客で賑わっていたが、いろんな種類の桜を見ることができる。中では結婚衣装で写真撮影をしてもらうカップルにも会った。ウエディングドレス姿もいるし、日本の花嫁衣裳と紋付を着た夫婦もいた。どうも、中国人のようでもある。
最後の日は琵琶湖疏水のすぐそばにある動物園に行ってみた。ここから見る疏水の風景を楽しみにしていたのだが、一部工事中で風景も良くはなかった。
東京モーターショー2013 2013/12/1
こういうイベントのあるときは通常は平日にするのだが、京都・奈良の旅で忙しく、モーターショーは日曜日に行くことになった。今回は、幕張メッセではなく東京ビッグサイトで開催された。この会場は、昨年10月にコンシューマーエレクトロニクスショーを見るために行ったことがある。そのときは新橋からゆりかもめを使ったのだが、時間もコストもかかった。東京駅から専用バスが走っていることがわかったので、今回は丸の内北口からバスで行った。全員が座れるようにガイドしてくれて、立ってでも行きたいという人は追加で乗っけてくれた。行くまではすごく良かったが、着いたとたん、あまりの混みようにびっくりした。日曜日でさらに、このショーも終わりに近い。仕方のないことだった。問題は、会場の明るさだ。幕張では、写真を撮るのにストロボを使わなくても良い程度に明るくなっていたが、このビッグサイトは明暗が強すぎるような気がする。外部ストロボを使ったのでなんとかなった。
コンパニオンのお嬢さんがたは以前に比べると、やや質が落ちたのかもしれない(失礼!)。それとポーズをとってくれたりするサービスもあまり良くない。経費節減なのかもしれないが、営業用車両(バス等)とともにさらにオートバイの展示もやっていた。2年に1度のショーなので、それでも行って良かったと思っている。
日展2013 2013/11/8
すっきりした秋の良い天気である。今年は神宮外苑の銀杏並木を見ることもなく、まっすぐ国立新美術館に行った。
神宮外苑の近くや美術館の中にはあまり良いレストランがないので北千住で昼食をすませた。
今年の日展はあまり混んではいなかった。とくに日本画のコーナーには人が少ない。そのかわり洋画の方は結構混んでいた。
今回は写真を撮るにしても、フレームまで入れて全体を撮影すること以上に、むしろ部分的に強調してその作品の良いところを撮ろうと思った。
絵画と写真の違いがその辺でわかるような気がする。絵の場合は風景や人物も全体を描こうとする。そのかわり各部分の質感の美しさを強調しているように見える。樹木の質感や衣服の繊維の質まで表そうとしている。実に木目細かく、美しい。一方、写真は遠近感や迫力、しかも瞬間の美しさを切り取ることになる。絵画を写真に撮るのにフレーム全体を写したら、木目細かさを表すのが難しい。むしろ部分的に強調した方が迫力や美しさを写すことが出来る。
確かに、写真では当たり前の花の雌しべや雄しべを写したマクロ映像を見ることが多いが、絵画では無い。絵画のこの色鮮やかさや木目細かさ、それと多彩な表現が写真でできれば良いなと思う。
自分の墓 2013/07/20

3月頃に自分の墓を建てることを思い立った。ペタンク仲間の一人が手賀沼の柏市側の霊園に墓を建てるという話をしていたのがきっかけだった。ちょうど同じころに新聞の折り込みに墓地の広告が入っていた。女房の意見で手賀沼の向こうだと昔からのイメージでなんとなく暗いというので、新利根大橋の手前で、我家からだと歩いてでも行ける霊園に決めた。
何度か通って、場所と墓のデザインや石材を選んだ。墓碑はやはり女房の意見で昔ながらの「~家」と刻することにした。そんなに大きな墓ではないが、300万円以上かかった。死んだ後に息子に建ててもらっても良いのだが、面倒をかけるだけでお金の出所は同じになるだろう。
私は長男だが、弟が父の事業を継いだので、父母の墓は弟が管理している。自分の墓は自分で建てなければならない。息子が私たち夫婦の墓を管理してくれるはずである。
困ったのは我家の家紋がどんなものかがなかなかわからない。弟や従弟に聞いてもはっきりしない。墓参りには行っているのだが、家紋をしっかり覚えていない。結局、佐賀に住んでいる従弟に頼んで、本家の墓の家紋を写真にして送ってもらった。「丸に四方剣花菱」とわかった。勝海舟と同じ家紋である。
これをはずみにして、自分の祖先がどうなっているのか、次に佐賀に帰った時に調べてみたいと思う。名門であることはまずないので、はっきりするのかどうかは期待していない。
この墓、7月に出来上がった。誰も入っていないので、お参りに行くことも無い。
京都の桜を訪ねて 2013/04/18,19
京都も桜のシーズンはすっかり終わっていた。まだ花を見れるとしたら山に登るしかない。比叡山や大原、三尾、それに鞍馬山あたりになる。地図を見ながら迷ったが結局、鞍馬に登ることにした。
鞍馬から貴船へ
鞍馬山に行くのに便利なのは、出町柳から出る叡山電車鞍馬線に乗るのが良さそうだ。
初めてのコースで、様子がわからない。バスで出町柳に行くと京阪電車の駅前に着いた。そこから少し歩くと叡山電車の出町柳駅がある。賀茂川と高野川が合流して鴨川になるところだ。川向うに下鴨神社の糺の森が見える。川辺には八重桜の並木があり、花が満開になっていた。叡山電車は鞍馬や貴船と同じく、比叡山に行くのに使われる電車である。途中の八瀬で降りて、大原に行くこともできる。
鞍馬には30分ほどで着いた。駅から仁王門まで歩いて、そこからケーブルカーを利用し、多宝塔に着く。ここでやっと満開の枝垂桜を見ることができた。さらに苔むした岩壁に沿って、しばらく参道を歩くと鞍馬寺の金堂に着いた。観光客も少なく静かなお寺で、新緑も綺麗だ。鞍馬寺と云えば牛若丸(沙那王と称していた)が有名だし、武芸を教えた天狗の伝説もある。この天狗のモデルは鬼一法眼(きいちほうげん)という僧侶と云われている。
鞍馬寺からさらに奥に上ると、奥の院がある。結構な山道だが、ハイキングシューズを履いていたので、難なくたどり着いた。途中、沙那王が修業をしたと云われる僧正が谷がある。うっそうとした杉林の木の根が地表に露出して、蛇がとぐろを巻いているように見える。この山全体が岩山で、地表の土が浅いため、根が下にもぐれず、地表の上に根を伸ばしているのだそうだ。謡曲「鞍馬天狗」の舞台にふさわしい光景である。
奥の院まで着くと、あと15分ほどで貴船に着くという道案内が建っていた。しばらく休んで、貴船方面に向かった。途中には椿の大木が何本もはえ、椿の花が根元の苔の上にころがっている。赤と緑の色が対照的で瑞々しい。急坂を下るのも気持ちが良い。パワースポットというのはこういうところなのかと思った。
下には貴船川が流れていて、橋を渡ると貴船神社の参道になる。この辺にはいくつかの立派な店が並んでいる。貴船神社は水の神様で川の水も綺麗だ。鳥居が並んでいて、その下の石段を登ると、金箔で覆われた社殿がある。そばに手と口を浄める御手洗(みたらし)がある。おみくじをその水に浸すと運勢が出てくるという。秋に来たら素晴らしい紅葉を見物できそうである。
帰りはバスで叡山電車貴船口まで行き、出町柳まで戻って、仁和寺に向かった。
仁和寺
このお寺は門跡寺院のためなのか、京都のお寺の中でも坊主くさくない明るい寺である。別名「御室御所」とも呼ばれる。
私が見たかったのはこのお寺独特の背の小さい「御室桜」である。例年、四月の中旬以降に咲くのだが、今年は他の桜と同じく早かったらしく、みんな散ってしまっていた。私と同様、この桜を見たかったのか観光客で賑わっている。何度も来ている寺で特別見たいものもなく、さっさと宿に戻った。
大徳寺
もう何年もの間、大徳寺や知恩院、二条城といった、いわゆる修学旅行コースには行っていない。大徳寺は狩野探幽作、雲竜図のある法堂や方丈庭園などがある本坊伽藍が有名で、昔は修学旅行や定期観光バスの見学コースとなっていた。それがいつの頃にそうなったのか、今は本坊敷地に入ることもできない。
大徳寺は臨済宗大徳寺派の本山であり、一休和尚や沢庵禅師などの名僧や千利休、小堀遠州といった茶人にもゆかりの深い大寺院である。別院2、塔頭22を有しており、妙心寺や東福寺にも比すべき禅寺である。本坊を見ることはできなかったが、塔頭の一部が公開されていて、枯山水の庭も鑑賞できた。大仙院の石庭など、今や塔頭を廻る方が見学コースの中心になっている。今回は大仙院、芳春院、興臨院、瑞峯院、黄梅院を廻った。著名なのは、前のブログにも紹介した大仙院の枯山水である。竜安寺の庭園ほどポピュラーではないが、いくつかの狭い石庭の中に配置された石がそれぞれある意味での主張を持っているのが興味深い。蓬莱山から流れる水が滝となり、橋をくぐり、大海となっていく姿が回廊の下をくぐって、一つの光景を表しているのが全体を見渡す竜安寺の石庭とは大きく異なる。
残念ながら院内は撮影禁止になっていた。そのかわりに、修学旅行の学生たちと一緒にお坊さんの説明を聞いて廻った。
他の塔頭もそれぞれ特徴のある庭園を抱えているし、写真撮影もできた。時間がたっぷりあったのでゆっくりと見て廻ることができた。

奈良の旅、蕎麦処「雄町」との再会 2013/04/16,17




毎年2回、春と秋に京都、奈良に行くことにしているが、今年の春は去年より一週間程度遅く行くように予約していた。吉野の桜と仁和寺の御室桜の満開を見たかったからである。
今回はもう一つの目的があった。昨年秋に閉まっていたお蕎麦屋さん「雄町」の女将さんや旦那さんに会うことだった。
蕎麦処「雄町」の女将さんとの再会
奈良には4時頃に着いた。ホテルにチェックインして、部屋に入り、一昨年の秋に「雄町」でお会いしたお客さん、Oさんに電話をした。Oさんとは、今年の冬にメールや電話をやりとりして、私がこの春に奈良を訪ねたときに、「雄町」の女将さんと三人で飲もうと約束をしていたのだ。
電話で5時半にホテルの前で会うことになった。一度だけの面識で顔もあまり定かではない。外でOさんらしい方が見えたので、声をかけて確認した。しばらくして女将さんもホテルに来てくれた。旦那さんとお嬢ちゃんも一緒だ。
駅から興福寺の方向に向かう三条通を、話しながら歩いて、Oさんのお店に立ち寄った。「カメラとビデオのミドー」というお店である。大きな看板が屋上にかかっていた。
「雄町」の旦那さんはお酒を一滴も飲めないらしく、途中で別れ、Oさんの馴染みのお店に入った。他にはお客さんはいなかった。
女将さんは、今は、子供相手のケアセンターにお勤めしているらしい。旦那さんは大阪のお父さんの寿司店を手伝っているそうだ。梅田の阪急百貨店の13階にある「福喜鮨」の責任者のようである。
蕎麦処「雄町」を急に閉店したのは、決してお店が流行っていなかったのではなく、家庭の事情があったようだ。
三人で話しているうちに、女将さんがOさんに「なんで、私をお酒に誘ってくれなかったの?他のお客さんは誘ってくれはったのに」と責めているのが印象深かった。まるで父親と娘のようでうらやましかった。
着物姿の女将さんも良いが、まだ20代の洋服姿の娘さんスタイルも美しい。
吉野山
奈良の二日目は吉野山に登った。昨年は日帰りバスツアーを利用したために、下千本から中千本あたりまでしか行けなかったが、今年は電車とバスで中千本まで登り、そこから上に歩くことにした。
今年の桜は咲くのが異常に早く、三月には咲き始め、四月上旬に満開になった。去年は四月の第二週でも下千本が満開になっていなかったので、今年は一週間遅くしたのだが、今度は散った後になってしまった。 それでも、八重桜が咲いていて、慰めにはなった。昨年と同じく、人の多さには辟易とした。謡曲「忠信」で有名な佐藤忠信が僧兵横川覚範を討ち取ったとされる花矢倉展望台を過ぎて、その首塚のそばを下り、中千本からバスで、吉野駅まで下りた。
万葉植物園
翌日、とくに予定もなく、春日大社の「万葉植物園」に入ってみた。ここは藤で有名なところである。残念ながら、藤の花はまだまだの状態である。そのかわり、数多くの品種の椿の花が咲き誇っていた。
この公園の名にふさわしく、多くの万葉植物が栽培されていて、いくつかの品種が小さな花を咲かせていた。
日展2012 2012/11/15
今年の日展は相変わらず混んでいた。洋画に比べて日本画の展示が少なかった。青山の銀杏並木はまだ充分に色づいていなかった。
帰りに新松戸で友達と一緒にイカ料理を食べた。水槽に入っていたイカなのだがやはりストレスの所為かすごく旨いという感じはなかった。
源氏物語宇治十帖の世界へ 2012年4月13日
奈良、京都での花見旅の最後の日に、昨年も訪ねた宇治に立ち寄った。今回は妻が同行していたので、10円玉に彫られている平等院を見ることにした。私が観たかったのはもう一つの、「源氏物語」宇治十帳の世界である。
宇治十帖は「源氏物語」の最後の10巻、『橋姫』~『夢の浮橋』である。JR宇治駅で配られているパンフレットにはそれぞれの記念碑の地図が掲載されている。物語と場所とは何ら関係は無いようだが、世界文化遺産の一つである宇治上神社や源氏物語ミュージアムを廻るルート案内の役目をしている。宇治は平等院であまりにも有名だが、宇治川を渡った宇治十帖の世界も落ち着きのある観光地である。
宇治平等院
昨年も訪れたが、何度来ても良いところだ。妻は初めてで平等院の美しさには感心していたが、阿弥陀如来や雲中供養菩薩像、九品来迎図(鳳凰堂壁画)などには猫に小判であったようだ。
私は、今回は平等院の塔頭、浄土院や最勝院、観音堂に興味を持った。最勝院には源三位頼政の墓がある。源頼政は源氏でありながら、保元の乱、平治の乱でも勝者側で戦っており、平清盛の信頼も厚く、従三位の地位まで上りつめている。
平家が栄華、専横を極めていた頃、清盛の娘、徳子(後の建礼門院)が高倉天皇の后となる。その間に生まれた安徳天皇がわずか三歳で即位するに到って、後白河法皇と平家との間に軋轢が生じ、法皇の第三皇子、以仁王をもって平家打倒の令旨を発せしめる。頼政は以仁王を担いで兵を挙げることとなるが、これがきっかけとなって、源頼朝や木曽義仲、義経にいたる源平の合戦が始まるのである。
平家物語の中でも、頼政の鵺(ぬえ)退治の話や、平家の大軍に追われ、以仁王を守って興福寺に落ち延びる途中、宇治川を挟んでの合戦の模様が描かれている。頼政はこの地で自害するが、これらの話は能楽にも取り上げられ、それぞれ「鵺」「頼政」として謡われている。
宇治川
平等院を出て、参道を通らずに、右手に曲ると、すぐ目の前に広々とした宇治川の光景を眺めることができる。川を隔てて橘島という中州がある。橘島は全体が公園になっていて、川辺の桜並木が満開になっている。橘橋の途中から見る光景は平等院側と橘島側の桜に挟まれた急流の景色が見事だ。この島は昔からあって、都で平家追討の院宣を待つ木曽義仲と源頼朝に遣わされた源義経との間で繰り広げられた宇治川の合戦の場所である。島には義経側の佐々木四郎高綱と梶原源太景季の先陣競いの碑が建っている。
島の中を花を見ながら歩くのが心地よい。向こう岸に行くには、朱色で色鮮やかに塗られた朝霧橋を渡る。朝霧橋のたもとには半ば苔で覆われた藁葺き屋根のある陶芸の窯元があり静かな風情をただよわせていた。
宇治十帖の世界
「源氏物語」の最後の十巻は、光源氏の異母弟にあたる八の宮の別荘を舞台に、八の宮の二人の姫君と薫、匂宮の恋物語が中心になる。光源氏はとっくに亡くなっている。この八の宮の別荘のモデルになっているのが宇治上神社である。宇治上神社は平安後期に建てられた寝殿造りの様式をもつ本殿と、鎌倉前期に建てられた拝殿がある。現在に残る神社建築としては最古の建物である。神社は伊勢神宮や賀茂神社、春日大社など歴史的には古いにも係わらず、式年遷宮のように建物を作り替えてきたため、建築物としてはみんな新しいのだ。また、神道は偶像崇拝ではないため、仏像のような物も無い。
宇治上神社は世界遺産に登録されている国宝である。観光客も少ない。ゆっくりとくつろげるパワースポットと云われても良い場所である。 源氏物語ミュージアムにも立ち寄ったが、「源氏物語の世界」を現代から見た色鮮やかな空想の世界として思い描くための綺麗な場所でしかない。
吉野の桜 2012年4月12日



奈良の桜の名所は何といっても吉野である。 さぞかし、満開の頃は下千本、中千本、上千本と咲き揃って行くであろう。そんなイメージをいだいて、吉野の山桜を観に行った。 電車やバス、ロープウエイを使えば、結構、時間がかかると思い、前もって予約しておいたJR奈良発のバスツアーを利用した。
朝9時に発って、11時半頃に吉野の観光バス駐車場に着いた。そこから蔵王堂に登る道は、まるで浅草の仲見世通りのような混雑ぶりで、なかなか進めない。両側にお土産屋のある道をしばらく歩いて仁王門にたどり着いた。石段を登って、仁王門をくぐると蔵王堂がそびえていた。 蔵王堂すなわち金峯山寺は吉野を代表する寺院で、役の行者が建立した修験道の本山である。さらに、奥の院までの参道に咲く桜はほぼ満開だったが、山の斜面に見える千本桜は、満開とまではいかないけれど、ほころんだ蕾がピンク色に染まって美しい。
蔵王堂のすぐそばに、南北朝時代の吉野朝宮跡という石碑が建っていた。 1336年に後醍醐天皇がここを南朝の都とし、南北朝時代は56年間続くのだが、ここに都があったのは最初の12年間にすぎない。その後は、西吉野村に移っている。ここを南朝の都として、3年後に後醍醐天皇は崩御し、後村上天皇が即位している。
蔵王堂からしばらく道なりに行くと、中千本あたりに、吉水神社があり、観光スポットとなっている。吉水神社から中千本、下千本の桜がよく見えるはずたが、まだ満開ではない。中に入ると、後醍醐天皇の行宮の間があり、ここが南朝の最初の宮であったとされている。 「後醍醐天皇玉座」の他にもう一つ、「義経潜居の間」があり、源義経の鎧と静御前の衣装が展示されていた。
吉野は義経が頼朝軍に追われて、逃避行の途中に立ち寄った場所である。ここで、静御前と別れることになるが、謡曲「吉野静」、「二人静」の舞台となっているのは、吉水神社のすぐ近くにある勝手神社である。
義経が吉野の衆徒から逃れる際、佐藤忠信と計って、衆徒を欺くために静御前は舞を舞い、その間に義経を落ち延びさせるというのが「吉野静」のあらましである。この時にの殿(しんがり)を務めた佐藤忠信を謡ったのが「忠信」である。
吉野にある多くの寺院の中で、私にとって最も親しみ深いのが、勝手神社である。サラリーマン時代に通勤中に読み耽った内田康夫著「天川伝説殺人事件」に登場する神社だし、舞われる能が「二人静」である。「二人静」は二人の静御前が一緒に舞うという至難の曲といわれ、ストーリーは次のようになっている。
「吉野勝手明神に供えるために里に下りて、菜摘みをしていた菜摘女の前に見知らぬ女が現れ、『私の罪の深さを憐れんで弔って下さるよう神職に伝えて欲しい』と云って消え去った。菜摘女が神職に伝えると、たちまち女の言葉、顔つきが変わった。神職が何者かと尋ねると、『判官殿に仕えた者』と答え、自分が静であると云う。 静御前ならば舞の名手のはずという神職の願いにより、舞を舞う。するといつの間にか、静御前の霊が現れ、二人の静御前が寸分の狂いもなく息の合った舞を舞う。」
勝手神社の前に着いてよく見ると、2001年に本殿が焼失し、現在は閉鎖されているという看板がかかっていた。目当ての神社を見ることができず、バスの時刻に合わせて、そこで引き返した。一日中、人ごみの中にいて、すっかり疲れてしまった。
このブログ記事を書く前に、「天河伝説殺人事件」と「平城山を越えた女」を読み直してみた。ともに奈良を舞台にするミステリー小説だが、逮捕者が一人もいないのも面白いし、内田康夫氏自身がお気に入りの小説である。もっと空いている時期に吉野を訪ね、「天河伝説殺人事件」で浅見光彦が滞在した桜花壇に宿泊し、ゆっくり吉野を探索してみたいと思う。できれば、さらに奥まで行って、天河神社すなわち天河大弁財天社まで足を延ばしてみたい。やはり、7月16、17日の例大祭で、能楽を鑑賞できれば最高だと思う。




























